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2010.09.07

われはロボットという自覚

突飛に感じるだろうが、もしあなたが、自分は人間でなく、アンドロイドだということが分かったら、どう感じるだろうか?
ショックだろうか?おそらく、そうだろう。
しかし、なぜだろう?
自分の身体が血肉でない、機械だからか?
それとも、自分の心というものが、コンピュータプログラミングに過ぎないからだろうか?
その身体が、人間以上だとしても駄目だろうか?
心とは、コンピュータプログラミングと比べ、そんなに優るものだろうか?
慶応大学大学院教授で、ロボットや人工知能などを研究している前野隆司さんは、著書の中で、自分が機械だと分かったとしても、どうということはないし、そんな時代は来るだろうと著書に書いている。人の心(クオリア)は、今は作り方が分からないが、そんなに難しいものと思えないという。

1973年の永井豪さんの漫画作品「キューティーハニー」は、何度もアニメ化、映画化される人気作品だが、この作品の画期的なところは、16歳の女子高生である如月ハニーが、ある日突然、自分がアンドロイドだったと知るが、ごく普通の感性を持つ彼女が、ほとんど葛藤を起こさないというところだ。彼の父親は、「ロボットが何だ、人間が何だ。お前は私の可愛い娘だ」と言い、ハニーも納得する。そして、回りの人達や、彼女を愛する人間の青年ですら、全くこだわらないのだ。
一方、古いアメリカのテレビドラマ「トワイライトゾーン」では、やはり、ある日突然、自分がロボットだと知った男は、自分を作った科学者を殺す。
このテーマのお話は、実際は大変に多いのだろうが、ハニー型とトワイライトゾーン型に分かれると言えるかもしれない。すなわち、アンドロイドの心がおだやかである場合と、非常な動揺や葛藤を起こす場合だ。
こういったお話が興味深いのは、そこには、人間の心の奥に潜む、重大な疑問があるからだ。
「私はいったい何者なのだ?」である。

そして、人は薄々は気付いているのだ。自分が本当はロボット、あるいは、コンピュータのようなものであることに。
そんな馬鹿なと思うだろうか?
我々は、自分の心というものが、自分固有の特別な何かだと思っている。考え方、好み、信念、主義こそが自分であり、それは何者にも侵すことのできない大切なものであると。
しかし、それは、ただの作りものかもしれない。普通は、多くの部分を母親が作る場合が多く、その他の家族がいくらかの個性を与え、学校や社会といった世間に押し付けられた考え方や感じ方を保持しているだけのことではないのか?
嫌なことに感じるかもしれないが、その嫌だと感じること自体が、作られた感性だ。あなたに、自分とは、良く言えば独立した、しかし、言い方を変えれば、孤立した頼りない存在だと思わせるのは、単に社会の都合からである。

だが、安心して良い。作り物の個性や自我を取り去ったら、大変なことが起こる。
あなたは、「歓喜の歌」を歌う。それは、ベートーヴェンの名曲にもなったシラーの詩の通りだ。「神の火花、楽園の乙女が、世間が引き割いたものを、再び1つにする」のだ。
私は、自分がアンドロイドであると諦めているのだ。「生きながら死人となり果てて、思いのままになすわざぞよき」(至道無難)である。


【われはロボット】
ロボットに心はあるのか?ロボットと人間の友情や愛情は成立するのかを初めて問うた歴史的傑作。
1950年の作品であるが、その価値は全く衰えないばかりか、現在において、ますます重要になってきたと感じる。

【脳はなぜ「心」を作ったのか】
現代科学が解明してきた脳の働きは意外なところも多く、我々の持つ、思考や感情の概念を修正してくれると思う。それは、一時的にはショックなところもあるが、我々が真の進化をするのに重要なヒントを与えることになるかもしれない。

【脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ】
世界的脳神経学者が説く、脳と心の驚異の新事実。天才、精神病から、聖者の体験まで説明してしまう現代科学は凄い。
しかし、だからこそ、分からない部分の神秘への畏敬は増すばかりではないだろうか?

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Comments

はじめまして。日比野と申します。
私も、似たテーマで、考えたことがあります。
意識を、受動的ととらえるか、能動的ととらえるかで、結論が分かれるようにおもいます。
下記が、拙ブログの該当記事です。御参考まで。
http://kotobukibune.at.webry.info/200804/article_13.html

Posted by: 日比野庵 | 2010.09.07 10:13 AM

そういえば数年前の絵のテーマは没個性でした。

絵でも性格でも、削り削って全てを取り去ったところに
本物の自分がある気がして、できるだけ特徴や癖を削って
絵を描こうとしました、今もそうですけど。
それでも癖って言うのはなかなか消えないものですね。

私も歓喜の歌を歌え日が来るといいな。
その時はこの世から一切の苦しみという幻影がなくなるとき
なんんでしょうね。

Posted by: ゆり | 2010.09.07 10:43 PM

★日比野さん
はじめまして。
興味深い分野ですね。
私は、どうも大方の人が、自分というものの範囲を誤解しているために、おかしな方向に進んでいるのではないかと思います。
皮膚の内と外で、自分と外世界に分けるのが、本当に正しいだろうかと思っています。


★ゆりさん
癖を取り去るのは、自我にとっては恐いものなんでしょうね。
自分を否定することですから。だから、誰もやろうとしないのだと思います。
歓喜の歌を歌うことは、現時点の我々の予想とは、相当に異なることだと思います。
きっと、驚きですね。

Posted by: Kay | 2010.09.07 10:51 PM

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