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2010.08.11

無茶をする楽しさと引き際

何事も、無理をせず、自然にやるのが上手くやっていくコツだろう。
しかし、そればかりだと、マンネリ(マンネリズムの略。型にはまって、独創性や新鮮味がなくなること)化し、意欲も情熱もなくなって、やり続けることができなくなる。
そんなことを考えてみると、人間に、「無茶をする楽しさ」というものが確実にあるのは、大きな意味があると感じる。
無茶はいけないが、無茶をしない人生など、全然楽しくない。特に、若い時は、無茶をやった思い出が欲しいのだ。

私は、丁度1年前の、やはり8月半ばに、毎日腕立て伏せをやろうと思い立った。
必ず毎日、継続してやることを最重要と考え、無理なく、楽に出来る範囲でやろうと決めた。
10回から始め、毎月10回ずつ回数を増やしていくのが楽しかった。しかし、5月始めに100回に達してから、回数が伸びなくなり、8月に入っても110回のままだったし、それよりも、面白味や楽しさを感じなくなってきていた。
そこで、2日前に何か閃いて、「今日から130回」と決めた。急に20回増やすのはちょっとしんどかったが、直観は確かで、不意に充実感が甦った。
何事もそうだが、自分をあまり甘やかしたり、楽をし過ぎてもいけないのだということを思い出すことができた。
かといって、150回にしていたら、続かなくなったかもしれない。150回にしようというのは、意欲というより、欲なのだと思う。英語では、「欲」はデザイアー(Desire)で、意欲はウイル(Will)と、はっきり異なり、この方がよく意味を表していると思う。日本語の「意欲」は、本来、「意志力」と言うべきなのだろうと思う。
例えば、無理や無茶をすると言っても、「24時間連続でゲームをやる」とか「ハンバーガーを20個食べる」というのは、デザイアー(欲)から来た無茶で何の意味もない愚かなことだが(愚かさを悟るという意味はあるかもしれないが)、「毎日原稿用紙1枚文章を書く」とか「どんなに疲れて帰っても1時間読書する」というのは、ウイル(意志力)である。

無茶というのは楽しいものだ。それは、人間が持つ、愛すべき愚かさでもある。
そして、無茶の限度を知ることが知恵である。この知恵がないと悲惨を生む恐れもある。
「引くべきところは引く」
それが出来ることを、正しい意味での大人というのだと思う。


【会社をやめてどう生きるか】
昭和57年(1982年)初版というから古い本で、とりたてて大した本でもないと感じたのが、いまだロングセラーを続け、私もなぜか書棚の一番目立つ場所におき続けている不思議な本。
著者の本多氏は、才気溢れる人でもなく、人付き合いの苦手な内向型人間で、私には「引きこもり気質」という同類の匂いすら感じる。当然、会社勤めは辛く、職業相談などという看板を出して独立したが1年間お客さんゼロ。暇つぶしに、毎日原稿用紙1枚の文章を書くことをノルマにしていたら、文筆家で成功してしまった。
人付き合いの苦手な人、内向型の人、引きこもりの人にお薦めしたい。
また、脱サラ、いわゆる「独立」するとしても、無理、無茶に見極めが大切なことも現実的に教えてくれる有り難い本だ。

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