啓示の感動
悩み苦しんでいた時、何かの文章や詩を読んだり、あるいは、絵画や彫刻を見て、不意に心に不思議な変化が起こって、気分が晴れたり、活力が湧いてきたり、あるいは、大きな幸福や安らぎを感じ、さらには、別の人間に生まれ変わった感じがしたりすることがある。
そういった時、人は自分を忘れた、いわゆる忘我という状態にあり、万物と自己が一体化したように感じ、また、自分が幸運であることに気付く。
忘我とは英語のエクスタシで、イェイツは芸術の目的はそれであると言った。ロマン・ロランは、この万物との一体化の意識を大洋感情と言い、おそらく、それらと同じものを指すと思われるマズローやウィルソンの至高体験とは、つまるところは、自分が幸運であると感じることであると言う。
しかし、それは啓示なのだ。
人は自分の中に神がいる。真理や真実の美を前にすると、内なる神が顕れささやく。それは、神の精神が流れ込んでくる瞬間のようにも感じる。
神はいつでも一緒なのだが、日々の煩いの中でそれが分からなくなっている。しかし、それでも神は常にあり、我々は教えられなくても真理を知っているに違いない。
こう言うと、日々の煩いが悪いもののようではあるのだけれど、それがあるからこそ、感動的な啓示もあるのかもしれない。
どこに行こうと、どれだけ成功しようと、人は生きている限り煩いから逃れることはできない。だが、啓示を得ると、それはもう些細なことになってしまい、どうでもよくなる。心を傷つけられることもなくなる。
最近、「四つのギリシャ神話」という本を読んだ。これは、ホメーロス風賛歌と言って、名もない詩人が、あの偉大なホメーロスの詩の形を借りて神を賛美した叙事詩(詩で表現した物語)である。
ホメーロス風賛歌全部は膨大なので、特にドラマチックに書かれた、デーメーテール、アポローン、ヘルメス、アプロディーテーの4神についての物語を取り出したのが「四つのギリシャ神話」だ。
名もない詩人の作品とはいえ、実に素晴らしいもので、それゆえ後世に残されたのだろう。
私は、最初のデーメーテールのお話に非常に感動し、ある意味、啓示を得た。
これを読まれる方に、少し予備知識を与えたい。
デーメーテールは、オリュンポスの十二神という、特に偉大な12の神に名を連ねる女神である。
この女神は、神々の王ゼウス(ジュピター)の実の姉で、農耕の神だ。尚、オリュンポス十二神は、美と愛の女神アプロディーテーを例外として、全てゼウスの兄弟姉妹かゼウスの子である(アプロディーテーをゼウスの子とする説もあるが、それが定説でないことでやはり例外と言って良いだろう)。
ゼウスの正妻ヘーラーもまたゼウスの実の姉だ。ゼウス達の両親もまた、実の姉と弟であるレアーとクロノスだ。
デーメーテールは、弟であるゼウスとの間に、コレーという娘を生んでいる。コレーは非常に愛らしい乙女の神で、言うなれば、乙女の中の乙女であり、デーメーテールはコレーに無上の愛情を注いでいた。
このコレーに一目惚れしたのが、ゼウスやデーメーテールの兄弟である冥界の王ハーデスだ。いわば、コレーの叔父で、ハーデスから見ればコレーは姪である。
ハーデスは、弟であり、神々の王であるゼウスに、コレーとの結婚の許可を願い、ゼウスはこれを許した。その際、力ずくでコレーを奪っても良いとゼウスが言ったため、ハーデスもつい、コレーを略奪してしまう。
ハーデスによるコレーの略奪の場面については、数多くの名画や彫刻が残されている。
デーメーテールへの賛歌は、このコレー略奪のあたりから始まる物語だ。
尚、コレー略奪の物語については、里中満智子さんの漫画である、マンガギリシャ神話の第3巻「冥界のオルフェウス」が素晴らしい。
コレーは愛らしく、デーメーテールにあしらわれ、ヘラーにおびえ、ハーデスに妙な恋愛のアドバイスをするゼウスが面白い。また、ハーデスを純情でハンサムな青年に描いたところが新鮮だ。
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