異邦人
私が好きな小説として迷わず上げるのは、アルベール・カミュの「異邦人」だ。
また、私が主人公をこれほど愛せた小説も珍しい。それは、ムルシーという、一見平凡で、たいした見所も無い青年だ。
「きょう、ママンが死んだ」
という、冒頭の言葉は有名であるらしい。邦訳は昭和29年(1954年)に出版されている。
ムルソーは、ママンが死んだのは昨日かもしれないと思うが、それはどうでも良いことらしい。ママンは養老院にいて、彼はあまり面会にも行かなかった。養老院までは遠いし、休日を「ふいに」するほどの価値はないからだ。
葬式のために養老院に行くのさえ「おっくうな」雰囲気で語られる。ママンの顔を見ようとしないことで守衛の男を驚かせ(ついに見なかった)、通夜や葬式の様子を淡々と倦怠感をもって描写する(結構面白い)。
ムルソーがママンを養老院に入れたのは、ママンに必要な介護人をつけるだけの収入がなかったからだし、それよりも、一緒にいて話すことが何もなかったからだろう。
だが、彼は、「ママンのことは多分好きだったと思う」と言う。
リリィという、若くて美しい女性がムルソーに、「私と結婚してくれる?」と尋ねると、ムルソーは「いいよ」と即答する。しかし、「私を愛してる?」と聞かれると、「どうでもいいことだけど、多分、愛してない」と言って、リリィを戸惑わせる。
しばらくして、リリィが「結婚しましょうね」と言うと、ムルソーは「君が望むならいつでも」と答える。それでもリリィを愛しているわけではないのだが、いつもリリィに自然な気遣いも見せるのである。
ムルソーは冷血漢でも情緒欠落症でもない。
誰もが嫌って避ける、落ちぶれ果てた薄汚ない老人が、長年飼っていた犬(病気でとても汚い)がいなくなって狼狽していると、彼をアパートの自分の部屋に呼び、老人がいつまで居ようと構わない様子だった。
コリン・ウィルソンは、彼をほとんど一夜で世界的作家にした「アウトサイダー」で、この「異邦人」のいくつかの場面と共に、ヘミングウェイの「兵士の故郷」のこんな場面を取り上げている。
私は「兵士の故郷」を読んでいないし、「アウトサイダー」の記憶もおぼろなので正確ではないが、こんな感じだったと思う。
若い兵士が、母親のいる故郷の家に帰るが、何か気まずい雰囲気ででもあるようだった。母親が、「ママを愛しているかい?」と聞くと、彼はすぐに「いや」と否定する。しかし、母親が泣くか、泣きそうになるかすると、彼は「冗談だよ」と言う。
だが、母親が一緒にひざまずいて祈ろうと言っても、それだけはどうしても出来なかった。
ウィルソンも、サルトルも、「異邦人」について何か難しいことを書いているし、カミュ自身の「シーシュポスの神話」自体が「異邦人」の解説らしが、これも小難しい。
私に言わせれば、ムルソーは意識的にか無意識的にかはともかく、大衆思考に飲み込まれるのを嫌っただけだ。もっと的を得た言い方をするなら、世間の人々が共有する幻想を持っていないし、持つことを拒否しているのだ。
私自身がそうであるし、ムルソーが私自身であると疑うことなく確信できるからだ。
イェイツが「大衆の中に真理はない」と言い、エリオットが作品中で「やつらが求めているのは愛なんかじゃない、憎しみなんです」と書いていたことを思い出す。
戦争中、日本の兵隊は、一人一人はとても良い人なのだが、集団になると残忍なことも平気で行った。それは、どの国でも似たようなものと思う。ただ、日本人の兵隊は極端であったとは思う。
世間・・・学校や会社や社会、あるいは、民族や国家は醜く汚れて歪んだ幻想で出来ている。
世間で成功するためには、このおぞましいものと迎合しなければならないし、それをただ拒否すれば引きこもりになるしかない。
だが、悟りを開けば、荘子が言うように、「世俗にあって世俗を超える」ことができる。
苦しい人は良い位置にいるのだ。よほど苦しくないと、悟りへの道に向かおうとしない。それは浄土仏教で「白道の教え」として示されていることで、法然の「選択本願念仏集」で分かりやすく語られている。
ムルソーがいかにして悟りを開くかを見て欲しいものである。
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Comments
Kayさん、こんにちは!
Kayさんがいつもいわれている、世間に同調しないという考え方・・
とても励まされています。
今の日本の社会・・ 普通に毎日働いていると、ストレスをあらゆる場面で感じてしまい、
個人主義文化が根付いていないためか、仕事は一生懸命やっても、
私は私・・なんて雰囲気は許されません。
そんな態度では、結局自分が余計に働きにくくなるだけなので、
ある程度集団に同調せざるをえず、それがストレスになってしまいます。
そして今日書いていらした文章の中の
戦争中、日本の兵隊は、一人一人はとても良い人なのだが・・
という所、とてもよくわかります。
たいていの人は、一人ひとりはいい人というのはわかるのですが、
本音と建てまえがある社会であるためか、しっくりこないことが多いのですよね・・
よって心の底から感動することも少ない・・
結局みんな本音で生きていない、生きることができない社会ということに
問題があるのかなとも思います。
本音で生きることイコールわがままを通すことではないので、
実現不可能なことではないと思うのですが、
それすらも現在の日本社会では拒まれている気がします。
だから、Kayさんのような考え方を持つ方がいらっしゃって、
毎日勉強になることを教えてもらえるのは、
本当に勇気をもらえるし励まされます♪
いつも感謝しています。
あとKayさんがいつもおっしゃっている小食のすすめについても、
とても共感できるため 今は一日に二食をよく噛んで腹八部・・・を実行しています。
私は食べることが大好きで、今までストレスを食べることでごまかしていた
悪習慣があったため、いつもなんとかしたいと思っていました。
でもKayさんの 自分で「1日1食」と決めたなら続くはずです。
自分で決めたものですから、
当然、根性のようなものは不要で、問題なく実施できます。
力みはいけない、力みは欲である・・・
という言葉に、なんだか目が覚めさせられた気がして、
力まず心を平静に保とうと努力することで、続けていこうと思います。
日ごろ感じている感謝を伝えたかっただけなのに、
とても長い文章になってしまいました。すいません。。
Kayさんのブログでこれからも勉強させてもらいます☆
本当に感謝しています。ありがとうございました☆
Posted by: mia | 2010.07.09 06:56 PM
★miaさん
ご立派で、私が何も言うことはありません。
miaさんは、ご自分で考えて、立派にやっていける方だと思います。
私が一日一食なのは、それが一番食事が美味しいからではないかと思っています。全然大したことありませんが。
Posted by: Kay | 2010.07.09 11:05 PM