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2010.07.20

アヤカ

あやかという名前を持つ女性が時々いるが、果たして、意味を知ってて付けたのか?意識的、あるいは、無意識的にでも。
あやかという言葉の美しい響きだけでも、愛娘に名付ける理由として十分であるが、この名を持つ女性の運命は特異となる。
あやかというのは、特殊な名前であるのだから。

あやかは、「あやかし」でもある。あやかしは、「妖」と書かれることもあり、悪というのではないが、ケルトの妖精のような恐ろしさも感じさせる。
ケルト人の自覚のあった、「20世紀最大の詩人」と讃えられるアイルランドのW.B.イェイツ(ノーベル文学賞受賞者)は、その自伝的小説「まだらの鳥」で、絶世の美少女マーガレットに対し、「過ぎた美しさは、かえって哀れさを感じさせる」と書いているが、あやかしというのは、それとどこか似た雰囲気がある。
実際、あやかとは、究極の美という意味なのだ。

そして、あやかは、阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)という、日本の神様から来ている。女神としてイザナミより先に存在した天津神(天の神)である。
あやかの性質が現れると、幼い頃から異常な美しさを持つことがある。先に書いた、マーガレットのように。
その美しさには、儚さを感じさせる。なぜ美しいと儚いかというと、この世では、単一の存在としては、美しいものは長くとどまれないからだ。花の命は短い。どんな美少女も、「そのままでは」あっという間に衰える。
今でも、「仮面ライダー」等で知られる漫画家の石ノ森章太郎さんのお姉さんは非常に美しい人だったようだ。まだ幼い姉に、1人の行商人が「この娘は美し過ぎる。美人薄明」と言ったことを、もっと幼なかった章太郎は覚えていた。そして、姉は23歳で亡くなった。
原作者はSF作家の平井和正さんだが、石ノ森章太郎さんの代表作の1つでもある「幻魔大戦」で、主人公の丈(じょう)の姉が、石ノ森さんの姉と関係があるのではないかと思わせる。丈に献身的な愛を注ぎ、死んでからも丈を守り続ける姉である。

しかし、あやかは誰の中にもいる。特に女性はその性質を現すことがある。
コリン・ウィルソンの「賢者の石」という小説で、まるで美しくないただの中年の女性が、あることで驚くべき美女に変貌するが、それは自然にあり得ることだ。
ウィルソンで思い出したが、最近、テレビでハーフと思える非常に(異常に)美しい女性を見た。名はアヤカ・ウィルソンといい、以前からモデルや女優として活躍しているようだが、私は全く知らなかった。誰もがそう思うだろうが、私も一瞬、大人の美女かと思った。しかし、「もしかしたら 12歳くらいかもしれない」と思ったら、本当に12歳だった(来月13歳になる)。宿命的にこの名を背負ったとしたら、心を磨かないと名前を裏切る。
実際の名前はどうでも、人は内にあやかを秘めているのであり、花の命は短いけれども、心を磨けば永遠でもある。上にあげた、「幻魔大戦」の丈の姉のように。


【賢者の石】
考えてみれば、コリン・ウィルソンの小説というのも珍しい。もちろん、ウィルソンが書くのだから、ただのお話ではない。人間の可能性への洞察を神秘的なストーリーに込めた世界的ロングセラーである。

【幻魔大戦】
著者の石森章太郎(後に石ノ森章太郎)さんが、第2の聖書を書く意気込みで描いたという傑作漫画。壮大な宇宙スケールのお話ではあるが、何をやっても駄目で心がいじけかけた主人公、東丈の成長という視点から見ても興味深い。それは我々自身の物語でもある。
原作者の平井和正さんのライフワークともいえる「幻魔大戦」であるが、平井さんも初め漫画家を目指していたそうだ。しかし、平井さんは石森章太郎さんを見て、「こんな天才に敵うはずがない」と思い断念したことがあると聞く。このコンビは、後の「新幻魔大戦」まで長く続く。

【まだらの鳥】
20世紀の詩聖イェイツの未完の小説のバラバラだった原稿をまとめたものだが、苦心のかいあって素晴らしいものとなった。イェイツの偉大な想像力が生み出した幻想的な美の輝きは忘れることが出来ない。

【超訳古事記】
子供の頃、古事記とギリシャ神話で心を救われた著者が、学者らしくない自由訳を行った古事記である。私はこれで、どんな名訳を読むより古事記の本質に近付けたと思う。
著者は、横尾忠則さんのグラフィックアート集「天使の愛」に序文を書かれていたが、天使の存在を感じることが出来る。そんな感性も感じる超訳であると思う。

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Comments

私も美しすぎると儚いというのはつくづく本当だと思いますが、実際のところ本当に美しい人って芯が強くしなやかな気がします。

だからこそ、今人気のあるマンガやアニメでは強い女性がえ描かれやすいのかもしれませんし、人間て言うのは美しく強いのにそこに儚さという矛盾を見出したがるものなのかもしれません(日本人の感性でしょうか)。

世の中の女性は美しくなりたがるものですが(私も含め)絶世の美女になる、生まれるということはそれだけの孤独に耐えねばならいなか、多くは悲運に襲われるか、何か美しく生まれなくてはならない理由があるか、そのどれかなのだと思います。何かの本に美しい人というのは誰か一人のものにはなれないと書かれていたのを印象深く覚えていますが、なまじそれは全否定できないように思います。以上の意味ではある意味普通に可愛いくらいの女性が生きる上では一番得なのかもしれません。

それでも、男女ともに人間が美しさを求めてしまうのは、そこに特別で神聖な何か、神そのものを見出しているからなんでしょうか?

個人的には本物の絶世の美女は心根も美しく聡明な精神をもっているか、将来そのようになっていく運命を持っている人だと思うので、そのように思っているんですけどね。

Kayさんは如何でしょう?

Posted by: ゆり | 2010.07.21 at 07:33 PM

★ゆりさん
大切なのは形ではなく、心であるということと思います。

Posted by: Kay | 2010.07.21 at 09:39 PM

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