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2010.09.13

死と別れの真相

私の親しかった人が亡くなっていることに、何年も経ってから気付いたことがあった。
つい最近も、昨年亡くなっていることを知った人がいた。皆、高齢ではなく、病気や事故が原因だが、実は、かなり多いのだ。
親しいと言っても、表面的には争っていたような人もいたが、そういうのを親しいと言うのだと思う。
「お前のことなどよく覚えていないが、相変わらず・・・だな」と言われたこともあるが、それを、とりもなおさず、よく覚えていると言うのだろう。自分の方からそう言ったこともあるからよく分かる。
ところで、亡くなられたと知って感じるのは不可解な感覚だ。それが、悲しいとか辛いといったものと一致するのかどうかよく分からないが、違うと思う。

子供の頃に自分が引っ越したり、あるいは、友達が引越していったという経験のある人も少なくないだろう。
今考えても、なんて馬鹿な話だと思う。
いくら嫌でも、子供がどうできることでもなく、子供自身も、割にあっさり諦め、受け入れてしまうものだろう。
しかし、昨日まで、あるいは、さっきまで仲良くしていた友達と、もう一生逢えないかもしれないのだ。
大人と異なり、子供の場合は、単に好きだから付き合うのだろう。それを本当の友情と言うのではないのか?
男女なら、小学校も高学年くらいになれば、まして中学生なら、立派に恋人同士と言って間違いない。
それが、もう一生逢わないなんて、どうしようもなく、理不尽(道理に合わないこと)と思えるのだ。

親しい人の死も、同じように感じる。悲しいというよりは、馬鹿げているのだ。
だが、何が馬鹿げているのかが私にも分からなかったが、本当は、別れてしまったという気持ちが馬鹿げているのである。
誰も死んでなんかいないし、別れることなど出来るはずがない。それが事実だ。それは、世間、大衆の思想とは一致しない。

人が死ぬことと自分が死ぬことに違いはない。
好きな人が死ぬと、「自分の中の何かが消えてしまった」とか「胸が空っぽになった」などと言うことがあるだろう。これが、自分と人の関係を直感的に表している。
試しに、自分がいつもいる場所・・・家の中の自分の部屋や居間、学校や職場の席。そんな場所から自分が完全に消え去っていると想像してみれば良い。
親しい人が死んだ感覚というのは、それに近い感じがする。
なるほど、馴染みの「自分」というものは消えてしまった。慣れないうちは、悲しいとか寂しいとか思うかもしれない。しかし、それは習慣的な思考のクセによるものだ。
やがて、分かってくるが、自分がいない状況を観照している自分の、なんと静寂で安らぎに満ちたものであるか。そして、自分の中に、世界への本当の親しみがあることに気付く。
死んだ人に対して感じるのも、一時的な悲しさ(それは偽りの感情かもしれないが)を通過すれば、そんな内側にあるものに対する懐かしさや憧れ、そして、それを忘れてしまう悲しさである。
だが、死を学べば、死などありえないし、別れなどありえないことが、頭で考えた理屈ではなく、純粋に明晰なものとして感じるに違いない。
悟りを開いた聖者は、人の死も、そして、自分の死も悲しまない。「死者は幸福である」「既に私は死んでいる」と言うのである。


【アイ・アム・ザット 私は在る】
小さな商店を営む、貧しい老人である聖者ニサルガダッタ・マハラジは、いつも「私はすでに死んでいる」「自分を地平線の彼方に感じる」と言う。
訪問者にシンプルなアドバイスを与え、究極の実在に目覚めさせようとするが、世間知に染まった人々には理解できない。しかし、それでもマハラジを尋ねるのは面白いことである。

【波動の法則】
生まれる前や死後の真実を知るには、世間によくある輪廻転生の書を読むより、本書を読んだ方が良いと思う。輪廻転生について書かれた書が悪いというのではないが、それらには生きた人の心が作用している。
実際、人は生まれもしなければ死にもしない。この本の著者の妹も、世間的には若くして死んだということになっているが、著者は悲観的に受け取っていないことが別の本で語られていた。

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Comments

私も全く同じことを思索いたしておりました。
昨夜の雷を境に季節が変わりました。
季節は巡り・・・しかしこの巡りは着実にこれまでとは違いますね。
秋、冬野菜の種を大地に降ろしました。

Posted by: 九州の百姓女 | 2010.09.13 at 09:55 AM

私の友達に東南アジアの祖父母をもつクオーターの女の子がいました
彼女の祖父母が住む地域では葬儀の参列者はみな喜び華やかに
執り行うという話を記事を読んで思い出しました。

Posted by: ゆり | 2010.09.13 at 02:07 PM

★九州の百姓女さん
田畑を耕す姿に憧れるなあ。もちろん、厳しいところはあるでしょうけどね。土、良いですね。


★ゆりさん
古い伝説や神話でも多くあります。
また、太古の時代は、人は、自分が死んだことに気付かなかったという話があります。

Posted by: Kay | 2010.09.13 at 10:53 PM

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