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2010.03.18

約束の地

「まほろまてぃっく」という、あの「新世紀エヴァンゲリオン」と同じガイナックス社制作のアニメ作品がある。
現代を舞台に、外宇宙からの侵略者と戦う中で、人類自体の未解決の問題が醜く浮き上がるのであるが、未来において、人類は侵略者達と和解し、共存する。
最終回は、その未来の、地球から離れたある惑星にある薄暗いバーの中から始まる。かつての(21世紀初頭の)地球で、ナチス並の残忍さで人類の支配を目論んでいた組織の大物だった男が「運び屋」と交渉する場面である。「運び屋」とは、現代と同じ感覚で、密輸品など、公然と運べないものを高額で運ぶ仕事をする者である。元悪の組織の大物が依頼する運送物とは、自分自身であった。既に身体を機械化した男であったが、自分をふるさとの地球に運べという注文であった。富と欲望のために、どんなことでもやっただろう男は、つい運び屋に、故郷の思い出を語る。それは、子供の頃に過ごした村での、木々のざわめきや野に茂った草が風に揺れる様子だった。そして、どうしてもそこに返りたいと熱望する。

手塚治虫さんの作品には、ロックという名の、若いイケメンで頭脳は優秀だが、冷酷非情な男がよく登場する。名前は同じロックでも、作品ごとに別人物であるが、酷似して描かれている。
「バンパイヤ」という1966年連載開始の作品では、ロックは「ヘビのように残忍、ネコのように執念深く、宇宙人のように頭が良い」という天才的犯罪者で、金のためならどんな大きな悪行も平然と行い、ことごとにうまくいき、世界を支配するかのようだった。
ところが、ある時、ロックを訪ねてきた若い男を見て、ロックは、これまで見せたことのない少年のような笑顔と共に、完全に無防備となる。そこに、男の強烈なパンチが炸裂し、ロックは吹っ飛ぶ。その男は、どう見ても田舎のにいちゃんでしかなかった。そして、実にその通りであった。ロックは、子供の時、いつもいじめられていたのだが、いつからか、その男がかばってくれるようになったのだった。その男は、頭も良くなかったが、ロックといつも一緒にいて、子供らしい遊びも教えてくれたのだった。

結局、人間は、どんな風になったとしても、主に故郷によって思い出す子供の頃のことが最も大切な宝のようだ。
もちろん、悲惨でみじめな子供時代を過ごした場合は必ずしもそうは言えないかもしれないが、それでも、不幸な子供時代の、ほんの一瞬の輝く瞬間を懐かしく思い出すものではないかと思う。
それを極端に押し進めたものが、池田満寿夫さんのような芸術家が時々言う、母親の胎内に戻りたいという子宮回帰願望であると思う。
だが、人間の心の深奥にある、本当の回帰願望とは、もっとはるかに壮大な望みである。本来は言葉で表現できるものではないが、あえて言えば、宇宙とか神、カオス、原初の状態・・・そういった、初めの初めに帰りたいという、どうしようもない憧れである。
そして、それは可能である。それは、我々の内にあるのであり、世界の全てでもある。そこは世界中の神話で「約束の地」と表現されてきたが、時空という幻想の中でも、我々はそこに帰る時に近付いているのかもしれないと感じる。


【現代語訳 古事記】
世界の最初の時のことは、我が国では「古事記」で神話的に表現されている。「古事記」は日本人の心の故郷であると思う。
本書は、数ある古事記の現代語訳の中でも、非常に分かりやすいもので、名訳の評価も高い。

【古事記物語】
児童文学者の鈴木三重吉さんが1920年に出した、子供にも読める古事記で、端正な文章は名作の誉れも高い。私も愛読している。

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