神話に秘められた力
神話というものは、心の世界を現しているとも言えます。それは、1人の人間の心であるとも、人類全体の太古から未来までのものであるとも言えます。
肉体的にも、人間は母親の胎内で魚のようであるところから、爬虫類や動物のようになり、そして人間らしくなります。人類の歴史そのものを1人の人間の中で再現しているかのようです。
精神においても、人類が現在のようになるには、気が遠くなるほどの年月を要したのですが、それもまた、幼児から大人になる中で、1人の人間の中で再現されます。
神話は、人類の、あるいは、個人の心の進化を表現したものでもあり、神々は、人の心の何らかの特徴をそれぞれ現しています。ただ、それは小さなものではありません。人の心は宇宙そのものでもあるからです。
また、それぞれの神は、それを通して、宇宙全体ともつながるようなものでもあるようです。
神話というものは、極めて貴重なものです。決して忘れてはならないもので、神話が滅びた国は現実にも崩壊します。
優れた人間は神話に通じていることがよくあります。いえ、なんらかの意味で、必ず神話に通じています。
神話に通じるには、何よりも神様に興味を持ち、意識することではないかと思います。
古来から多くの聖者達が、神の名を常に想うことを教えています。
ヨブ記の22章21節に「神と和らぎ平和でいなさい」という言葉がありますが、神と和らぐ(簡単に言えば仲良くする)には、その名前を呼びかけるのが最も簡単であり、根本です。
好きな神様の名前を心の中で唱えることに良い効果がないはずがありません。
日本では、神様のお名前を唱える際、まずは身体を清め、場所、服装、姿勢、そして、唱え方を細かに定めることもあるようですし、それは貴いことでもあるのですが、それではなかなか実行できず、また、続かないものです。それに、世界的に見ても、特に決まりはなく、神の名を唱えるのも、声に出すよりは心の中で唱えることを教えることが多いようです。つまり、決まった時間にそうするのではなく、常に行うことが大切と考えるのです。
特に現代では、いつでもどこでも、心の中で神の名を想う、唱えることの方が良いことであると私は考えます。
神の名を唱えると言うと、どうも宗教的で抵抗があったり、笑う人も少なくないと思います。
しかし、それはもったいないことかもしれません。それに、そのために宗教団体に入ったり、何か特定の教義を受け入れる必要もありません。
自分が好きな神の名前を唱えることで、その神が現す性質、特徴、力を自然に想い、そこから意識が心の深奥におよび、さらに広がっていき、宇宙を動かすこともあるでしょう。
神の名と言いましたが、神という言葉自体に力があります。
これに関しては、ベアード・スポールディングという、アメリカで1900年代の前半に非常に尊敬されていた啓蒙家が書いた「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本の第3巻で、イエスが詳細に説明しています。イエスは、このことさえ分かれば、他は忘れて良いとすら言っています。内容については、もし私に効果が確認できればお伝えすることもあるかもしれませんが、私もまた、神の名を心の中で唱えながら生活しようかと思っています。それは、よく考えれば、科学的なことでもあると思います。
【ヒマラヤ聖者の生活探究 第3巻】 著者スポールディングが調査隊の隊員として東アジアにいた時の体験を綴った書です。驚くべき内容でありますが、著者はその解釈・判断を読者に全面的に委ね、なんらの主張もしておりません。 | |
【ナーマスマラナ - 神の名前の不思議な力】 断わっておきますが、今は言いませんが、かつて、私はサイババをいかさま奇術師とセミナー等でも言っていました。実際のところはどうなのかは知りませんが、政木和三さんに、彼には、悪い部分もあるかもしれないが、良い部分もあると言われたことがあります。実際、この本には、心惹かれるものがあります。 |
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Comments
こんばんは
先の 私へのコメントに対しての 丁寧な お返事ありがとうございます
今回の内容も 奥深く とても感動いたしました
世の中には 多種多様な宗教があり その宗教によって 教義や戒律 礼拝(時間・日にち)など様々ですが 私が思うに 宗教の教えの『根本』にあるものは すべて同じだと思います
その『根本』というものは 人が生きていくという上で とても重要で大切な事だと思います
重要かつ その大切なものを いつも心に秘めて忘れず 思い出す事だと思います
私は『生きている』‥のではなく『生かされている』‥と日々を過ごせば『神』とよばれるものを感じられるのかもしれません
最近 寒暖の差がありますので 体調には くれぐれも 気をつけてくださいませ
Posted by: moon | 2010.05.13 10:20 PM
私も2~3年前から神様に興味を持っていたにも関わらずこれまで、神様の名前を唱えてはいませんでした。
それがここ2~3日前から急にはっと我に返ったのか今までそう言えば神を時々想うことはあっても
自分の縁の深い産土神の名前を毎日のように唱えたり話しかけたりといった強く意識するということを
してこなかったなという思いが湧いてきました。
どうしてそう思ったのかは分かりません。不思議と自分の中の神様に声をかけると泣きたくなるほど悲しい気持ちが溢れてきました。
今まで神様を置き去りにしていた自分に対しての悔恨の想いが溢れたのかもしれませんし別の想いがあったのかもしれません
自分には理解のできない悲しさでした。
とてもタイムリーな記事でぜひコメントしたくなったのですがやっぱり人間の精神宇宙は繋がっているという証拠でしょうか。
そういえば、最近神社巡りやパワースポットが流行っていますが
アセンションは日本が中心に今回遂行されるとかおっしゃっている方もいるみたいですし。
そうでなくても、宇宙的な何らかの意味合いがやっぱりあるんでしょうか。
Posted by: ゆり | 2010.05.14 01:05 AM
★moonさん
本当に、我々は何ゆえ生かされているのでしょうねえ。
私にはよく分かりません。
まあ、我々が生きるために、死んでくれた者もいるのかもしれません。
そうなると、謙虚にならざるを得ませんね。
★ゆりさん
元々は、神社というのは自然の森や山そのものであったようで、実際、森や山の中にパワースポットもあるようですね。
よくよく想ってみれば、産土の神というのは、確かに身近にいて、護ってくれたり、導いたりしてくれていたように思います。
産土の神様とは、より和らぎたいと思います。
私の崇拝する神道家の黒住宗忠は、神様の開運を祈ったようです。なるほど、神様にただすがるだけではないということがあっても良いのでしょうね。
Posted by: Kay | 2010.05.14 10:59 PM
はじめまして。アクアと云います。
分かるところあります。
リンクしても良いですか?
Posted by: アクア | 2010.06.05 09:53 PM
★アクアさん
私も、あなたのブログで分かるところもかなりあります。ひきこもりは同志ですし。
リンクは自由にお願いします。
Posted by: Kay | 2010.06.05 10:07 PM