甘い眠りは地獄の入口
国家、世間、個人の自我は醜い怪物である。
しかし、実に面白いことに、これらは真理をよく知っているのだ。
これらは、真理を知っているがゆえに、真理を破壊しようとするのである。
ならば、真理を知りたければ、国家、世間、自我に聞けば良い。
つまり、国家が弾圧するもの、大衆が糾弾するもの、自我が拒否するものが真理である。
国家が手厚く保護し、大衆が賞賛し、個人がうっとりするようなものは真理ではない。
岡本太郎の芸術は真理にごく近い。
岡本太郎は、芸術とは、
うまくあってはならない
きれいであってはならない
いやったらしくなければならない
と言ったが、うまくもきれいでもなければ、国家も大衆も受け入れない。
国家や大衆が拍手喝采するものが芸術であるはずがない。
そして、個人に関しても、反感を感じないようなものは芸術ではないのである。
宗教の本来の姿である、「理」とか「道」というものがまさにそうだ。
うっとり、心酔しながら聞く教えからは、何にも得られないばかりか、堕落する一方である。
本でも、ムカムカしながら読むくらいのものが丁度良いのである。
岡本太郎は、自分が制作した彫刻をさかんにけなし、文句を言いながら、雨の中、長時間見入っていた人を見て満足したと言う。
甘い眠りは地獄の入口になっている。恐るべき、恐れるべきである。
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Comments
全く同感です! 通勤時必ず 渋谷の壁画スレスレを歩いています。 あのエリアの人の流れを必ず確認しつつ… 甘い眠りは全く必要としませんから
Posted by: 白雪 | 2010.07.18 09:12 AM