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2010.07.11

行住坐臥

「これをやるために生きている」というものを持っていることが幸せだし、その人には真の自己への変革が起こる。
それは、「寝ても覚めても」という言葉で言い表せるが、文字通り、起きている時はもちろん、寝ている時も継続しているのである。
ある著名なヨガ指導者が、「常に肛門を締めておけ、ただし、寝ている時は(そうでなくても)仕方がない」と言ったが、なら、肛門を締めることは良い訓練ではあっても悟りへの道ではない。
ある、「スターウォーズ」の熱狂的ファンという男が、「起きている時間は全てスターフォーズのために使っている」と言ったが、それなら、過激ではあっても、やはりただのマニアである。
常に危険の中にいる戦場の兵士や、いつも緊張状態にいる諜報活動員でも、案外に気の抜けた時間があり、特に寝ている時は無防備なのだ。彼らが神になることはない。

コリン・ウィルソンの「右脳の冒険」で、普通の男だが、悟りに達した賢者の話がある。
彼は、精神を病んだ妻を24時間、寝ている時ですら監視し続けたのだ。ウィルソンは、彼の緊張が解けた時に彼に変革が起こったと言うが、逆に言えば、彼の悟りが、平穏な状況をもたらしたと言えるのである。
法然は、師と仰ぐ善導大師の「行住坐臥」、つまり、歩いていても、止まっていても、座っていても、伏せていても、常に念仏を唱えよという教えが最も重要であることに気付いた。岡田虎二郎は、法然の気付きを賛嘆し、自分の静坐も全く同じである、つまり、静坐とは常に行うもので、生活しながら静坐するのでは不十分で、静坐しながら生活するようでなければならないと言った。そして、1日中、怠りなく、下腹の力を抜かないことを教えた。

それぞれが何を行うかは縁の問題もある。しかし、世の中に偶然はなく、縁は必ずある。
寝ても覚めても怠りなくやれることが誰にでもある。
それをしていれば、人間にとって最も恐ろしい敵である世間の幻想を打ち破ることができる。
「歎異抄」によれば、親鸞は、念仏の行者は、「天神・地祇(古事記で言う、天神、国神のこと)もこれを敬い、悪魔も手を出せず、自分の悪い行いの報いも受けない」と言ったようである。この念仏の行者とは、やはり、善導や法然の言う、「行住坐臥」、即ち、いついかなる時も念仏を唱える者のことだろう。
岡田虎二郎は、静坐が健康法や何かの訓練として広まるのを見て世から隠れたのかもしれないと思う。つまり、49歳の若さで亡くなった。著名な作家、D.H.ロレンスは、胃の裏側にある太陽神経叢に、科学の理解を超えた驚異の力があることに気付いていた。虎二郎が言った、常に腹に力を入れよと言ったのは2重の意味で重要なのである。どう腹に力を入れれば良いかは、静坐をすれば分かると思う。

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