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2010.06.27

自らの正義を貫け

人間というのは、人と神が同居しているようなものだなと思う。
ところで、人格は人に属するものであり、神に人格というものはない。あると思うなら、それは人の心が感じるだけの幻想である。
例えば、神の力である自然は無慈悲と感じることは少なくは無いが、神に悪意はない。
一方、人には人格があり、人は不完全であるのだから、理想の人格を持つことはできない。そのようなものを目指すと、元々が不可能というより不自然なのであるから、葛藤が生じて抑圧となり、逸脱が起こるのである。結果は不幸や悲惨である。
人の義務は掟を守ることである。
掟は神が教えてくれる。言い換えれば、自然が教えてくれるのである。
神は自然そのものであり、自然の法則は完全であり、破られることはない。もし、自然法則が破られているように見えるなら、それは、人が自然法則を完全に理解していないからだ。
神に習うとは、人は自分が決めた自分の掟を完全に守ることである。
人格はどんなものでも非難されることはないが、掟を破ることは赦されないのである。

よく、「1日1食が続きません」とか、「禁欲が守れません」と言う人がいるかもしれないが、よくそんなことが言えたものだと思う。決めたなら、死んでも守らないといけない。守れないなら決めてはならない。
守れもしない掟を定めることは傲慢でしかなく、罰は免れない(慈悲深い神は、多少の猶予期間はくれるかもしれないが、それを期待してはならない)。
守れもしない掟を作ろうとする心の中には過ぎた欲があるのである。

何かの本で見たが、ある人は、「人生で、世間に誇れるほどのことは何も出来ないかもしれないが、閻魔様の前に立ったら、トイレの下駄だけは必ずきちんとそろえたと言うつもりだ」と思っていたようだ。それが彼の掟なら、それを生涯守れたなら、世間に対してはどうかは知ったことではないが、人としては誇れることである。ただし、易しい掟の場合ほど、破れば厳罰と思った方が良い。
そして、自分で決めた何かの掟を絶対的に守っていれば、それは神に似た行いなのであるから、大自然と同調し、それが理解できてくる。つまり、神と和らいでくることとなり、神の魂と通じてくる。

ところで、世間の掟というものに対しては大らかで良い。
ある宗教では、特定の日は断食しなければならないが、病人と妊婦は例外なのだそうだ。
そして、断食の日はみな病気になるのである(仮病であるが)。
世間の掟というのは、この程度に守れば良いのである。
大切なのは自分の掟であり、当然に世間の掟に優先するが、今はこれが逆になってしまっている。
自らの正義を守るためなら、校則や法律は迷わず破れ。ただし、守れなければ死を当然と受け止めるだけのことを自分の正義と言うのである。

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