魔法の使用制限の意味すること
お伽噺には、魔法の力を使えるツール(用具)がよく登場する。魔法のランプとか、魔法の杖といったものだ。
そして、多くの場合、「魔法が使えるのは3回限り」といったような制限がつく。
では、3回だけ魔法が使える魔法のランプを手に入れたら何を願うだろう?
私は子供の時、即座に「魔法が無限に使えるように願う」と考えた。しかし、親や学校の教師が言うには、それは反則なのだそうだ。
だが、それは正当なのだ。
魔法のツールに魔法の力を与えたものは、どこか別のところにいるはずだ。その存在にとっては、魔法の使用制限を外すことも可能なはずだ。
それこそ、魔法のツール無しで無制限に魔法が使えるようにすることも出来るはずだ。背後にいる魔法のロード(支配者)はツールなんか使っちゃいない。
潜在意識の法則や引き寄せの法則をうまく使えば、金でも地位でも名誉でも手に入るかもしれない。
しかし、私が用があるのは、潜在意識の法則や引き寄せの法則の力のロードだ。
魔法のツールを与えられた者が幸福になったという話は無い。
あるのは、それを持ったばかりに不幸や悲惨に見舞われる者の話だけだ。
少し考えれば、引き寄せの法則や潜在意識の法則に本当に効力があれば、それは不幸や悲惨をもたらすということが了解できるはずだ。
古代から、実際に力のある魔術というものは、厳しい掟が伴っていた。そして、全ては秘儀とされた。だが、秘密が漏れ、掟を知らぬ者が力を僅かでも使えば、ほとんどの場合は、不幸がその者を襲った。
賢い人は、秘密とは漏れるものだと心得ていた。だから、秘法は、表面的には他愛ない物語の形で誰にでも伝えたのだ。
そして、贋物を「表だった秘法」として伝えた。手の込んだことである。いわゆる、「誰も知らなかった秘法公開」というのは、嘲笑すべき愚かな贋物の宣伝である。しかし、人々はそれに群がるのだ。
(特に秘法とは言わない潜在意識の法則には穏やかな効力があるとは思う)
背後に隠れた力のロードにのみ関心を持つことだ。
そして、自身がそれであることが分かった時が真のゴールであるが、その時は何も望まなくなるであろう。
そのためには、欲望を捨てる以外に方法はない。食欲と性欲に勝利するのがもっとも早い道のように思う。
【驚異の超科学が実証された】 欲望を捨てればこの世に不可能はないというのが政木さんの教えの真髄であった。この本にあるパラメモリ(記憶力増強装置。後のアルファシータやバイオソニック)はもう入手が難しいが、本書を読めば、特に必要はないと思う。 | |
【波動の法則】 力の法則を正しく伝えているのは、世間的な成功法即ではなく、この本だと思う。本質的には、上記の政木和三さんの考えと通じるものがある。 これを書いていて、上に紹介した政木さんの本と表紙のデザインが似ていることに気付いた。これもシンクロニシティだろう。 |
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Comments
今年に入って気づいたんですが人間が私利私欲で魔法を使ってしまった場合
必ず帳尻合わせが起きるんですよね。その為に秘法を普通の人が知ってそれを使うと
その苦難に耐えられず不幸になるのかもしれません
ある意味、神様はその人その人にあった力や境遇を与えているので
今の状況に甘んじている分には人間は何の苦もなく小さな幸せを日々感じられるように
この世界を作っているのかもしれません。それは、ある意味そうすることによって人間を神が守っているとも取れます。
帳尻合わせについていえば、宇宙全体の進む道は変わらないし私たちの深いところにある魂全体の想いは
きっと常に一致しているためにその方向へと進むためには浅い顕在意識の願いを
その秘法なり何某かで叶えると宇宙の法則の作用により修正をかけるために起こるのではないかと
今のところ考えています。だから、人間打算的に生きない方が幸せなのかもしれません。
逆に打算的にさせるのもその願いを望ませるのも宇宙意識の操作によるもので
最初から決まっているのかもしれないとも思うんですよね。
と最近よく考えているのですが。Kayさんはどう思いますか?
Posted by: ゆり | 2010.06.14 07:11 PM
★ゆりさん
そうであるかもしれませんし、全く違うかもしれません。
理屈で考えたことは堂々巡りし勝ちです。
荘子の言う、思慮分別をせず、無為自然という生き方をしていれば、自然に分かるのかもしれません。
Posted by: Kay | 2010.06.14 10:45 PM