宇宙は5分前に出来た?
「世界五分前仮説」という、とても奇妙に感じるかもしれない哲学の仮説があります。
この世界は実は5分前に出来たのではないかという仮説です。
提唱者は、数学者、哲学者、論理学者のバートラント・ラッセルです。ラッセルは、アリストテレス以来の最大の論理学者とも言われ、また、人道的活動家として有名です。1950年には、数学者でありながらノーベル文学賞を受賞しました。
さて、世界が5分前に出来たという「5分」は、もちろん、「つい最近」といった程度のもので、特に意味はありません。
谷川流さんの人気小説「涼宮ハルヒの憂鬱」では、世界は涼宮ハルヒによって、3年前に作られたのではないのかという可能性が提示されます。
そういった話があると、当然、ほとんど全ての人には、「しかし、私には5分前(あるいは3年前)より以前の記憶がある」といった反論ができるわけですが、その記憶が偽物でないことを証明する術はありません。実際、偽の記憶を作ることは、やり方が分かれば難しいことではないと思います。
また、現実では庶民である人間が、夢の中で宮殿に住む王様になったとしても、その人は自分が宮殿にこれまでずっと住んでいることを疑いません。記憶、あるいは、過去が存在するという思いがいかに頼りないものであるかが分かると思います。
他人と記憶を共有しているとしても、その他人の記憶も、ついこの瞬間に出来たものかもしれませんし、そもそも、その他人が、あなたが思っているような存在であるという保証もありません。そして、他人との記憶の整合性がなかったり、曖昧であるということも少なくはなく、それどころか、自分の記憶が誤っていることが分かって驚いたということもよく経験しているかもしれません。
デカルトは、いっさいのことは疑えるとし、疑えない唯一のことは、「疑っている私が存在していること」だけであると結論し、「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉を残しました。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは「あなたが確信できる唯一のことは、『私は在る』ということだけだ」と言います。
私は、世界は5分前に出来たどころか、一瞬前に出来たに過ぎないと考えています。
記憶もまた、一瞬の間に心に刻まれるだけです。多分、心が世界と記憶を瞬間に作り出しているのでしょう。
なぜそんなことが言えるかといいますと、私には、偽りの記憶を抹消する能力があるからです。世界が作り出される過程を覗き見ることすら出来ます。世界は、まことにもって幻に過ぎません。
もし、心を完全に停止させることができれば、おそらく、そういったことがはっきり分かると思います。なぜ「おそらく」と言うかといいますと、私もまた、心を完全に停止させるまでには至っていないからです。
心がどのような世界を創り出すのかについては、心の潜在的傾向性に基きます。
心の潜在的傾向性がどう形作られるかは分かりません。ただ、それによって、各個人がどんな世界を創るかが決まるということだけが分かります。
聖者は、世界を単なるマジックショーと見なします。彼らは、世界は心が作り出す幻であることを知っているので、それにこだわらないのです。
しかし、非常に強い潜在的傾向性によるもの以外は、世界は割に自由に変えられます。
本当は強い潜在的傾向性でも変えられるのですが、強い潜在的傾向性には意味がありますので、変えない方が良いということもあります。
心の潜在的傾向性の影響を免れたいなら、死んだように生きることです。
至道無難という禅僧が、「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言ったのも、そんな意味かなと思います。
簡単に死んだように生きるには、生命を育てる基である食を慎むことです。
水野南北は、観相という、顔や身体の相で鑑定する運命学の達人でしたが、どうしても観相での鑑定が外れることがありました。しかし、その人の食生活で鑑定したところ、万に1つの間違いもなくなりました。
いかなる運命(心の潜在的傾向性)であっても、食を慎むと必ず幸運となります。
食を慎むと、生命に依存する心の潜在的傾向性が弱くなり、ことによっては消滅するからです。そうなれば、後は心の想いのままの人生ですが、生命は自己の幸福を願うものですので、自然に幸福になります。
実は、呼吸を制御するとか、強いイメージを描くというのも、生命を危機に追い込む方法なのです。
呼吸はともかく、なぜイメージが・・・という疑問を持たれると思いますので、最後に少し説明します。
例えば、月給20万円の人が、月給100万円の自分を強くイメージしたとします。すると、その人にとって、月給100万円の強いリアリティができ、月給20万円では生命にとって都合が悪いのです。そこで、その人を構成するエネルギーは、その人を月給100万円にしてしまいます。
苫米地英人さんが説くホメオスタシスの働きによる成功法は、おそらく、基本的にそんなものだと思います。これは、昔、中山正和さんが本に書いていたことです。
瞑想と潜在能力―"直観瞑想"で眠れる才能を呼び醒ます 30年も前に、中山正和という天才は、「ザ・シークレット」など、21世紀に世に知らされる法則を論理的に解明していたように思います。 さらに、この本では、とても面白い禅問答を使って、心の潜在的傾向性をクリアにすることが可能です。なんとも貴重な本と思います。 | |
新修 南北相法・修身録(全) 何度もご紹介しますが、特にこの本の後半部の「相法修身録」の価値は実に大きなもので、これを読み、少しでも食を慎む意味を知るなら、人生に雲泥の差が生まれるに違いないと私は思います。 |
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Comments
こんばんは。
世界は、宇宙は、今一瞬しか存在しませんよね。
永遠に・・と言う気がしますが。
その一瞬の中に人は在るということだけでしょうね。
Posted by: セント | 2010.01.09 12:32 AM
年明け以来 働き過ぎだったので
今日は自分自身の記事を書くことが却下されてしまいました。
…なので
手軽にコメントのみにて失礼いたします。
Kayさんのブログに初コメントさせて戴いたのは
「食を慎む」 系の記事だったと記憶しておりますから
これで早くも (螺旋を描いて) 一巡したわけですね。
…で いきなり断食の話になりますけど
10年ほど前までは しょっちゅう行なってました。
そんな経験を過ぎ越した上で言えることは
頭や心より先に身体が在る
ということですね。
まあ それも 「一瞬で」 構成される現在記憶に過ぎぬのかもしれませんが
とにかく
思考や感情などといった表層機能がブットンダ後には
1匹の飢えた動物だけが残る……。
あと幾日したら
あと何時間たったら
あれが食える
あれが飲める (もちろんアルコール系の飲料ですよ)
などといった 「煩悩」 の塊になる・なりきってしまう
という情けない心理状態に収斂していく……。
だけど そのとき
デカルトの 「コギト」 ならざる
動物としての 「われ」 が
確然たる存在感をもって立ち顕れてくるんですね。
少なくとも私の場合は そうでした。
シェリーのひばりは………
って 人間として生きるのは 正に苦行ですね。
そうは思いませんか?
Posted by: Minr Kamti | 2010.01.09 12:32 AM
★セントさん
言葉で言うと、確かに難しいですよね。
★Minr Kamtiさん
これはお疲れ様です。
私は楽をしています(笑)。
動物としての本能的欲望は大切ですね。
今の時代、それを十分に刺激できないことが問題です。
その中で性欲ばかりが増大していることも歪んでいる原因と思います。
生きるのは苦行という面もあるかもしれませんね。
芸術家はそうでないといけないのかなあ。
私は、人生とは楽なものだという方向にシフトするかもしれません。
Posted by: Kay | 2010.01.09 06:36 AM
はじめまして。 些細と申します。どうしても解らない事があります。「世界は瞬時に出来ている」は何とか受け入れます。が、何故世界は造られたのか?そこの所をお教え下さいませんでしょうか。 ご迷惑とは思いますが、できましたら、よろしくお願い致します。
Posted by: 些細 | 2010.01.13 06:37 AM
★些細さん
はじめまして。
ご質問のテーマで明日の記事を書く予定です。
良いテーマを下さり、ありがとうございました。
Posted by: Kay | 2010.01.13 09:34 PM