悪い夢は幸運をもたらす
眠りの中で悪い夢を見たから不幸だという人はあまりいない。夢は短いし、忘れやすい。
だが、中国の古典「列子」にこんな話がある。
ある王様は、毎晩、夢で奴隷になるので幸福でなかった。ところが、この王様の奴隷の老人は、毎晩、夢で王様になるので、そんなに不幸でなかった。
王様は、奴隷の仕事を減らして楽にし、贅沢を慎むようにしたら、夜の夢もそう悪いものでなくなった。奴隷の夢は、以前ほど豪華ではなくなったかもしれないが、現実が良くなったのだから悪くはないだろう。
普通は、このように極端ではなく、夢でも現(うつつ)でも、良いことと悪いことが混ぜ合わさって起こる。
大きな幸福と大きな不幸が交互にくる場合もあれば、大きな幸福の中で多くの小さな不幸が起こる場合もある。
いずれにしろ、良いことだけ、悪いことだけということは絶対にない。
良いことだけを求めるのは、昼だけ求めて夜を消したがるようなものだ。しかし、人間は良いことばかり求める。それで、不幸の息の根を止めようとする。敵は殺してしまう。まさに、夜をなくして昼だけにしようとするような愚かなことだ。
その点、虫や動物は賢い。オスがメスを巡って争っても、敵のオスに致命傷を与えるようなことは決してしない。食べるために殺すとしても、必要以上の狩りはしない。肉食動物も草食動物も、餌がなくなれば適度に滅んで、餌にしている動物、植物を繁殖させる。
この世には、良いことと悪いことの両方が必ずある。昔の中国では、この世は光と闇のせめぎ合いで出来ていると言い、易では、明と暗は繰り返すことを教えている。易は最高の運命学である。
そして、中国やインドの賢者達は、夢と現実は等しいものであると言う。ならば、悪い夢は、良い現実をもたらすものとして喜んで良いはずだ。
また、意図的に不幸を作って幸運を呼ぶ方法もある。願いを叶えるためには、犠牲を伴うものだ。ならば、積極的に犠牲を差し出せば良い。成功したければ、遊ぶ時間を犠牲にする。スーパーモデルになりたいなら、甘い食べ物を楽しむことを犠牲にする。
水野南北は、3食のうちの1食を神仏に奉げれば(ただし、食べるのをやめて心で奉げれば良いとした)願いは叶うと請合った。1食の中で、食べたいものを残すことでも良いのだ。
昔、女優の細川ふみえさんは、3食全てそれで良いほど大好きなチョコレートを絶って願掛けをしたことがあるが、良い方法である。これが正しい生贄、犠牲の奉げ方である。
悪いことが起こったら、良いことが起こると喜べば良い。悪いことと良いことは、昼と夜のように、相伴うのだ。
良いことが起こったら、より慎まなければ不幸になると、昔から賢い人は知っていた。
超念力で知られた石井普雄さんは、「難事は良いこと」という至言を残したが、その意味はもう分かると思う。ただ、彼自身は、病人が自分で消すべき病気を消してやり、自分が闇を引き受けてしまって早死にしたのだが。
誰しも、家族、学校のクラスや部活、会社などで、嫌な人がいるものだが、嫌な人こそ、幸運をもたらす福の神である。
顔を合わせるのも嫌な夫や妻なんて最高の天使である。愚か者はすぐに離婚して、どんどん不幸になっていくのだ。
幸福になるなんて実に簡単なことであることが分かると思う。
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Comments
私の嫁はとても怖いです。暴力をすぐ振るいます。携帯電話や茶碗を投げつけてくるのは日常茶飯事です。結婚一年目になるところですが、最近離婚の話も出たりします。
こういったことの原因の一つに私が仕事のしすぎということがあります。嫁はとてもやさしい面もあり、家事も熱心にやってくれます。私は冷めてしまっているのですが、暴力を振るうものの、嫁は私のことを愛してくれているようです。
嫁といると「人間を学ぶ」ということについては、非常に勉強出来ており、自分でも他人に対して寛容になれていることがわかります。より人の気持ちも分かるようになってきました。
やはり離婚はしないほうが良いでしょうか?
Posted by: 読者 | 2010.09.06 10:12 PM
★読者さん
さあ。全くあなたの問題ですので。
Posted by: Kay | 2010.09.06 10:47 PM