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2010.08.26

生きるチカラ

私が、これほどの名曲はないと思うのが、時代劇「木枯らし紋次郎」の主題歌として今もよく知られる「だれかが風の中で」だ。
曲も歌も素晴らしいのだが、やはり詩が凄い。詩の内容は、簡単に言うなら、孤独で辛く苦しい人生を送ってきたが、きっとどこかで誰かが自分を待っていてくれるのだというものだが、凄惨さと希望がせめぎ合うような劇的な傑作と思う。それは、もしかしたら根拠のない希望なのかもしれないが、それが人に生きる力を与えるのである。
漫画家の水木しげるさん(「ゲゲゲの鬼太郎」の著者)が、凄絶な戦争体験の中で得た、「見えないものを信じることで精神は安定する」という信念のまさにお手本のようなものに感じる。
「だれかが風の中で」の作詞者の和田夏十(わだなっと)さんは偉大な映画脚本家として知られている大変な女性である(本名は茂木由美子)。

ところで、「だれかが風の中で」に似たモチーフ(主題)を感じる歌に、アニメ「キャンディ・キャンディ」のエンディング曲であった「あしたがすき」がある。こちらは、子供(特に女の子)向けのアニメのものなので、暗さの一切ない明るく希望に満ちた歌だが、日本を代表する児童文学者である名木田恵子さん(「キャンディ・キャンディ」の原作者でもある)による詩は美しい。「あのひと」が私を待っていてくれるに違いない明日を夢見るという、まさに、10歳の夢見る少女キャンディに相応しい詩だ。

さて、光あれば闇ありだ。
内容的には似ているのだが、ただ暗く、陰鬱で悲惨なだけの曲が、ビートルズの「エリナー・リグビー」だ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの合作である。
エリナー・リグビーは女性の名で、老女と見なされるかもしれないが、40代とか50代の女性と思ってもおかしくないと思う。
結婚式の後の教会で米粒を拾うほどの貧しい女だが、せいぜいお化粧をして、窓辺で王子様(歌の中では、単に「誰か」とされているが、雰囲気は王子様と思う)を待ち続けるうちに死んでしまう。

「だれかが風の中で」「あしたがすき」と、「エリナー・リグビー」がなぜ違うのかが分かれば、幸福の鍵もつかめるような気もする。
エリナー・リグビーは、「だれかが風の中で」や「あしたがすき」と同じことを考えていたかもしれないのに、何が悪かったのだろう?
彼女は、本当に王子様を信じていたのだろうか?若くもない彼女がそんなものを信じてどうなるものかどうかは分からないが、彼女は本当は信じていなかったのだろう。
彼女には、明るさ、前向きさがなく、人が生きるために必要な希望を持つことが出来ずに死んだ。見えないものを信じようとして信じることができなかった。

「今の世の中は夢が持てない」と不満を言う者がいる。しかし、夢を持つなんてことは命懸けのことなのだ。それは、心の全ての力を要する激しい活動だ。
それを、待っていれば与えられるとでも思っているのだろうか?

「あしたがすき」は、やはり少女の歌だ。
かつて、37歳のオリビア・ニュートン・ジョンが、恋の苦しさを切々と語る歌を作ったことがある。まあ、彼女ほどの美女ならサマにならないでもなかったが、やはり奇妙だ。どういう経緯で作ったかは分からないが、単なる娯楽用の曲だったのだろう。
本当に信じることができるためには、自我を確立し、自分で個性を育てた大人になる必要がある。それからも、長い間心は揺れ、自我の動揺に苦しむに違いない。だが、希望を見出すのはそんな時だ。
苦しみのない希望はない。苦しみこそ希望の曙光だ。それが分かれば、苦しみもすみやかに去るだろう。

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