人生はなぜ辛いか?
人生は楽しいものだ、良いものだという賛歌には心踊ることもあるのだけれど、そんなものにはどこか嘘っぽさを感じるだろう。
徳川家康は、「人生は思い荷物を背負って遠い道を行くようなものだ」と言ったらしいが、こちらの方が素直に納得できるに違いない。
人生は辛いものだ。
では、なぜ人生は辛いのだろう?
それは、人間は食べなければ生きられないし、着るものや住むところも必ず必要だからで、しかも、それらを十分に得られないと不名誉だからだ。
早い話が、生きていくためには金が必要なのだが、金というのは、沢山あるところから順に回ってくる仕組みになっている。
納税額で日本最高クラスの斎藤一人さんが、「金の良いところは、沢山持っていると嫌なやつに頭を下げなくて良いこと」と述べていたのが、実に生々しい。
逆に言えば、金がないと、嫌なやつに媚びへつらわないといけないのだ。
どんな相手だろうと、金のあるやつには逆らえない。
「神無月の巫女」というアニメで、世間の辛酸を舐めた兄が、何不自由のない生活をしている16歳の弟に言った言葉が、人生の辛さをストレートに表現していた。
「お前は路地裏で残飯を喰ったことがあるか?」
「殺したいほど憎い相手に、はいつくばって命乞いをしたことがあるか?」
他にも、「信頼していたやつに後ろから撃たれたことがあるか?」というのもあったが、それも突き詰めれば人間の弱さが生むやるせない事情だ。
何なら、「心から崇めていた女に裏切られたことがあるか?」とかもあっても良いかもしれない。
なら、話は簡単ではないか?
貧乏が嫌なら金を稼げば良いし、虐げられるのが嫌なら権力側に取り入り、やがては自分が権力者になれば良い。
しかし、それも、表面の意識では気付かなくても、心の奥では辛いことなのだ。
それは、大衆という悪魔にひざまずくことであり、悪魔の本体に近付くほど、金は多く手にするが、辛さも増大する。ある意味、心が強くないといけない。
「鈍感力」なんて本がロングセラーになっているのは、この本には、この悪魔に近付く辛さを忘れる方法が書かれているからだ。金持ちや権力者になりたければ必須の本だ。
だが、鈍感力なども誤魔化しで、辛さは癒えない。
持てる金の量なんて、辛さに耐えられる心の度合い次第であるのだ。
そこそこの辛さに耐えるなら、そこそこに得られるが、その場合は、金のない辛さも同時に味わう。
トータルでは、金持ちも貧乏人もさして変わらない。金持ちと貧乏人に自殺者が多いのは、辛さが一時期にまとめて来る場合が多く、心の耐性の限界を超えてしまうからだ。
こうしてみると、金はあってもなくても辛さは免れないということだ。
もし、真の幸福というものがあるとすれば、金も権力もなくても、衣食住が満たされることだ。そうであれば、精神の向上を図る余裕も出来るかもしれない。
それは夢物語のように感じる。
だが、それを夢物語に感じさせるのが、大衆という悪魔の最大の戦略かもしれない。
人間の嘆きこそが悪魔のエネルギー源である。
我々の視力が、この世に溢れる電磁波のほんのわずかな可視光線しかとらえられないように、世界は普通の人間の常識をはるかに超えている。
感覚を超えた力を得た時に、世界はあまりに広く、自分がこれまで、井戸の中のさらにくぼみの一つともいえないところを世界だと認識していたことに気付く。言い方がないので、その力を超感覚力と呼ぶが、人類を解放するものがそれで、悪魔がひた隠すものもそれである。
【神秘学概論】 超感覚的知覚を得る方法が、出来うる限り易しく書かれているが、普通の人は読み通すのが辛いだろうと思う。得られるものは大きいので、なんとかがんばって欲しい。 | |
【神統記】 神話というのは、宇宙生成論、即ちそれは、精神の成長過程なのだが、それを比喩的に描いたものである。その知恵を借りずに人生に立ち向かうことは愚かしいとさえ言えるかもしれない。 ヘシオドスの神統記は、優雅な詩で書かれたギリシャ神話の真髄と思う。 | |
【超訳古事記】 この著者の感性は凄い。古事記をこれだけ面白く、しかも、真髄をまともにとらえられる文章には驚嘆する。古事記こそ、日本人の知恵の宝庫と思う。 |
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