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2009.12.25

イエスの誕生日は本当は不明である

一昨日(23日)、スーパーに食品を買いに行きました。
いつもなら置いてある野菜コロッケを買いたかったのですが、揚げ物売り場には、牛肉コロッケ、メンチカツや、鳥のから揚げといった肉類しかありませんでした。
せめて、やはり普段は置いてある、カボチャかサツマイモの天ぷらでもと思ったのですが、天ぷらもエビ、イカ、魚などしかありません。
特に最近では、普通の店の食品売り場はどこに行っても、肉製品が圧倒的に多く、ベジタリアンが食べられるものはとても少ないようです。

いつもなら置いてある野菜コロッケ等、野菜類の食品が無いのは、どうやら、鳥肉製品が大量に並んでいる影響のようでした。
そうえいば、本日はクリスマスです。
クリスマスといえば、西洋では七面鳥を食べる習慣があるようですが、それはクリスマスとは関係のない事情で、中世に始まったことのようです。
日本では、鶏肉や鳥料理を扱う食品会社等が、「西洋ではクリスマスに美味しい鶏肉料理を食べるのですよ」といった感じで利用しただけで、「なぜクリスマスに鳥料理?」などと考えたこともないでしょうが、日本の人々にしても「楽しくて美味しければいいじゃない」ということなのでしょう。

さて、では、クリスマスとは何でしょうか?
もちろん、イエス・キリストの誕生日だと言う人が多いと思いますが、それは違います。
イエス・キリストの誕生日は、今では誰にも分かりません。
また、イエスが生まれたのは、紀元0年ですらありません。歴史学者が、イエスが生まれた年を計算し、それを紀元元年としたのですが、後に間違いが分りました。しかし、間違いが改定されずに時が流れ、いまさらどうしようもなく、西暦が採用され続ける限り、未来永劫間違ったままです。
ハンガリー出身の英国の科学ジャーナリストであり、天才的思想家でもあったアーサー・ケストラーは、著書「ホロン革命」で、西暦はもう古く、広島に原爆が投下された年をPH(ポストヒロシマ)元年とすると書いていました。原爆が実際に使用された日は、人類にとって、イエスの誕生日(それも間違いの)より重大な日であるというのは、大いに納得できることと思いますがいかがでしょう?

12月25日をイエスの誕生日としたのは、4世紀のローマ・カトリック教会です。この日は、太陽神であるミラトの生誕日とされる日で、それをイエスの誕生日と決めただけのようです。
尚、ローマ・カトリック教会は、イエスの教えとは全く無関係なものと言って間違いないと思います。
良いとか悪いとかの話ではなく、あくまで政治用に作られたものでしょう。
それは、普通に考えれば誰でも分るはずです。
権力を誇示する豪華絢爛な大聖堂や、国王や大統領のように偉い聖職者達のきらびやかな衣装と、その専制国家のような身分制度と権力構造、ものものしく作為的な儀式・・・これらが、イエスの教えの精神に適うとは、どこをどう叩いても思われません。
イエスは「貧しき人は幸い」と言ったのですから。
もし、ローマ教皇(以前は法王と呼称)のお家である、壮大で贅を尽くしたバチカン宮殿を見たら、イエスは何と言うでしょうか?
ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」で、ミリエル司教は、国家から与えられた豪華で広大な住居を、貧困な人々の小さくて不衛生な施療院(簡易な病院施設)と交換しました。そこまでせずとも、あれだけの広大な宮殿、いくらでもいるヨーロッパの貧民達を住まわせると良いですね。

では、イエスの教えが聖書にあるかというと、それも疑問です。おそらく、聖書はかなりローマ・カトリック教会用に改ざんされているでしょう。
できるだけ古い写本の中から、イエスの純粋な教えを抽出しようという活動もあるのですが、困難な上に、ローマ・カトリック教会にとって都合が悪いものは世に出ることはないでしょう。
このあたりの事情は、他の宗教も似たようなものかもしれませんが、ローマ・カトリック教会ほど、開祖の教えから逸脱したものはないでしょう。

どうも私には、クリスマスやキリスト教に良いイメージがありません。
クリスマスを楽しく過ごした記憶はないですね。引きこもりなもので、楽しいクリスマス・パーティーの思い出があるはずもなく、なりゆきで無理矢理参加させられたクリスマス・パーティーは苦痛なことしかなかったですから。
そして、クリスマスではありませんが、雰囲気は非常に似ていると感じる大晦日の夜に寒さと飢えで亡くなったマッチ売りの少女の話まで鮮烈に印象付いてしまっているのですから。
マッチ売りの少女のお話は、アンデルセンの創作ではありますが、アンデルセンは現実的な世界をテーマにしたのであり、あの少女のモデルになった子供も実際にいます。
イエスの教えは、本当はそんな貧しい人達のためのものでした。


運命を変える思考の力
著者トラインの代表的著書“In Tune with the Infinite”(邦訳『人生の扉をひらく「万能の鍵」』)は、フォード自動車創業者のヘンリー・フォードが、自分の成功の要因と言い、多くの人に無償配布した100年を超えて読まれる成功哲学書で、本書も、成功哲学書と言えるかもしれません。しかし、世界は自己の精神の反映であるとの主張は、たとえば、同時代の思想家ジェームス・アレンと同じでありながらも、正しく考えることの大切さを教えるため、あえて、現代のキリスト教の誤りを厳しく指摘したユニークな書です。
「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツが、「再来(再臨)」という詩で示した、キリスト教の「2千年の悪夢」から目覚め、真理を知るためにもお薦めします。我々だって、クリスチャンでなくても、キリスト教の影響は大きいはずですから。

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Comments

そういえば、僕が小さい頃親について行いかされていたエホバの証人っていう宗教でもイエスの誕生日は違うっていってたきがします。Kayさんはこの宗教しってますか?
紹介されてる本、人生の扉をひらく「万能の鍵」と一緒に買ってみようと思います。

Posted by: ひろ | 2009.12.25 at 04:01 PM

そういえば、孔子の教えの儒教も、
「随分、権力者の都合の良いように作られてるなぁ。」
と思ったことがあります。
少し話が逸れますが・・・

Posted by: Raimu | 2009.12.25 at 09:10 PM

★ひろさん
イエスの誕生日の件は広く知られています。エホバの商人は何の関係もありません。私も名前くらいしか知りません。
トラインの本、是非お読み下さい。


★Raimuさん
儒教は政治思想です。しかし、権力者の都合を優先している訳ではありません。

Posted by: Kay | 2009.12.25 at 09:44 PM

こちらにもコメントさせて頂きます♪

イエスの誕生日については、大学で先生が「12月25日の様な寒い季節の真っ直中に、馬小屋なんかで一夜を過ごせる訳が無い!」と憤慨されていたのを思い出します。笑

カトリックの話はKayさんにお譲りして、こちらイギリスでは(アラブ系や中国系は除く)交通も商店も諸々のサービス機関も、25日はお休みとなります。飛行機は国際線は通常営業のようですが、国内線はどうなのかしら?
ともかく、みなが一斉に休暇をとれるこの日は、起源がどうあれ、歓迎すべきものだと思います。
日本も元日以外(元日でさえ、大抵のお店や交通は稼働していますが)でもこういう日があってもいいかと思います。

流通業系の友人を見ていると、強制的に休める日があったらどんなにいいだろう!と思っていますので。

という私はホテル業なので、まさにカレンダーとは正反対の勤務となるのですが!

Posted by: Time Girl | 2009.12.26 at 01:18 AM

霊止乃道 読了しました。
アマゾンの書評は貴方ですね。
覚悟・・・これを定めなければ
ならないと・・・
で、ヨシュアの「汝の敵を愛せよ」
ですが、随分改竄と誤訳があるにせよ
よく生き残ってきた教えだな、
と思いました。
陰陽和合と「悪を抱き参らせて逝け」
というメッセージでしょうか。

死海文書、ほうへい宮福音書を
昔読みましたが、こちらの方が
ヨシュアの教えに近いようですね。
今日は初めて歌舞伎をテレビで鑑賞しました。
能も狂言も生と死の間を行ったり来たり
しておりますね。

Posted by: taku | 2009.12.26 at 01:30 AM

★Time Girlさん
日本では、年末、元旦は、レストラン、百貨店は必ず開いてますし、テレビCMでも「元日からオープン!」なんてやってますが、従業員は嫌でしょうね。休ませてやれよって思いますし、元旦から外食すんなよって言いたいですが、そうもいかないのでしょうねえ。
元旦に宅急便が来た時には、配達の人が気の毒で涙が出そうになりましたよ。まあ、仕事が無いより良いのでしょうが。
25日はサービス機関は休み・・・本当に良いことですね。
クリスマスが家族揃って楽しく過ごせるなら、ローマ・カトリック教会も少しは良いところがある訳ですね。


★takuさん
敵になるも因果、戦うのも因果。避けられぬ運命なのでしょう。
その中で、内海さんの言うように、種観霊して見極めることですね。

能の身体の動きには興味を持っています。それを最大に活かすことができた武道家もいますが、素晴らしいものが秘められているのでしょうね。

Posted by: Kay | 2009.12.26 at 04:08 PM

クリスマスといえば、クリスマスソング、クリスマスケーキ、イルミネーション、サンタさんからのプレゼント、人によっては高級ホテルの予約に、レストランの予約・・・とにかく日本人にとってはお金がかかるイベントですね(笑)ほんとうに馬小屋で生まれた教祖様の誕生日をお祝いしたいのでしょうか?と改めて考えてしまいました。特に日本では、キリスト教の本来の形とはかけ離れた、イベント多きブランド志向の宗教になってしまったように思います。かっこいいイメージばかりが目立ちますね。宗教って、根っこはみんな同じだと思っております。人間の「祈る」という単純な行為が原点かなーと。そんな私は無宗教ですが、毎日お祈りしています。

Posted by: あおみどり | 2009.12.26 at 10:47 PM

★あおみどりさん
祈りはとても深遠で重要なものと思っております。
古い格言に「祈りに求めることは、2たす2が必ずしも4ではないこと」というのがありますが、深い意味があるのでしょうねえ。

Posted by: Kay | 2009.12.27 at 07:41 AM

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