« ただ1つのルール | Main | 不安を滅ぼす »

2010.05.06

庶民の中のクラシック

ヨーロッパの大学で教える指揮者がこんなことを言うのを聞いたことがある。
日本では、クラシック音楽を聴く人はあまり多くないが、海外にはバレエやクラシック音楽が庶民に馴染んでいる国も多く、日常の買い物に行くついでに親子でクラシックの演奏会を聴きに行ったり、夕食の場で、最近見たバレエのことを語り合ったりする文化があり、大変に羨ましいと。
最後の羨ましいという言葉には、演奏家の経済面での事情もあると思う。日本では、相当なレベルの演奏家でも収入が低い場合が少なくない。それも、一般の人が芸術的な音楽の演奏会を聴きに行かないからだろう。

庶民がクラシック音楽やバレエに馴染むことは、良いことではあるのだけれど、そんな民衆が幸福であるかは疑問もある。
実際は、民衆に馴染んでいる国でも、誰もがクラシックやバレエを愛好しているという訳でもないとは思うが、その割合がある程度大きくなると、それが民衆意識を形成する。その中で、因習や教義といったものが構築され、それは容易く妄信や偏見になる危険がある。
大衆の中に真理は無い。個人では善良な人が集団になると残虐にもなる。
特に、日本人は付和雷同(他人に同調しやすい)する性質があると言われ、何か流行ると盲目的に従う傾向が強いと言われるが、これは明治政府以降の思想統制の影響が大きいかもしれない。
日本の学校教育では、文学や絵画といった芸術においても、皆が同じ感想を持つよう子供たちを誘導する。いかなる場合でも、個性的であったり、まして風変わりであることは赦されない。
芸術には個人的な部分が必要である。この個人的という意味は、他を排斥するということではなく、まさに、大衆から独立するという意味である。
大衆の教義、信念を打ち破り、自己の存在の中心に目覚めることが芸術の本来の目的である。その芸術が、大衆の妄信に引きずり込むものになってはいけない。岡本太郎が、芸術は、「きれいであってはならない」「うまくあってはならない」「心地よくあってはならない」と言った訳もそこにあると思う。大衆心理とは、きれいで、小賢しく、心地良いものである。
私は、素晴らしいクラシックやバレエは、個人で静かに楽しむこととしている。演奏家やバレエダンサー、あるいは、あらゆる芸術やそれらに関わる方々の経済面は、何か方策があればと思う。


【コッペリア[DVD]】
パリの名門バレエ学校の生徒による「コッペリア」の公演。若いダンサーの軽快な動きや可憐さが素晴らしい。
「コッペリア」は、ホフマンの「砂男」という怪奇小説が原作であるが、バレエでは喜劇的なものになっている。
コッペリアは自動人形の少女で、バレエでも可愛い女性が人形っぽい動きも見せるのが見所でもある。原作小説では、オリンピアという名の極めて美しい少女で、主人公の青年は彼女が自動人形であることに気付かない。ホフマンは「くるみ割り人形」の作者としても有名である。

↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« ただ1つのルール | Main | 不安を滅ぼす »

Comments

学生時代に私は一度も絵画コンクールで学校代表に選ばれたことがありませんでした。

そもそも、幼いころからどんな事が世間一般で
求められているのかを察知する能力に長けていたのですが

絵を描くことの大好きな私は学校の求める模範的でおりこうさんな
絵が大嫌いでした。どうして金太郎あめのような
似たような絵ばかりが評価されるのか求められるのか。

今でも小学生の頃を思い返すと本当に絵は自由な表現の世界なはずなのに
子供の自由な想像力を奪う先生の評価の言葉には心地悪さを覚えます。

そんな評価をされなかった私も有難いことに今ではご縁で絵の仕事をさせて頂いています。
本当に人生って言うのは不思議なものです。

Posted by: ゆり | 2010.05.07 at 02:33 AM

★ゆりさん
をを!岡本太郎さんの「今日の芸術」にまさにそんなことが書かれています。
子供の中には、どんな絵を描くと褒められるか分かっている子がいて、その子も、求められる絵を描く場合が多いのだが、そんな絵は実につまらない。しかし、そんな絵がコンクールで入賞しちゃうということです。
岡本太郎は、真に良い絵を救うため、子供の絵の審査会には積極的に出かけたようです。「僕がいかないと、つまらない絵が評価され、素晴らしい絵が見捨てられる」のが嫌なのだそうです。
まあ、多くの芸術家や音楽家は、初めは酷く酷評されたものですね。

Posted by: Kay | 2010.05.07 at 09:37 PM

岡本太郎さんと同類だということでしょうか、嬉しい限りです。
一応、芸術家のはしくれにはなりえているのかな?(笑)


当時の私が絵の基本ができていなかったというのもありますが
そもそも、小学校の先生は美大を出ていないので
彼女や彼らが絵について、本当に選定できる立場ではないと思います(笑)

とりあえず、お利口でそれなりに見栄えのする、コンクールでよく
見るような無機質な絵ばかりを評価するのは確かです。
私自身学校という場所で
自分の絵を思うように描いた記憶なんて殆どありません。
高校の美術だけ一部は好き勝手描いたことはありましたけど。

本来、絵なんて自由に描けばいいもので、よく親が子供の絵に
これはこう描くのよって訂正したりしますけど
本当にあれは良くないことだと思います。
自由でいいんですよ絵なんて。

コンペの世界とか何とか賞みたいな物に自分で挑むのなら、
評価を受けるのは仕事なので仕方ないですけど。
(寧ろ評価を受けるのは酷評であろうが
意識されてるという点でいいことです、
無評価っていうことも世の中あるので)

絵をあーだこーだ評価するのは本来の芸術ではないと思います。
せっかく絵を好きになれるチャンスを奪うのは非常にもったいない。
絵心がないっていろんな方が言いますけど、一絵描きとしては
人生のどこかで目を摘まれたのかと思うと本当に残念な気持ちになります。

長々書いてすみません、どうも絵の話になると熱くなります(苦笑)

Posted by: ゆり | 2010.05.08 at 12:00 PM

★ゆりさん
目を見張るような優秀な人が、「僕は絵だけはダメなんです」と言い、本当に10歳の子供程度のものしか描けないということが普通です。
それだけ、絵に対する苦手意識や違和感を持ってしまっているのですね。
絵というものが、どうでも良いつまらないものなら、それでも良いのでしょうが、絵とは実に素晴らしいものですし、少し取り組むことで右脳を発達させ、あらゆることに創造力を発揮するようになります。
ベティ・エドワーズの、おそらくは数十年にもなるロングセラーの「脳の右側で描け」には、そんなことが、学生のみならず、多くの分野の人々への教育訓練の成果から語られていたと思います。
美術教育というより、学校教育の悲惨な欠陥でしょうが、不幸なことであると思います。

Posted by: Kay | 2010.05.08 at 11:04 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3170/48283117

Listed below are links to weblogs that reference 庶民の中のクラシック:

« ただ1つのルール | Main | 不安を滅ぼす »