不安を滅ぼす
不安なしに生きている人なんていないのではないかと思う。
そもそもが、人が何かをする理由なんて、不安をなくすためであるようにさえ思う。楽しもうという行為も、不安を紛らわすためのものである。
社会の中で偉くなり、金持ちになれば不安は無くなるかというと、金持ちも自分ではそう思っているかもしれないが、実際は、金を持つほど、不安はますます大きくなっているのである。
一流企業の幹部になり、人も羨むような高給取りになったとしても、突然リストラされたり、会社が倒産することもある。そんな人は、多額のローンを背負っていたり、本人や家族も、収入が減っても、それまでの生活水準を落とせない。そして、家族は破綻する。
そして、社会で成功している人でも、自分の立場が実は危ういものであることは、心のどこかでは知っているのである。そして、その不安は百パーセント実現する。
「消費意欲の拡大」なんてのは、人を破滅に追い込む恐ろしい言葉であることに気付かないといけない。それは、大衆の心を貧しくして、際限なくモノを欲しがる状態にするということである。これが、不安を低レベルの欲望を満たすことで紛らわせようとする哀れな行動に人々を駆り立てる経済至上主義社会のカラクリである。我々は、すっかりそれにはめ込まれているのである。今すぐ脱出する決心をしないと、待っているのは悲惨だけである。
不安を消す唯一の方法は力を得ることであるが、まがいものの力の獲得に突き進ませようとするのが、国家や大企業、そして、その下僕である学校やマスコミの使命である。
偽者の力は、得れば得るほど、逆に不安は強くなる。本物の力を得なくてはならない。
(偽者の力の獲得に失敗することを世間では落伍者と言い、その意味での落伍者にはただ消費者の役割を押し付け、消費者にもなれないと、自主的にアル中になったりするのである。)
本当の力は外側にはない。内側にある。ところが、内側にある本物の力は存在せず、それがあると考えることは恥ずかしくて滑稽であると我々は思い込まされているのである。
本来は、そんな誤りを正して人々を啓蒙すべきはずの宗教は堕落し、芸術も金儲けに利用され、本当の役割を果たし難くなっている。
しかし、大衆の教義や信念を疑い、これを打ち破ることに全力を尽くせば、内側の力に目覚める道は開ける。
テレビのアナウンサーの言うことや、CMの宣伝文句を疑わないといけない。それらは、現在ではほぼ全て嘘と思っても間違いはない。
世間や学校、会社の常識や決まりごとを無思慮に受け入れないこと。これらは、全て悪とは言わないが、少なくとも、あくまで二次的(二義的。根本的でないこと)であり、決して自己の信念にしてはしてはいけないことを忘れてはならない。
【自己信頼】 あらゆる賢者達が崇敬する最大の思想家、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの代表的なエッセイ。世間の教義、因習ではなく、自分自身こそ信頼すべきであることを至高の叡智でもって語る。 | |
【アシュターヴァクラ・ギーター】 古代よりインドに伝わる真の自己に目覚める教えをシンプルな言葉で語っている。ラマナ・マハルシやその他の優れた聖者の教えの精髄である。 |
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