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2010.08.20

世界劇はどう進むか

我々の状態を、分かり易くたとえで言うと、こんな様子である。

子供が、1人遊びをしている。
お父さん役、お母さん役から始め、お兄さん役、お姉さん役、弟役、妹役、おじいさん役、おばあさん役と広がっていった。
お父さんとお母さんにケンカをさせると本当に悲しくなった。
さらに、友達や先生や近所の人達や泥棒も登場させた。
この劇が面白くあるよう、あまり突飛なことが起こらないようにし、それぞれの登場人物達の性格や能力にもある程度の制限を持たせた。
もはや、それぞれの登場人物は、遊んでいる子供とは独立したような個性を持っているように思われた。
そして、劇が、素晴らしく、美しいものになるようにしたいと思った。
遊んでいる子供は、登場人物達を愛したが、劇全体を美しいものにするためには、時には不幸も起こす必要があった。しかし、それによって、仲が悪かった者達を和解させることもできた。
やがて、幸せにしやすい登場人物と、そうでない登場人物がいることが分かった。
美人だったり、能力の高い登場人物を必ずしも幸福にしやすいわけでもないことにも気付いた。
最も幸福にしやすいのは、我欲が少なく、劇を支配している自分に素直に全て任せてくれるタイプだった。

劇が進み、いろんな人物が登場する中で、劇が複雑になり、まるで劇自体が勝手に進行していくようだった。
幸福な劇にしたいが、なかなかそうはならなかった。
その大きな理由が、登場人物達が、自己本位の考え方を持ち、さらに、人々の間に共同の奇妙な思考パターンが出来上がるからだった。
しかし、遊んでいる子供自身が劇の登場人物になっては、劇が成り立たない。
そこで、子供は考えた。自分の代理として、賢者を登場させ、自分と登場人物達との関係を、人々に教えるのだ。教えられて信じた人達は幸福になったが、そうでない人達は、やはり幸福にし難かった。

登場人物が死ぬこともあった。そんな人は劇の中からは消えるが、遊んでいる子供は彼を忘れなかった。彼の個性は自分の中で生き続け、劇の中に再登場させることもあった。
そして、こんなことが分かってきた。
劇という仮想の世界は、登場人物達が自分勝手な幸福を追求するほど偏った世界となり、そのままだと破綻する。
どこかで変革を起こさないと、美しい劇にならない。
何度も賢者を登場させ、「真理」を教えたりもした。時には、奇跡を起こして、登場人物達の意識をある程度はがらっと変えたりもした。
しかし、思うようにいかないので、大災害を起こして世界を終わらせるのも1つの方法であると思った。
複数の劇を同時に行うようにもなった。それぞれ、かなり異なる世界にすれば、違いを楽しめたし、ある世界を美しくするために、別の世界の在り様が参考になることもあった。そして、異なる世界を交流させるという、新しい遊び方の検討も始めた。

以上は、あくまでたとえを思いつくまま書いたので、だいたいの話と思ってもらえば良い。
賢者は言うのだ。「お前は本当は誰なんだ?」と。
登場人物がそれを悟ると、主催者との間に特別の関係が成立する。登場人物が登場人物として世界を美しくしようとしても、それは複雑で難しい。しかし、自分との強い関係性が成立し、いわば一体化した登場人物は、全てが思いのままなのである。

今回の話と似た趣旨の内容がある本をご紹介する。

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