虹の根元の宝物
「虹の根元には宝物が埋まっている」という伝説があるらしい。「らしい」というのは、私は、これを、立川恵さんの漫画「怪盗セイント・テール」と、そのアニメで知っただけだからだ。
それがとてもロマンチックな話だった。
雨上がりの早朝、空には虹が出ていた。風邪で高熱を発していた14歳の少年アスカJr(ジュニア)は、虹の根元には宝物が埋まっているという話をどこかで聞いたことを思い出す。しかし、科学的に虹の根元などあるはずがないと苦笑しながら、ついに倒れる。ところが、顔を上げた時に、虹の根元の方向に少女が現れる。クラスメイトの芽美(めいみ)だ。驚いて駆け寄る芽美に、意識が朦朧としたアスカJrは普段なら絶対に言いそうにないことを言う。「お前が好きだ。嘘じゃない」。気の強いところもあるが、本質的に純情な芽美は呆然自失し、身動きも出来なくなる。彼女もアスカJrを愛しているのだ。虹の根元には、本当に宝物があったのである。
あまりに有名な、ジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方(Over The Rainbow)」の古い音源から作られたCDを私は持っているが、虹の彼方には、全ての願いが叶う夢の国があるといった歌と思う。
昔から、人類は虹という神秘的な現象に様々な想いを馳せた(気持ちや考えを遠くに至らせること)ようだ。言い換えれば、虹は人類の想像力を発達させたとも言える。
ところで、虹というのは面白いものだ。
虹は滅多に見られない。もちろん、噴水の近くに言ったり、ホースでシャワー状の水を降らせたり、あるいは、ガラスコップを使えばそこそこの虹を見ることが出来る。だが、最も感動的なのは、予期せずに空に現れる自然現象としての虹で、これに遭遇することはあまりない。一生に何回かしか見られないかもしれないし、「最後に虹を見たのは10年前」なんて人も珍しくはないだろう。
だが・・・。
実をいうと、虹はどこにでもあるのだ。
虹というのは、光(太陽光)と水滴と観測者の位置関係で出現するもので、この3つが存在する時はありふれている。ただ、観測者である人間の位置が悪いだけのことだ。
言い換えれば、虹というものは、人間と関係なく、独自に存在する訳ではない。ある意味、人間が虹の存在に大きく関与している。
それを科学的と言うなら、あらゆる現実に人間が関与しているというのも科学的なことだ。
さて、虹の根元にたどり着こうとしても必ず失敗する。上に述べたような理由で、あなたが動けば虹も動くからだ。
しかし、虹は本当はどこにでもある。なら、今、ここが虹の根元である。それは、ロマンチックな空想ではなく事実であり、幸運も、あると思えばあるというのも、レトリック(美辞麗句。巧言)ではなく、絶対に本当のことだ。
ただ、ちょっとしたコツはある。
最初に私が、長々と「怪盗セイント・テール」の話をしたのも、そのヒントがうまい具合にそこにあったからだ。
アスカJrは高熱のため、芽美は精神的な衝撃のため、いずれも自失、つまり、我を忘れた。
我を忘れる・・・忘我を英語でエクスタシーと言う。数多くの芸術家や賢者、あるいは、最高の科学者は、エクスタシーが人と神が一致する瞬間であることを見抜いていた。その実例だけで私は何時間でも話ができるほどだ。
我を失くせば幸運はいたるところにある。いや、我々自体が幸運なのである。
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