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2010.04.25

この世に別れなど無い

別れというものは、小説や詩のテーマ(根本的意図。主題。ドイツ語)となるほどではないが、その一部として印象的な役割を果たすことは多い。
流行歌あたりでは、十分にメインテーマとなりうる。
つまり、冷静に考えるなら、別れとは、それほどの重大事ではないのだけれど、心を動かすものであるということだ。

一緒の幼稚園に通ってた、とても仲の良かった友達であっても、卒園の翌日から一生逢わなくなることも普通のことと思う。
小学生になると親友と呼べるものが出来ることもあるが、親の転勤などで引っ越すことになって、やはり一生の別れになることもある。その時は悲しいだろうが、後で思うと、ただの印象深い思い出の1つでしかない。
今はそうではないかもしれないが、昔であれば、大人になって親の家を出たら、親とも一生逢わなかったり、今、親が生きているかどうかも分からないということも、珍しいことではなかった。
1805年生まれの19世紀の人であるアンデルセンも、14歳で故郷のオーデンセを出た時以来、彼を盲目的に愛した母親の元には一度も帰っておらず、その死の知らせを手紙で受け取ったのだった。

別れに対する感慨の度合いは人それぞれだ。
「レイアース」というアニメ作品で、一生の友情を誓い合った3人の女子中学生が、卒業と同時に、一人は他県、一人は海外にとバラバラになることが決まっていた。その卒業まで後1週間という時、一番精神的に幼い少女は、他の2人がさほどに悲しそうでないことを疑問に思う。しかし、他の2人も、悲しくないわけではなかった。ただ、少し大人だっただけだ。
ラストシーンは、私の知る範囲では、最も美しいものだった。永遠の友情を誓い合った桜の木の下で、今一度、3人は手を重ねた後、振り返らずに別々の方向に歩いていく。

ただ、慰めでも何でもなく、この世に別れなどないというのが事実だ。
仏教では、人生の大きな苦しみの8つの中に、「愛別離苦」「怨憎会苦」と言って、「愛する人と別れなければならない苦しみ」「憎む人に逢わなければならない苦しみ」というものがあるが、お釈迦様は、それが幻想でしかないことを知っていたし、本来は、我々凡人でも、その程度は理解しないといけないことを教えたのだ。

我々の認識する別れとは、空間的、時間的な別れだ。
だが、古来から、本当に賢い人達は、それら(時間と空間)が幻想であり、心の中にしかないことを知っていた。
科学においても、時間や空間が、我々が通常感覚で知覚するとおりのものでないことを解明してきている。
ルドルフ・シュタイナーは、時間や空間の概念をひっくり返したアインシュタインより20歳ばかり年長であったが、アインシュタインとは別の方向から、通常の知覚だけでは世界についてごく限定されたことしか理解できないことを明白なこととしていた。
道元の「正法眼蔵」は、日本の古典でも屈指の難解な書として知られるが、分かりやすい現代語にしてしまえば、案外、子供の方が普通に納得するかもしれない。その中に、やはり時間や空間が幻想でしかないことが述べられている。天才的な数学者の岡潔は、正法眼蔵を、全く意味が分からないまま、20年間、座右の書としていたという。だが、意味が分からなくても重要なものと感じていたのは、子供と共通するような何かの感覚によってであると思う。それが、シュタイナーの言う、超感覚的知覚であると思う。岡潔には、それがあったから数学の分野で革新的な業績を残せたのだろう。

「確かに、過去の友情や愛情は、心の中では不滅であっても、未来に育んでいくことはできない」と言う人もいると思う。
だが、数十年逢っていない人との間でも、友情や愛情は発展させることができる。
むしろ、ネットワークが発達し、完全な別れが少なくなったことで、かえって、本当の友情や愛情を成長させることができなくなっているのが事実かもしれない。
メールやツイッターが普及すればするほど、人々は孤独になっていくのかもしれない。実に、それらは、本来は存在しない別れを故意に作っていると言えるのでないだろうか?


【レイアース】
CLAMP原作「魔法騎士レアース」を基にしたオリジナル・ストーリー。お話としては原作と全く異なりますが、案外にテーマは似ています。導師クレフは美青年に。イーグルはいっそう妖しく・・・。
宮崎駿監督の「もののけ姫」と同じ頃の作品と思いますが、私は、同等の価値があると思っています。もちろん、予算は大差ですが。

【レイアース ― オリジナル・サウンドトラック ~ファースト・ハーフ】
上記、「レイアース」のサウンドトラック。アニメの単発オリジナル作品に音楽集とは異例ですが、素晴らしい楽曲揃いで、K-1の入場曲や、ニュース番組、ドキュメント番組のBGMにも時々使用されています。

【魔法騎士レイアース イメージ・ソング 聖夜の天使たち】
「魔法騎士レイアース」のヒロイン達が歌う、原作者自ら作詞した、実に美しいクリスマスソングです。

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Comments

小学生くらいの頃、
とても早くなんでも覚えられる子と
大変に物覚えのあまりにも悪い私自身を見比べて
本当に人間は同じ時間を共有しているのだろうかと
よく感じていました。

自分の生きている時間は自分よりも
理解力や物覚えのいい子供より時間の流れが早く
進んでるのではないかと、本気で考えてみたり。

そうなると当然同じ勉強量だったとしても、
沢山時間の与れている子供のほうが理解も早いに
決まっているけれど、誰も個々人に与えられている
実際の時間の量やスピードを証明することは
できないなぁとかいうバカなことを
延々と考えていたのを、
この話をよんでふと思い出しました。

時間と空間がげんそうであるというのは
幼いころにそんなことを考えていた私にとって
しっくりくるように感じるし

実際にそれは色んな思いを救ってくれる
もののように思えます。

Posted by: ゆり | 2010.04.25 at 08:21 PM

★ゆりさん
面白いことを考えておられましたね。
手塚治虫さんの漫画に、人より多くの時間を得る方法を手に入れ、何でもうまくやってしまう少年の話がありましたが、似た発想かもしれません。確か、「ザ・クレーター」という短編集の中の1つでした。
私は、小学4年生の時、容姿や頭の良さに恵まれた子と、そうでない子を見て、なぜこんなに違った条件で生まれてくるのだろうと、真剣に悩んだことがあります。
時間や空間が幻想で、人間は、本来は、時間や空間を超えた存在であることは確実であると思います。

Posted by: Kay | 2010.04.25 at 10:27 PM

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