新しい世界
ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、なぜ14歳で故郷のオーデンスの村を出てコペンハーゲンに行ったのだろう?
女の子のように内気で、ひょろひょろした身体つきのか弱い少年だったのだ。
その時、彼は役者になるつもりだった。しかし、彼に役者の才能は無かったし、彼自身、そう強く役者を志していたわけではないだろう。
こういうことだ。
オーデンセの村で生きる限り、彼は何かの職人になるしか道はなかった。彼は、職人になるのが死ぬほど嫌だったのだ。
ただ、職人という仕事自体を嫌っていたのでは決してない。
職人の徒弟制度を含めた世間のあり様というものを、どうしても受け入れられなかったに違いない。
職人の親方はワガママ放題で、弟子はそれを甘んじて受けるしかない。そうでないと、技術を教えてもらえず、生きていけない。
もし、親切そうな親方がいて、アンデルセンに「僕のところにおいで」と優しく微笑んでいたなら、ハンスは職人になっていたと思う。しかし、幸か不幸か、そんな親方はいなかったのである。
とにかく、彼はそんなところから逃げたかった。それでコペンハーゲンに出たのだ。
役者で生計を立てていくことは無理だということは、やがて彼にも理解できるようになる。
そして彼は詩や小説を書くようになり、才能を発揮し始める。彼は、元々、寓話や神話が好きだったのだ。彼の育った家には、本は1冊しかなかったのだけれども、それでも、幼い頃、母親にその本を繰り返し読んでもらうことを楽しんでいた。
アンデルセンの時代も、現代の我々も根本的には変わらない。
学校や社会が居心地が悪く、辛いというのは、そこにある集団思想にはまり込んでいないのだ。世間の流儀が気に入らないのだし、それに嫌悪感や恐怖や、おぞましさを感じるのだ。
そうでない人間であれば、世間の中でそこそこにやっていける。
世間の中の大衆の妄信、慣習で形成されるものを、共同幻想と言っても良いかもしれない。
アンデルセンは、共同幻想に取り込まれなかった。それは良いことではあるのだけれど、それでは辛い目に遭うのは避けられない。
もちろん、そんな人間が現在の世の中にもいて(多くはないだろうが)、そんな者は引きこもるか、辛さに耐えて平凡な民衆として生き、心を疲れさせ、生命力を使い果たしていくのだろう。
そして、現在は、大衆思想にますますどっぷり浸かる者と、そこから抜け出そうとする者に分かれてきており、後者の人間も増えているのである。しかし、やはり大衆の教義や信念から逃れようとする者は少ないし、それをしようとすると苦しい試練に遭う。
だが、本当は人間はそれをやらないといけないのだ。
残虐な行為や戦争をするのは大衆である。人間は、一人一人は良い人間でも、大衆になると平気で残虐なことをするのだ。
イェイツもエリオットも「大衆に真理はない」と断言するが、それは当然である。
学校で優等生になったり、サラリーマンで出世する者の行き着く先は悲惨しかないことは、ちゃんと見ればもう明らかだ。
世間に反発するのではない。反発すること自体、それに同調するということだ。心を逸らすのだ。距離を置け。そして、冷静に観察しろ。世間と、それに対する自分の反応を。熱狂など必要ない。
大衆幻想を打ち破ると、自分の真の姿が見えてくる。それは消して弱くは無いし、無能ではない。むしろ、恐ろしいほど優秀である。世間で言う意味とは全く違ってね。
人類の次のステージへの進化とかアセンションはそこから始まる。旧時代の人類の滅びはすぐである。とは言っても、それは必ずしも外面的な大変動が起こることを意味はしない。知らないうちに世界が変化してしまっているかもしれない。そんな世界では、あなたは、どの家にも自由に入っていける。自分の家に知らない人が自然に入ってきて、お互い快適である。「そんなの嫌だ」と思う人は、残念ながら旧人類として滅ぶかもしれない。
【アンデルセン自伝―わが生涯の物語】 この本の翻訳者、大畑末吉氏によるドイツ語版からの翻訳は実に昭和11年に出版されており、後に、前半部分をデンマーク語版から訳しなおしたのが本書で、初版は昭和50年。 アンデルセンの自伝は、本人も言うように、それ自体物語(メルヘン)であり、そのつもりで読んでも実に面白く美しいということを言っておきたいと思う。 著名な作家となった後、ひたすら旅を続ける中で、アンデルセンは、バルザック、ユゴー、ハイネ、グリム兄弟らとも出会う。しかし、イタリア、ペストゥームのギリシャ神殿の中で出逢った11歳くらいの絶世の美少女を賞賛する箇所が極めて印象的だった。この盲目でボロをまとった少女をアンデルセンは、『即興詩人』にも登場させる。彼が、美の化身、生ける彫像、女神とまで言った少女は、本当に神殿に住む女神だったとすら思える。 |
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Comments
小学生時代は、男子からの苛めもあったり勉強ができなかったり
なにより女子の仲良しグループという概念に馴染めずに肩身の狭い思いをしていたのを
思いだします(苦笑)
ただ、毎週土日にほぼ遊びに行っていた児童センターという場所は
来るもの拒まず去る者追わずで、そこに私の子供時代の救いが
あったと思います。何より自由で楽しかった思い出があります。
年齢も上下関係なくみんなそこで知り合えば友達になれる雰囲気は
学校とは違ってある意味自分の家族の目や教師の目(先生というものは存在しました)
否定的な雰囲気がなくまっさらな状態で人づきあいも開始できるというのが
とても良かったのかもしれません。
本が好きな子は図書館で本を読み、運動が好きな子はプレールームや屋外の敷地で遊び、
絵を描くのが好きな子はお絵かきをしていて、いつでも仲間にいれてといえば
一緒に輪に入って遊ぶことができ、時間がきちゃったと言えば
特に非難もなくさよならができる場所、そんな場所があったことを思い出しました。
新しい時代が願わくばそういう時代であると嬉しいと思います。
Posted by: ゆり | 2010.05.31 08:09 PM
★ゆりさん
良い児童センターですね。
学校のそもそもの間違いは、年齢で子供を分けることと思っています。いろんな年齢の子供の中で、大きい子が小さい子に教え、面倒をみたり、いじめの仲裁をしたりで、お互い学びあうものだと思います。教師も、空気みたいな存在であることが理想と思います。
そんな学校は必ずや出来ると思います。そして、新しい世界は、そんな雰囲気のところが多いはずです。
Posted by: Kay | 2010.05.31 10:53 PM