時空を超えるマントラ
インドの貧しい老人、ニサルガダッタ・マハラジはよくこう言った。
「あなたは、身体も心も超えた存在。時間も空間も超えた存在」
世界中から、わざわざ彼を訪ねて、インドの片田舎の裏通りの彼の小さな家にまで来た人すら、その言葉に戸惑ったことだろう。
ましてや、ごく普通の人が、彼のその言葉を本で読んだら、反発を覚える可能性が高い。しかし、反発するとしても、それは妙な感じのする反発かもしれない。心の奥では、それが真実だと知っているからだ。
私は、身体も心も超えている。
私は、時間も空間も超えている。
私には、子供の頃には、それは当たり前のことだった。あなたもきっとそうなのだ。
1978年に、NHKが「キャプテン・フューチャー」というSFアニメを放送していた。
原作は、同タイトルのエドモント・ハミルトンの世界的なSF小説で、私が持っている「キャプテン・フューチャー全集1」の版権表示を見ると1940年となっている。
私は、この本の表紙の、鶴田謙二さんによるイラストの女性に惹かれて思わず買ったのだ。少女に近い雰囲気の伸びやかな四肢の女性が、ボディ・ラインを露にしたタイトで露出の高い衣装で両手首を後ろで拘束され、少し振り返る後姿。しかし、その表情には不安も絶望もなく、意志の強さを感じる。
さて、アニメの「キャプテン・フューチャー」の主題歌「夢の舟乗り」は、山川啓介さんの詩だ(作曲は大野雄二さん)。
山川啓介さんといえば、数多くのヒット曲があるが、「銀河鉄道999」(日本語詩。英語詩は奈良橋陽子さん)で知られ、また、矢沢永吉さんの代表曲「時間よ止まれ」の作詞者でもある。
「夢の舟乗り」の出だしはこうだ。
子供の頃は空を飛べたよ
草に寝ころび 心の 翼ひろげ
どこへだって行けたぼくだった
君を愛した時忘れてた 翼が
もう一度 夢の空飛ぶことを教えた
私の場合は、別に草に寝転ぶ必要はなく、トリップが始まるのは授業中の教室が圧倒的に多かった。
自分で心の中でデザインした宇宙船に乗り、どこまでも宇宙を旅した。あるいは、スーパーマンになって、高く高く飛び、そこから地球を眺め、月に行き、太陽系の惑星なら頻繁に訪問した。何ともリアルな思い出だ。
また、ウミガメになって海に潜り、難破船に忍び込んだこともあった。熱帯地方の島を空から見下ろした時は鳥になっていたのだろう。青い青い空を感じていた時は、高いところに吹く風だったに違いない。
さらに、ちょっと不気味に感じる生物を隠した海だけが広がる太古の地球や、膨張した太陽が地球を飲み込む未来さえ見た。
それは全て生き生きとした現実だった。鮮やかな色彩に溢れていて、「私はそこに在(い)た」。片や教室はモノクロの死んだ世界だった。そこに私は在(い)なかったのだ。
私が、身体も心も超え、時空を超えていたことは明らかだ。
マハラジはこうも言った。
「あなたが確信できることは、『私は存在する』ということだけだ」
「『私は在(あ)る』が至高のマントラ(呪文)である」
夢のツバサをひろげれば、時間も空間も超えて旅し、その色のある光景の中に「私は在(あ)る」。
「今、ここに」在る私は、個我(エゴ)としての私である。だが、私が輝きをまとった時、「今、ここ」は消える。一瞬は永遠になる。私は宇宙になる。
マハラジの教えは究極には1つだ。
「常に(何をしている時でも)、存在するという感覚に注意していなさい。それが無意識への扉を開く」
ならば、マハラジの言う究極のマントラ「私は在(あ)る」の助けを借りよう。
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