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2010.09.01

「せーの」は偉大なマントラ

「悪魔(デイモス)の花嫁」という漫画は、1975年に連載開始され、いまだ継続中らしい。原作は池田悦子さん、漫画はあしべゆうほさんによる作品だ。
古い時期のお話であるが、悪魔デイモスは、絶世の美少女である女子中学生の美奈子に、死の恐ろしさを見せ付けてから誘惑する。
「美しいお前も、いつかは老いさらばえて死ぬ。私の花嫁になれば、永遠の若さと命を約束する」
しかし、美奈子の迷いは一瞬で消え、明るくおだやかな表情で去る。
「死があるからこそ誕生がある。生まれいずる命は美しい。何にも増して美しい」
美奈子は悪魔に勝ったのである。

生まれいずる命はなぜ美しいか、ご存知だろうか?
「そんなの当たり前じゃない」と言う向きもあるかもしれないが、本当に分かっているのだろうか?それが本当に分かれば、悪魔にも勝てるし、世にも勝てる。
私などは、赤ん坊が美しいと思ったことなど一度もなかった。そして、そう思う人は大変に多いのだと思う。赤ん坊をコインロッカーに捨てたり、殺したりまではしなくても、さして可愛いと思っていない母親も少なくはない。だから、多くの女性が結婚したがらず、子供を産みたがらないのだろう。もちろん、女性だけでなく、男性も同じ傾向にある。

昨日も書いたが、人がこの世に「生れ落ちる」という言い方に人々の持つ奇妙な幻想が感じられるように思う。
人は生れる時に落ちたりしない。それでは、いかにも、地上というモノの世界に孤独に投げ出される感じがある。
もう少しマシな言い方をするなら、この世に生じるのである。
「運命を背負って生まれた」という言い方もあると思うが、これも、「運命と共に生じた」というのが事実に近い。
「運命」という言い方もまた、それぞれの人が孤独な存在である感じが強い。
最適な言い方ではないが、「関係性と共に生じた」というのがより実際を表しており、命の誕生とは、新しい世界が生じることなのである。
あなたは誰でもない。あなたは関係性の存在である。それは全宇宙との関係性だ。関係性の中には、個別の存在などない。あるのは関係性だけだ。あなたは宇宙全体であると確実に言えるのだ。
あなたは生まれもしなければ死にもしなかった。それが事実だ。

「荘子」の「斉物論」は、そのようなことを言っているのだろうと思う。斉とは、「一斉」という言葉に使われるように、等しいという意味だ。
「せーの」という掛け声は、「斉の」であり、「みんな一緒に」という意味だ。それは偉大なマントラだ。なぜなら、その「一緒」とは、宇宙全体を指すのだから。
自分が世界全体であることを自覚するには、「荘子」の斉物論のアドヴァイスを受け入れることは有益と思う。別に難しいことが書かれている訳ではない。一言で言えば、自然にまかせる、つまり、あるがままに受け入れるということだ。
慣れてしまえば、荘子の言う「一本の指も天下であり、一頭の馬も万物である」というのも、そうぶったまげたことではなく、むしろ、他人を出し抜くという考え方に違和感を覚えるだろうと思う。

「あなたは、この子の命を救うために、次元を超える力が欲しい。そうね?」
「はい」
「それには対価がいるわ。あなたはそれを払う気があるかしら?」
「はい」
「・・・。私はそれが何かまだ言ってないわ。それでもいいの?」
「構いません」
「対価は、その人にとって、最も価値のあるものでないといけない。あなたの対価は、この子との関係性」
~CLAMP著「ツバサ」より ※正確な引用ではありません~

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