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2010.06.24

アキレウスという生き方

足のかかとの上の腱(骨と筋肉を接合させている繊維)をアキレス腱と言うことや、このアキレス腱が、一番の弱点を意味する言葉として使われていることをご存知と思う。
アキレスとはギリシャ神話に登場する英雄の名で、ギリシャ語らしくアキレウスと言うことが多い。ここでも、以下、アキレウスと書く。

アキレウスは、ホメーロスの「イーリアス」という叙事詩(詩で書かれた物語)で語られたトロイア戦争という、トロイア対ギリシャの大戦争における、ギリシャ最強の戦士だ。
アキレウスの父親は英雄ペリウスで、母親は海の女神テティスである。つまり、アキレウスは、人間と神から生まれたのだが、このような場合は人間になるものらしい。ただ、アキレウスは母神テティスにより、赤ん坊の時に、冥界の河であるステュクスの水に浸けられたことで不死身となった。ところが、テティスがその際にアキレウスの足首を掴んでいたため、足首だけはステュクスの水に触れなかったので、そこだけが普通の人間のままだったのである。

このようにアキレウスは、不死身であったから強かったというのもあるが、実は、重大な事情があった。
母神テティスの予言により、トロイア戦争に参加すれば、英雄と称えられることとなるが死ぬ運命であると言われていた。一方、もし戦争に参加しなければ平凡だが幸福に生きられる運命だった。
慈愛に満ちたテティスは、アキレウスに幸福な長寿を望んだが、アキレウスは英雄の道を選んだ。つまり、不死身のはずのアキレウスは、死ぬつもりでトロイア戦争に参戦したのである。
アキレウスが強かったのは、死を受け入れていたからだった。死を避ける気のないアキレウスは、どんな危険な戦い方も厭わなかった。これは、他のいかなる勇猛な戦士達にも真似ができなかった。

死を覚悟した人間が強いということは、少しでも聞いたことがあるだろう。
死とは、肉体的な死のことだけではない。
愛する人の心、名誉、地位、財産、貴重な宝・・・そういった、自分が大切だと思ってきたものを捨てる覚悟が出来た時、人は不思議な力を発揮することがある。
そして、最も重要な生命の場合はいざ知らず、その他のものは、本当は重要なものでも何でもない。
本当に大切なもののために、他の一切を捨てる。それが、人が人を超える時である。
つまらぬものに執着する限り、人は、いつまでも地上を這い回る虫けらのごとき存在に過ぎない。
そして、自分の本当の信念のために、最も重要な生命すら惜しくないと思った時、人は至高の存在に近付く。
言うまでも無く、支配者により偽りの信念を叩き込まれて生命を捨てたということは歴史的に多いが、その場合もある程度の力を発揮する。だから、支配者は偽の信念を与えるための洗脳技術に強い関心を持つ。
我々は、自己を信頼し、自分の正義である強い格率を持たねばならない。親や学校や国家の教育など捨てて、自分の信念、自分の正義を持たないといけない。

人間は食べないと死ぬが、食べずにいられるのは、何らかの強い思いがあるのである。
それが無ければ、ただ美食、飽食に耽る人間でいるしかない。
よく、少食が出来ない、続かないという人がいるが、それは自分の信念、自分の正義を持っていないからだ。
実際、人は、ごく若いうちは、ある程度は沢山食べるのも自然なのであるかもしれない。その間は、まだ子供であり、何もできない。
人間の生命を、より高いものに昇華し、神秘的な力を現すことができるかどうかは、食を慎めるかで明確に分かる。
食の慎みは、このように、自分の正義の獲得と共にある。
真の英雄への易しい道が食の慎みなのである。


【精神について】
自分の正義を得るための無上の教えである「自己信頼」を含む、アメリカ最大の賢者エマーソンの至高のエッセイ集。

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Comments

今日のは凄いですね。
鳥肌が立ちました。
代表作の一つですね。

「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば
必ず死するものなり」という、謙信公の
言葉を思い出しました。

Posted by: 匿名希望 | 2010.06.24 07:40 AM

わからないことがあります。
愛する人の心まで捨てるというのはなぜですか?
愛は育めばよいのではないですか?

Posted by: みき | 2010.06.24 08:04 AM

管理人様、初めまして。
失敗続きで四面楚歌・・・
数ヶ月、死ぬ事ばかり考えてましたが、
このブログを拝読させて頂き、
もう一度人生やり直す気概に満ちてきました。
一時的熱狂ではなく、静かな闘志という感じでしょうか・・・
感謝申し上げます。

Posted by: 丸義 | 2010.06.24 05:16 PM

★匿名希望さん
この手のハンドル名は、削除対象にしています。


★みきさん
なぜ愛が特別なのでしょう。
名誉や地位を特別と考える人もいますが、優劣を付けることはできません。


★丸義さん
私は、何が起きようが、私が気にするほどのことではないと思っています。
本当に死んでも良いと思い、欲望を捨てれば、人生は楽なものです。
その心境になれれば、良いことも沢山起こるでしょう。

Posted by: Kay | 2010.06.24 09:36 PM

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