晩節を汚す原因は
晩節を汚すという言葉があります。
高く評価されてきた人物が、年をとってからの不名誉な失敗でイメージを失墜させることを言うのだと思います。
そのような言葉が一般的であるということは、成功した人間ほど、晩年に過ちを犯しやすいということではないかと思います。
栄光に輝いたスポーツ選手なら引退してすぐの過ちで、栄光を台無しにすることもあり、さほどの年でなくても晩節を汚したと言われることもあります。彼らは、引退した後にどんなに偉くなっても、現役時代の活躍で評価され勝ちですし、現役復帰して再び栄光を掴むのは極めて難しいことから、そうなってしまうのでしょう。
しかし、小室哲哉さんや酒井法子さんのような場合は、まだ将来がありますし、その後の生き方によっては、むしろより偉大な人間になることもあるかもしれません。
英国の作家、評論家のコリン・ウィルソンは、同じ英国のSF作家であったH.G.ウェルズを、単にSF作家としてだけではなく、思想家、哲学者として非常に高く評価していました。しかし、そのウィルソンですら、晩年のウェルズに対しては辛らつです。ウェルズは年を取っても性欲をコントロールできませんでした。
現在(2009年12月)、Wikipediaに、晩年のウェルズの写真がありますが、相当腹が出ているように思います。実際、ウェルズは糖尿病に苦しんでいました。性欲過剰であったことと合わせ、美食、大食家だったのではと思います。子供時代は貧しく、上流階級への憧れを持ったことが悪く作用した面もあるのではと思います。
ゲーテに憧れる若者が、ゲーテの自宅を訪ね、念願の対面を果たした時、若者の顔には明らかな失望の色があったと言われます。若い頃は美青年だったと言われるゲーテも、晩年はすっかり肥満し、醜くなっていました。ゲーテが、晩年になっても若い美少女にしばしば夢中になったことはよく知られていますが、これを大詩人らしいと良い評価をする向きもあるのですが、単に飽食のせいで異常性欲になっていたのかもしれません。老人の美少女狂いなんて、いかに芸術家であっても、みっともないとしか言えません。
もっとも、ゲーテの日常についての本当のところは、ほとんど分かりません。
ゲーテは、自慢は老人の過ちなのだから、若い時は奥ゆかしくすべきだといったことを言っていますが、老人の自慢程度なら、度を超さない限り、笑って済ませることができます。
しかし、美食、飽食で肥満し、身体を壊し、女狂いになった老人であれば、過去にいかに立派なことをしていても、その評価は地に落ちかねません。
逆に、特に大したことはしていなくても、節度を守った生活をし、ましてや、自慢癖のない老人であれば、実に立派な人であったと言って良いのではと思います。
イェイツや一休禅師のように、老人になった自己の狂気に向き合うことで精神を深めた者もいると思いますが、それは別の話にしないといけないでしょう。
性欲過多は、飽食から生じると思います。食を慎んでいれば、性欲を簡単に支配できるようになります。
ナポレオン・ヒルも指摘していますが、多くの男性の失敗の原因には押さえることのできない性欲があると思います。
食を慎んでいれば、そういった致命的な失敗を避けられ、それどころか、必ず成功する要因になると私は思います。
超越意識の探求―自己実現のための意識獲得法 75歳になっても変わらぬウィルソンの探究心はすごい。それでいて、「アウトサイダー」を書いた23歳の時の初志は現在も変わらないと言います。 本書でも、沢山の超一流の人物を取り上げ考察するというウィルソンのスタイルは踏襲されていますが、年をとるごとに洞察は深まっているように思います。 尚、本文に書いた、H.G.ウェルズの晩年についても、本書に書かれています。 | |
ゲーテ詩集 (新潮文庫) この高橋健二さん訳の「ゲーテ詩集」は、半世紀以上の歴史がありますが、今後も永遠のロングセラーとなると思います。 彼の晩年についてはともかく、彼が人類史上最高の詩人の1人であったことも確かだと思います。 |
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