荒ぶる武士の禊
1日のうちに、何度も、怒りや憎しみや嫌悪といった感情が起きる。
時に激しい場合もある。地獄とは地の底にあるのではなく、そんな心のことを言うのに違いない。
そんな嵐のような感情を快感と感じるなら、それは魔道である。
激しく他を非難、批判し、糾弾して醜い喜びを感じている者も少なくはないかもしれない。それは自分を地獄に叩き落すことであるのにである。
怒りや憎しみの対象そのものが嫌なのではない。
本当は、そんな気持ちを起こす自分が嫌なのだ。
だが、そんな心を静める術はない。
せめて醜い感情の炎に自分で油を注がなければ良いのだけれど、なぜか煽り立てずにいられない人が多い。
戦場で武士は自ら花を生け、茶を点(た)てた。
最大の荒ぶる心を起こさないと殺されるし、また、荒ぶらずにはいられない。
しかし、ふと我に帰ると、そんな自分をおぞましく思うのである。
それで、禊(みそぎ)のために花を生けるのだ。
黒住宗忠は、ほんの少し慌てたり驚いたりして心を乱しても神に詫びた。
なぜなら、自分の心は神の心の一部であるのに、心を乱すことで神の心を痛めたことを感じていたからだ。
なら、憎しみや貪欲や怒りがいかほど恐ろしいものか。
そして、我々も、醜い感情が神である自己の本心を汚していることを本当は知っているからこそ、そんな気持ちになることが嫌なのだ。
少女が、好きな男の子が別の可愛い女の子に優しくしているのを見て心を傷つけるという話はよくあるだろう。
「灼眼のシャナ」の中で、一美という清純で優しい少女が、そんな気持ちを適切に表現していた。
「嫌だな。こんな気持ち」
初めて嫉妬という感情を味わった彼女は、嫌なのは状況ではなく、自分の気持ちだと気付いていた。
登る太陽の迷い
偶然は秘かに仕組まれた
いっそ必然
目の前に今晒された
不覚に歪む感情
~“Re-sublimity”より(作詞、歌:KOTOKO)~
心は自分ではどうにも出来ない。
テクニックで感情を支配しようなどという話もあるが、うまくいくことは決してないだろう。
だがそれは、自分の心が神の心の一部であることを感じる機会であることも確かなのだ。
もし、感情や、その原因である出来事が因果によって起こるのなら、それは我々の能力の及ぶ範囲をはるかに超えている。
ならば、神仏にまかせるしかない。自己を超えた何かが、確かに取り計らってくれるだろう。
だが、神の心と一体である自分の心はそれを邪魔することもできる。無力でないことが、かえって仇になるのだ。
あえて邪魔をしないために、1日中何かに熱中できるなら幸せだ。そうでないなら、1日中、腹から力を抜かずにいるか、念仏でも唱えることだ。
道綽大師は1日7万回、法然上人は1日6万回、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えたと聞く。
岡田虎二郎は、1日中、下腹に力を込めよと教えたようだ。
ラマナ・マハルシは、常に「私は誰か?」と問えと教え、ニサルガダッタ・マハラジは、存在の感覚に常にしがみつくように指示した。
それは、神仏に全てをまかせる自己の明け渡しか、心を消してしまうことであるようだ。
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Comments
心にすっと風が通り抜けるような、きれいな文章ですね。
聖書の言葉を思い出しました。
わたしは自分のしていることがわかりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを五体の内にある罪の法則のとりこにしているのがわかります。
ロマ7;15、20、23
僕は本当に自分が誰なのか、わかりません。ひきこもりたいのに、それを邪魔されると体が震えてきて、気持ちがあらぶってきます。
僕は罪と生きているのでしょうか。でも、きれいな言葉はわかります。きれいな言葉を読もうとするのは、僕の禊ぎみたいなものなのでしょうかね。
Posted by: しゅう | 2010.07.15 01:52 PM
★しゅうさん
聖書のこの言葉は存じませんでしたが、私が思っていることと同じで驚きました。
心は自分ではどうにもできないものだと、私は最近、諦め気味です。
禊にも、それぞれの人でそれぞれにやれば良いと思いますが、私は最近、念仏にはまっています。
Posted by: Kay | 2010.07.15 09:56 PM
ありがとうございます。
Kayさんでも諦めることがあるのですね。安心しました。
聖書の言葉は聖パウロの言葉です。
諦めたときに何かが見えるのでしょうかね。
最近ずっと辛かったので、コメント返していただけて、うれしかったです。
Posted by: しゅう | 2010.07.16 12:08 AM
★しゅうさん
世の中は、なるようにしかなりません。しかし、そう開き直ると、確かに何かが見えてきますが、それは自分で体験するしかないと思います。
まあ、何事も、何とかなると思えば何とかなると思います。
Posted by: Kay | 2010.07.16 09:58 PM