陽気なアウトサイダー
アルベール・カミュという、アルジェリア生まれの作家がいる。1913年生まれで、1957年にはノーベル文学賞を受賞した。
「シーシュポスの神話」などで、人間存在の不条理(道理が立たないこと)を徹底追求しているが、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」にも、カミュの「異邦人」が引用されている。
「アウトサイダー」は、それまでルンペン同様だった、中卒の肉体労働者であった25歳のコリン・ウィルソンを、ほとんど一夜で世界的作家にした作品である。
この作品でのアウトサイダーとは、冒頭で「世をしのぶ片隅の人」であると難しいことが書かれている。まあ、社会規範に外れた人間であることは間違いないのであるが、全編を通し、ひどく病的に扱われている。
私、Kayが目指すのは、陽気なアウトサイダーである。
カミュの「異邦人」という作品は、1943年、カミュ30歳の時の作品だが、現代の我々がもっと注目すべき作品だと思う。
ある若い男の、養老院に住む母親が死ぬところから始まる。
大した年ではないはずの母親は、養老院に来た当初は毎日泣いていたらしいが、やがて慣れたという。男は、はじめの頃はよく母親を訪ねたが、そのうちさっぱり行かなくなる。1日がかりになってしまうので、休日が潰れてしまうからだ。
母親が死んでも、男には大した感慨は無いように見える。そもそも、小説の出だしが、ウィルソンも引用しているが、「今日、ママが死んだ。いや、昨日かもしれない。」である。どうでも良いのだ。
男は、彼の母の死を知る周囲の人達が、彼に同情の態度を示すのが心地悪くて仕方が無い。居眠りしながら養老院に行き、母親の顔も見ずに葬儀を始めて終える。葬儀の間中、イライラと憂鬱を感じる。
だが、彼は、「ママのことは多分好きだった」と言う。男は、葬儀のすぐ後で、若い娘を口説いてデートし、一緒に寝るが、このことで災難に見舞われる。
「異邦人」の主人公の男は、ウィルソンも指摘する通りアウトサイダーである。
だが、ウィルソンの「アウトサイダー」は難し過ぎる。
私流に言えば、アウトサイダーとは、一般大衆の妄信や偏見に反発する者だ。だが、そんな者は、確かに陰鬱にならざるをえない理由はある。
人間は、生きていくには衣食住が必要だが、それらを得るには、大嫌いな大衆にかなりの割合で埋もれないといけない。衣食住もだが、大衆から外れると、名誉まで失う場合がほとんどで、それが自我にとって苦痛である。
芸能界やスポーツの大スターが大衆から離れているなんてことはもちろんない。マスコミが持ち上げる人気者は決してアウトサイダーではない。彼らが虚像のアウトサイダーである場合はあるが、そんな場合でも、実態は「モロ」にインサイダーだ。
「異邦人」の主人公は、普段は低い地位に甘んじることで大衆心理から距離を置いていたが、母親の死により、強制的に大衆の教義や信念に引きずり込まれたのだ。
吉本隆明さんの「共同幻想論」によれば、人間は、国(あるいは社会、地域、団体)など大きな範囲の中の人間で共有する「共同幻想」、家族(あるいは恋人などの親しい間柄)で共有する「対幻想」、そして、「個人幻想」の中で生きている。
個人幻想はまあ良いが、ほぼ全ての大衆が「共同幻想」と「対幻想」の中で生きており、そこから外れると、いろいろ苦しいことになる。
「唯幻論」の、岸田秀さんによれば、人間が幻想を免れる術はないようだ。「全て幻」と言うわけだ。
しかし、そんなことはないと私は大胆に宣言する。
我々は、大衆心理という幻想から逃れることは可能だし、そうしなければならない。
容易いことではないが、そうしなければ、本当の安らぎや真の歓喜ある平和は得られない。
繰り返すが、私の目指すのは、陽気なアウトサイダーだ。そして、もはやアウトサイダーはアウトサイダーでなくなる。太古の平和な時代にはアウトサイダーなどいなかったに違いない。
もし、古代文明が滅びたというなら、明確なアウトサイダーを生み出す土壌である大衆の妄信が現れたからだ。そして、同じ理由で、今の世界は滅びる運命にある。
イェイツは、世界を滅ぼし、再構築する者は陽気だと言った。
陰鬱に世をしのんでいてはならない。陽気に世を滅ぼし、新しい世界を創ることができる。
イエスは、「私は世に勝った」と宣言したが、我々も、今すぐそう言わなければならない。
【異邦人】 昭和29年初版。軽く百回を超えて版を重ねている。戦乱と闘争の中で生き、人間を深く洞察するカミュの代表作である。 | |
【超越意識の探求】 25歳で「アウトサイダー」で世に出たコリン・ウィルソンの75歳の作品。生涯のテーマは「アウトサイダー」の時と全く変わらないと言う。 私は、あとがきに大いに感動した。もちろん、ウェルズ、ゴッホ、ベケットなどの「アウトサイダー」を鋭く洞察した内容も素晴らしい。 |
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Comments
もしかすると、最近スピリチュアル好きな方々の話題になっている
アセンションとはKayさんのおっしゃる
共同幻想の崩壊を意味しているのかもしれませんね。
(私はどちらかというとTVなどで取り上げられている
地球の終末説的な意味にとられがちな2012年説よりも
コールマン博士の唱明るい2011年説を支持しています。)
そうだとすると、数年後の世界が来るのが楽しみです。
Posted by: ゆり | 2010.05.04 01:28 AM
★ゆりさん
アセンションは、悲惨な人と幸福な人があるかもしれませんね。
1995年の足立育朗さんの「波動の法則」で、アセンションという言葉は使っていませんでしたが、ここで書かれている大変動がそうではないかと思っています。地球の全てが、クオーク(現代の物理学でのクオークとやや異なるらしいですが)の状態になり、再び物質化するのですが、物質化できないものがあるようです。こう書くと、エラく単純で、誤解する人が多いのですが、そのようなものではないかと思っています。
Posted by: Kay | 2010.05.04 08:51 AM