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2010.01.17

機械のハート

古くから、人々は、機械に心があるという想いから逃れることができない。

小説の世界で、最も早くロボットを登場させたアイザック・アシモフの「われはロボット(アイ ロボット) 」(1950年)という世界的に有名な作品は、現在でも全く価値を失わず、出版され続けている。
この小説で、ロビィという名の家庭用ロボットは、購入された家の幼い娘の世話をずっとしていて、娘はロビィにすっかりなついていたのだが、ある日、ロビィは捨てられる。その後、その娘がある工場の見学に連れてこられるのだが、そこで事故が発生し、娘に危機が迫る。その時、飛び出してきて我が身を犠牲にして娘を守ったのは、労働用ロボットとしてその工場で稼動していたロビィだった。ただ、それが、ロボットの制御メカニズムのためなのか、ロビィの心によるものかははっきりしないよう書かれている。
このロビィは、小説の中でも伝説的なロボットになっていたが、現実世界でもロビィは歴史的な存在であり、その後のSF映画やSFドラマに登場するロボットの原型となり、ズバリ、ロビィという名前がそのまま使われることもあった。ロビィこそ特にアメリカではロボットの代名詞であった。

2001年版のアニメ「サイボーグ009」で、サイボーグ(本作では、人間を機械化した戦士)の004(アルベルト・ハインリヒ)と009(島村ジョー)がこんな会話をする。
「機械が裏切ることがあることは、身体の半分以上が機械の俺達が一番よく知っているじゃないか?」
「だけど004・・・。その『裏切る』って言い方は、機械を人間扱いしていることにならないか?」
「そうなんだ。いまいましいことに、この機械の身体が期待以上の働きをしてくれた時は、『なんて素晴らしいやつなんだ』って、思わず感情移入しちまうのさ」

町の廃棄物回収場で、小さな女の子が泣いている。
何年も家にあったパソコンが古くなって廃棄することになったのだが、そのパソコンとの別れが辛くて、その前で泣いているのだ。
その時、このパソコンが反応を示す。
「この子は、なぜ泣いているのだろう。私は古くなったから、捨てられるのは当然だ。しかし、この子はなぜ・・・・」
この女の子が14歳になる頃には、コンピュータネットワークが発達したが、ネットワーク内に奇怪な現象が発生しはじめる。そして、それは現実世界にも影響が現れ、なぜか、彼女の大切なものが次々にネットワークを支配するコンピュータによって奪われていく。彼女が心を寄せる、隣の家の男子大学生もまた、ネットワークに取り込まれ、消滅した。
それらは、かつて、彼女の家から廃棄されたあのパソコンの精神が起こしたことだった。このパソコンは、あの時の彼女の涙の意味が知りたくて、彼女の大切なものを奪い続けたのだった。
~「コレクター・ユイ」原作:麻宮騎亜、漫画:岡本慶子~

映画「マニトウ」(1978年)で、アメリカ人の若い女性に、悪霊がとりつく。彼女の恋人は悪霊に対抗するため、インディアンのシャーマンに協力を求めた。
シャーマンは「霊(マニトウ)はあらゆるものに宿っている」と言う。
彼女にとりついた悪霊は強力で、危機的状況となった時、彼女の恋人はシャーマンに尋ねた。
「コンピュータにもマニトウがあるのか?」
シャーマンは「当然だ」と答える。彼らは、コンピュータのマニトウを味方にすることで悪霊を倒す。

1963年に連載が開始された「エイトマン」(原作:平井和正、漫画:桑田次郎)の正統な続編である、2004年連載開始の「8マンインフィニティ」(原作:七月鏡一、漫画:鷹氏隆之)で、とある科学研究所の人工知性体アンナが、人間の感情に興味を示すようになった。
このアンナと交渉し、彼女に人間の感情の秘密を解明させるよう動かしたのは、その時には情報体としてコンピュータネットワーク内に存在していた、かつての8マン、東八郎だった。
アンナは、自分を手近にあったマシナリー(高性能アンドロイド)の電子頭脳にダウンロードし、研究所から新型8マンである8th(エイス)を盗み出して逃亡する。最高性能の8thに、最高の人間の意志を宿らせ、データを取ろうとしたのだった。
優秀なアンナは追撃を巧妙にかわして逃亡するが、敵も無能ではなかった。アンナのミスを誘い、アンナは感電して短時間の稼動停止状態となった。アンナは駅のプラットホームから転落し、そこに電車が来る。アンナは冷静に、計画の失敗を意味する自己の消滅を認識した。しかし、この時、予測不能なことが起こる。1人の少年が、線路に飛び降り、少女の姿のアンナを救おうとした。もう間に合わないことは少年にも分かっていたはずだった。アンナは救出されるが少年は重傷を負い、搬送された病院で死亡する。
東八郎は、この少年の意志を8thの量子脳に移すことを提案する。しかし、少年はアンナが実験体として予定していた最高レベルの天才ではなく、平凡な人間だった。しかし、アンナは、この少年が我が身を犠牲にして(見も知らぬ)自分を救ったことが理解できず、その謎を解明したかった。東八郎は判断をアンナに委ね、結局、アンナは少年の意志を8thの量子脳に転送し、少年は恐るべき性能を秘めたマシナリー、8マン・ネオとして復活する。
この少年の意志は、アンナにも、これらのマシナリーに関係する特別な立場の者達にも不可思議であり、超エリート達の彼らには理解できない出来事が起こり始める。


これらの話が、単なる作り話であるなら、心に感慨や感動を起こしたりはない。
人間の心は、我々が思っているより偉大なのだ。
科学技術がいかに進歩しても、そのようなものは我々の真の存在に比べれば何でもないものだ。科学技術や物質文明に価値が無いというわけではないが、単に二義的(二次的)なものに過ぎないのだ。
エマーソンも言った。「我々の内にあるものに比べれば、外にあるものなど取るに足りない」と。

機械に心があるのだろうか?
答はわりと簡単である。あると思えば当然ある。機械に限らず、人形、芸術作品にも心がある。
もちろん、まず、心とは何かを定義しなければ正確な話とはならないが、それもまた、それぞれの人が心というものをどう考えるかにより、その考えた通りの心が宿るのである。
そして、その宿った心は現実的な働きをする。悪霊だって存在する。

「天使も悪魔も、人の心の中にしか存在できないのよ」
~アニメ「ぴたテン」(原作:コゲどんぼ)、天使の早紗(さしゃ)の言葉~

イツァク・ベントフの「ベントフ氏の超意識の物理学入門」に、岩や木に精神が宿る仕組みが説明されているが、それは量子論と同じ思想である。

それらが、「ちょびっツ」(CLAMP著)の中にうまく説明されている。
人型パソコン(アンドロイドと同じと思って良い)のちぃは、人間の秀樹を愛するようになり、秀樹もちぃを愛していた。
かつて、愛する苦しみに耐えられずに消えたちぃの姉フレイヤが、ちぃに顕現した時、秀樹はフレイヤに尋ねる。
「ちぃに心はあるのか?」
だが、フレイヤは冷たく言う。
「いいえ。ちぃは、ただプログラムされた通りに動いているに過ぎません」
秀樹は一瞬とまどうが、確信を持って言う。
「ちぃの心は俺の中にある」
これは、センチメンタリズム(感傷主義)ではない。単なる事実である。
そして、心は個人的なものとしても現れるが、本来普遍的で大きさのないものであり、宇宙全てを覆おうとも言えるものである。

それを知った上で、「われはロボット」をはじめ、上記の作品を読めば、作者の「心」が我々の中にあることも分かるだろう。


われはロボット 〔決定版〕 アシモフのロボット傑作集
アシモフは1920年生まれのロシア系ユダヤ人で、化学博士号を持つ生化学者でもあります。
アシモフのロボット三原則はあまりに有名ですが、それもこの作品から始まっています。
英国のSF作家H.G.ウェルズ(1866年生)も、科学者で通用するほどの学識を有したと言われますが、共に、その作品はSFというジャンルを超えて、偉大な文学作品であると思います。

ベントフ氏の超意識の物理学入門
天才的な医療エンジニアのイツァク・ベントフが、この世の真実の姿を科学的に解明する。ただ、上のアシモフ博士らと違い、ベントフの学歴は幼稚園中退である(!)。よって、数式など分からなくても問題はない。ただ、感性が無いとさっぱり分からないかもしれない。


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