世間に迎合するか立ち向かうか
アドルフ・ヒットラーの美大受験生時代のスケッチが見つかったというニュースがあった。
美大の偉い先生の話では、「それほどひどくはないが、大きな才能は感じられない」とのことだった。
まあ、私は、こと芸術に関しては、アカデミックな専門家の意見は全く信用しないが、ヒットラーは確かに美術アカデミーを2回不合格になっているようだ。
私は、ヒットラーの自伝を読んだこともないのだが、彼は学校の成績に関しても、自分で「優秀というわけではなかった」と言っていたらしい。
しかし、彼は、世間や社会に迎合しようとしていたのだろうとは思う。
ヒットラーより10歳早く生まれているアインシュタインは学校に真正面から反発し、当然成績は悪かった。制度を利用して無試験でチューリッヒ工科大学に入るも、講義には出席せず、試験にも悩まされたようだ。
8歳で学校をやめているエジソンは大学は全く無価値と断言する。
高名な芸術家では、池田満寿夫さんは、東京芸大を3回落ち、岡本太郎さんは、東京芸大(当時は東京美術学校)に入学するも、すぐにやめているようだ。
池田満寿夫さんは、生涯、上手い絵を描くことはなかったし、岡本太郎さんともなると、芸術は上手くあってはならないとまで言う。池田満寿夫さんは、まだ、生活のために絵を描くことはあったが、元々がお金持ちであったこともあるが、岡本太郎さんは、金のために描いてはならないと言ってたようだ。2人とも、ピカソを絶賛することは同じだが、岡本太郎さんはピカソを超えたことを宣言し、池田満寿夫さんは、ピカソの最晩年の頃の、子供のなぐりがきのような版画に特に執心した。
これらから感じることは、過激に思える岡本太郎も、それに比べればマイルドに感じる池田満寿夫も、世間というものを全く問題とせず、好んで戦ったわけではないかもしれないが、襲いかかってきた時は立ち向かったのだと思う。
岡本太郎は、芸術家なら世間に言いたいことがあるはずと、かなり世間への積極的な反発も見せた。彼がデザインした太陽の塔は、1970年の大阪万国博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」のシンボルとされたが、調和の方はともかく、太郎自身は、あれは人類の進歩に対し「ノー」と、両手で制止している姿だと言ったのだ。
最近は、日本独自の慣習である企業の入社式が行われ、大手企業の入社式の様子がテレビで見れたりもするが、新入社員が会社という世間に迎合し、また、迎合させられる様子に私は心底ゾっとする。
アインシュタインが学校や軍隊を見て感じたこと、岡本太郎が、やはり学校や美術界、そして、世間を見て思っていたことは何だったのか?
ジョセフ・マーフィーは、潜在意識の法則から、世間の思想に飲み込まれる恐ろしさを語り、それに勇敢に立ち向かう必要があることを強調している。彼は啓蒙の道を選んだが、正統なキリスト教会の教えへの反発は、元々は持っていたのだと思う。ただ、心に葛藤を引き起こす攻撃というものに無関心であったのだろう。
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