自分なりの信念を持つ
いかに金があり、名前が売れていても、安っぽい人間はいるものだ。
一方、世間的には見下げられる人間であっても、敬われている者もいる。
泥棒には泥棒なりの仁義があり、盗賊には盗賊の道がある。
仁義や道、あるいは、掟を定め守らせるのは、志であると思う。
志といえば堅苦しい感じもするが、まあ、自分なりの信念である。それは他人から押し付けられたものでも、世間の評判を得るためのものでも、ましてや、得だから守るものでもない。
アニメ「ノワール」にこんな話があった。
中国では、巨大な黒社会と、ヨーロッパから来たソルダという、やはり闇の組織が覇権を争っていた。
「冷眼殺手」の名で知られる凄腕の殺し屋は、自分の雇い主であった黒社会の大物を殺害する。ソルダに与(くみ)するのが得策と考えたのだった。
冷眼殺手は、ソルダのエージェントに接触し、自分のやったこと(黒社会の大物を暗殺したこと)を告げる。しかし、ソルダのエージェントはそっけなく「それで?」と言う。冷眼殺手は逆上する。丁重にソルダに迎えられると思っていた思惑が外れたのと、超一流の殺し屋のプライドが傷付いたのだろう。
私は、殺し屋にも、当然にして殺し屋の仁義というものがあるのだなと思ったものだ。
「荘子」には、孔子が有名な盗賊を教化しに行き、逆にやり込められるお話がある(実話ではなく、創作である)。孔子には当然、仁義があったが、盗賊の仁義はそれを上回っていたのだった。
同じ「荘子」に、王様がある賢者の評判を聞き、臣下に迎えようと使者を送ったが、賢者が断わるという話があった。賢者の妻が文句を言うと、その賢者は「人の評判で俺を雇おうなんてやつは、人の評判で俺を捨てるのさ」と言う。
ソルダは、冷眼殺手がいかに凄腕であっても、軽く扱うのは当然だろう。損得で動く者には志がないし、得だからといって味方になったものは、損だと思えばすぐに裏切るのは明白である。
潜在意識による成功法則だろうが、今流行りの引き寄せの法則であろうが、志がなければ何の意味もないと思う。
ジョセフ・マーフィーは、おそらく、少々志が低くても、真理を知ることの方が大切で、それにより、やがては志も向上すると思ったのか、あまり堅苦しいことは言わなかったような気はする。
だが、ほとんどの者は低いままに留まり、何の成果も得ていないのではないかと思う。
何をするにも、志、つまり、自分なりの信念が必要なのだろう。
【人生に奇跡をおこす】 ジョセフ・マーフィーの1968年の本で、マーフィーはこれ以前にも、「眠りながら成功する」「人生に勝利する」「あなたも金持ちになれる」といった世界的ベストセラーを出している。この本では、それらの本で奇跡的な成果をあげた人達の手記を、時に、本人の許可を得て、実名と住所入りで紹介しながら、潜在意識の法則を解説している。著名人も多く含まれているらしい。今の時代ならこういったことは難しいと思うが、40年以上も前のものなので、そのまま出版できるのかもしれない。そして、やはり非常に興味深く読めた。 実例を見て、潜在意識の法則への信頼を深めると共に、大きな成果を得た人達は、やはり、大きな志・・・自分なりであっても、信念があることを強く感じた。非常に素晴らしい本で、マーフィーの本が初めての人も、マーフィーの他の本で成果があがらなかった人にもお薦めできると思う。 |
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