「思い」と「思うこと」
「思い」と「思うこと」は全く異なる。
富を欲しいと思っても、それは手に入らないばかりか、持っているものまで失う。
しかし、富という思いを持てば自然にそれを得る。
愛することは憎しみの裏返しであるが、愛に好き嫌いはない。
思えば思うほど中心から外れるが、思いは中心にとどまる。
思いは叶うが、思うことは叶わない。
思いは伝わるが、思えば相手を縛る。
思いは見守り、思えば指図する。
思うと顔をしかめるが、思いは微笑む。
欲望は思うものだが、本当の夢は思いだ。
思いは無為だが、思えば作為する。
思うことは大衆の固定観念や教義や偏見だが、思いはそれらから解放されたものだ。
マインドの思いはスーパーマインドの思いに一致するが、思うとスーパーマインドを見失う。
思いは無心だが、思うことは想念だ。
想念は感覚に支配されるが、思いは超感覚だ。
思いは穢れを祓い純粋にするが、思うと穢れる。
ルドルフ・シュタイナーは、「マリアは再び処女になった」と言った。マリアは想念を根絶やしにし、思いにとどまった。
祈りは叶うものだが、祈るから叶わないのだ。
【この世に不可能はない―生命体の無限の力】 政木和三さんが常に著書に書かれていることですが、欲望を捨てれば思いのままとなります。このパラドックスが解消できた時が実現の時でしょう。 | |
【眠りながら成功する】 眠りの中には想念はなく、思いのみがあります。マーフィーの本をよく読むと、欲深い人の願いは叶わず、潜在意識に思いを沈めることが世界を動かすことであることが分かると思います。マーフィー理論はその方法です。 |
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