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2010.09.17

真の英雄

英雄というのは、プログレッシブ英和中辞典のhero(ヒーロー)の項に書かれているように、「敬慕の的となる立派な人物」のことと思う。
では、どんな人物が、「敬慕の的」であり、「立派」であり、ヒーローと言うに相応しいのだろうか?

それは、最も高い意味で言うなら、「他人を生かす者」であることは間違いないと思う。
最も英雄らしく感じるのは、自分を犠牲にして他人の生命を救う者ではないだろうか?

ある時、スカイダイビングをしていた3人が空中で接近し過ぎ、パラシュートロープが絡まってしまって、1つのパラシュートしか開かなかった。3人が高速度で落下していく中、1人がナイフで自分を切り離し、他の2人を救おうとしたことがあった。人々は彼のやったことを「英雄的行為」と言ったが、まさにその通りであろう。
SF小説の中で、宇宙空間で事故を起こした宇宙船からの救出のため、乗客は宇宙服を着て船外に出なければならないが、宇宙服が足りない中、それを知った者が自分は宇宙服を取らないといった話がよくある。著者は英雄を描いて見せたのだ。

戦争で戦果を上げた者がしばしば英雄と呼ばれる。それは一面的には正しい。確かに、彼の祖国の人達は生きる道を得た。しかし、敵国民にとっては逆のことになるのが普通であろう。トータルで言えば、彼は英雄ではない。

この物理的世界では、場所やエネルギーに限界がある。他の者を生かすには、現実として誰かがそれを譲らないといけない。
もしかしたら、ウォレス・ワトルズやジョセフ・マーフィーの本に書かれている通り、全ての人のために十分なものがあるのかもしれないが、現実には、不公平な配分のせいか、別の理由からかは複雑だが、現状はそうではない。
どうしても譲る者が必要である。

戦争で言えば、戦果を上げるかどうかではなく、戦死した者は、敵味方区別なく、他人に場所を譲った英雄だ。
しかし、それなら、ウイルス感染や病気で死んだ者もまた、他人のために立派に場所を譲った英雄である。

真の英雄である「他人を生かす者」とは、「場所を譲る者」と言えるだろう。
この世では、誰かがいなくなれば、その分、他の者の場所が増える。それが悲しい現実である。
人間以外の動物等の世界では、天敵が存在し、ある種が過剰に増えることは普通はない。ただ、人間だけが他の種を絶滅させても増え続けようとする。
その中で、ウイルス感染、自然災害、あるいは、戦争で亡くなった人というのは英雄であり、その意味で、我々は、その遺族や彼らの同朋を手厚く援助しなければならないのであり、同情からそれを行うのではない。
我々の命は、そんな人達の犠牲に負っているのである。

生命まで投げ出すことはなかなか出来ないが、可能な範囲で場所を譲ることなら出来るかもしれない。
リストラされた人は、他の人に場所を譲った英雄だ。自分の家の自分の場所を、それを持たない者に少しでも譲ることもまた英雄的行為である。
自分が食べる量を出来る限り慎み、それを他に回すこともまた、心の中の英雄が起こさせるものであるかもしれない。
映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」で、豪華な宮殿の中で広々とした場所を持っていた法王が、フランチェスカに「その貧しさに私は恥じ入るばかりだ」と言ったのは、自然な感覚なのだと思う。

自分が消え去った世界。それを不意に想像すると、悲しく寂しいかもしれない。だが、真の英雄とは何かが感じられるはずだ。
そして、自分が個の存在であるという、人類最大の幻想も消える。自分が消えることで、自分が世界であることを理解するのである。

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