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2010.07.25

ライバルという幻想

ライバルという言葉に良いイメージを持っている人が多いと思う。
スポーツ選手が、「あいつがいたから俺も伸びた」などと言うのをよく聞く。
ライバルである相手とは普段は仲良しだったり、ある時期は感情的に反発しあっても、やがて肩を組んで笑いあうとかいう話もよく聞くような気がする。
「あしたのジョー」では、丈には力石徹というライバルがいて、2人は仲良くしたことは一度もなかったが、力石が死ぬと丈は心神喪失ともいえるような状態となり、自分でもその理由が分からなかったが、やがて、「あいつが本当の友達だった」と気付く。読者は暗い面を感じながらも、やはり感動するのだろう。

手塚治虫さんに、自分の地位を脅かす漫画家が現れたことがあった。相手の人気はうなぎ上りとなり、手塚さんは全く敵わなかった。
手塚さんは、その漫画家に嫉妬していたことを認めていた。無意識かもしれないが、手塚さんは、漫画の描き方教室の著作で、その漫画家のやり方を無理に否定するようなことを書き、相手にそれを直接指摘された時、自分の妬みの感情をはっきりと理解したと言う。
ところが、ある日、その漫画家が急死する。人気漫画家の仕事は激務だ。それに対する健康管理に失敗したようだった。
手塚さんは、その時、「安堵した」ことを正直に告白している。ただ、手塚さんも、そんな自分をなさけなく感じたようだ。

私には、手塚さんの場合だけが自然に感じられる。
その相手の漫画家は福井英一さんだった。福井さんの自宅には手塚さんの作品の全てが揃っていたことや、彼は自分が手塚さんに勝ったと思っていなかったことを聞かされても、手塚さんは、複雑な心境ではあったのだろうが、福井さんの死に安堵した気持ちを後悔したとは言わないし、おそらくだが、実際に後悔してはいないと思う。

世間で言うライバルとは違うのかもしれないが、私も、争っていた相手が、病気で惨めな状態で死んだり、追われるように去っていった時、やはり安堵した。しかも、手塚さんのように、自分を情けなく思ったかどうかは疑問だ。
美しいライバルというものは世間の幻想だろう。そこに真理はないので、この幻想が良いものをもたらすことはない。だが、これを理解することで、人間の幻想を打ち破るきっかけにできる。
幻想を超え、真理を知ると力を得る。我々は、歩いて移動することが貴く美しいという幻想を持った鷲のようなものなのだ。幻想を破れば飛べる。

ついでの話だが、恨みの念は、相手が同調せず、かわされたら(避けられたら)、自分に返ってくる。それは、事故や病気や、最悪、死となって現れる。
高橋留美子さんの「犬夜叉」で、美しい巫女の桔梗や、その生まれ変わりのかごめが使った「呪い返し」のようなものだ。
スポーツの世界でも、ライバル心が実は悲惨をもたらしていることは、注意してみれば分かると思う。


【ぼくは漫画家】
手塚治虫さんの、とても人間味に溢れた自伝。これを読んで私は、手塚治虫、漫画、アニメ、漫画作品について、ひどく誤解していたことを痛感した。

【スーパーマインド】
アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードの、幻想を破り、真の自己に目覚めるための教え。意味が分からないのに美しいと感じるのではないかと思う。ゆっくり学んで欲しい。

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