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2010.07.10

人生なんて楽なはず

ラマナ・マハルシが教えた真我を実現する(悟りを開くと同じ)方法は、常に自分に「私は誰か?」と問い続けることです。
これは、それを行う時間にやれば良いのではなく、1日中、いつでもやるべきことです。
ただ、これをやったからと言って、何か得をするとも、世俗的な恵みを得られるとも言われていません。実際、マハルシは、生涯に渡り、ふんどし1本しか所有しませんでした。

ところで、マハルシは、実際には、ほとんど会話をしなかったようです。
だから、マハルシが余計なことを話さずに済んだという面もあり、私が余計なことを言うのもやや気が引けない訳ではありませんが、少し話しましょう。
現世的な利益はなくはなく、また、ないはずもありません。
言ってみれば、潜在意識の法則も、引き寄せの法則も比較になりません。
マハルシは、確かに、自分ではふんどし1本しか持ちませんでしたが、帰依者達が素晴らしい住居や道場を布施し、身の回りの世話を真の敬意をもって丁重に行っていました。贈り物は世界中から引きも切らずで、マハルシは直接には一切受取りませんでしたが、弟子達の配慮でマハルシの生活の潤いとなっていたことはあるかもしれません。

マハルシと違い、ニサルガダッタ・マハラジは、世界中から訪れる来訪者達の質問によく答えていました。
その中で、人生は本来、とても楽なものであることを明かしてしまうこともありました。
もっとも、彼らに全く劣らない日本の聖賢である黒住宗忠は、それをはっきりと教えていました。人生は本来、ただ嬉しく面白いものであるはずだと。

このように、何も求めず、悟りへの道をただ行くことで現世においても恵まれることには確かに原理があります。
これについては、法然や親鸞の念仏の教えの中に、微妙なものではありますが、自然な理として明らかに認められます。シャーロック・ホームズ風に言えば、「純粋にして明晰なこと(だよワトソン君)」です。
もちろん、物質的な利益を求めて悟りへの道を行こうとしてもロクなことにはなりません。とはいえ、熱心にやるなら、自然、正しい方向に向かうこともまた、優れた業法の特質です。
マハルシの教える「私とは?」と問い続けることでも、マハラジの教える存在の感覚にしがみ付くことでも、法然や親鸞の教える念仏でも、道元の座禅や岡田虎二郎の教えた静坐でも、そのために生きていると言えるほど、ただ行えば、いかなる意味においても失望することはないはずです。

Living is easy with eyes closed
(まやかしを見なければ、人生なんて楽なものなんだ)
~ビートルズ“Strawberry fields forever”より~

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