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2009.12.01

人生を最高に生きる本当のじゅ文

この世というのは本質的に不安定だ。
化学的に極めて安定しているように見える物質もあるのだけれど、それも長い時間で見れば不安定だし、十分に起こりえる何らかの作用で変化してしまう。
ましてや社会、世間は不安定だ。景気や国力、人の富や健康なんてのは、ちょっと先のこととなると全く分らない。
人々の不安の原因はそこにある。
明日も、今のような暖かい住居、心地よい衣服、立派な車、胸を張れる職業とそれに伴う収入があるだろうかと不安になる。
一方で、世間知らずの奥様や坊ちゃん、お嬢ちゃんは、今の幸せが永遠に続くと思っている。しかし、彼らこそ、やがて大きな不安を抱えることになる。

法則というものは安定していると言えるかもしれないが、「現象界は不安定である」というのが法則だ。
この世で人は不安から逃れられない。

しかし、不安定であるということは、可能性があるということでもある。
実際、この世において、人の可能性は無限だ。
ヘレン・ケラーは、「人生は無謀な冒険か無のどちらかである」と言ったが、全く同感だ。
我々は、心を決めて冒険に挑むしかないのだ。
だが、多くの人は冒険をためらい、一歩を踏み出さない。
しかし、神は慈悲深い。いくら冒険を避けても、ちゃんと冒険を用意してくれる。
平穏無事を決め込んでいても、必ず予測不能なことが起こる。それは一見不幸な出来事に見えるが、本質はスリリングな冒険だ。
なぜなら、神である自分自身が、自分を表現するために仕組んだものだからだ。

偶然は密かに仕組まれた、いっそ必然?
~“Re-sublimity”(詩:KOTOKO)より~

なら、最初から、冒険を選んだ方が良い。その方が楽しめるに違いない。
いい学校に入って、良い就職先を探すなんてのはこれに反するのである。そんな道を頑なに進んでいると、ある日突然、ドカン!と何かが起こるはずだ。それは一見、災いに見えることも多い。あまりに当然なので、最初から気付けば良さそうなものだが、ちょっといい思いをしていると、大半の人はそこから離れない。いや、今がそう悪くないなら、やはり人は現状維持を望むのだ。それで言うなら、悪い状況にある者は幸いかもしれない。

「予期せぬ出来事よ来たれ」
これこそが、人生を最高に生きるじゅ文である。
そして、こう宣言する者は勇者である。

「予期できぬことでさえあれば、何事も起こることが最善だ」
~W.B.イェイツの戯曲「カルヴァリー」で、ローマ兵士がイエスに言った言葉~

「この世で一番楽しいことは何か知ってるかね?スピネル」
「何ですか?エリオル」
「予想しないことが起こることさ」
~CLAMP「カードキャプターさくら」のエリオルとスピネルの会話~

「行け!そして俺を試練に導け!」
~CLAMP原作「レイアース(OAV)」の、フェリオの言葉~


最後のロマン主義者―イエーツ訳詩集 (加島祥造セレクション)
「20世紀最大の詩人」W.B.イエーツ(イェイツ)の数多い詩の中から、英文学者、詩人、画家でタオイストである加島祥造さんの、わずか12作品しかできなかったという懇親の訳である。
著者による挿絵も美しい。
また、イエーツに関する著者のエッセイが、非常に面白い上、味わい深かった。
珠玉の詩集と私は思う。

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Comments

連日のコメントで失礼いたします。

神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)の中で神は「イエスも完璧では無い」と言っていました。宇宙の進化した存在も動物を食べないそうです。

最近ローフードの講座を受ける機会があったのですが、その講師も動物性食品は全く採る必要が無いと言っていました。

人が言ってるからというわけでもなく個人的にも、もう人類は肉食を卒業する方向へ行くしかないと思っています。要は今までが食べる物に対してルーズ過ぎだったのだと思います。

でも人の肉食をとやかく言おうとは確かに思いません。

kay様の言う非常に心の狭い少食菜食者がどういう人なのかわからないのでなんとも言えませんが…

私は心が狭いと言われようが、非寛容と言われようが少食菜食を貫きたいタイプですね。

畜産・漁業・農業を仕事にしている人にも配慮すべきという意味なのでしょうか。
私はそういう配慮は全く必要ないと思っています。
畜産・漁業・農業を仕事にしている人が困っても知ったことではないという意味ではなく、畜産や漁業やある種の農業がこの地球上から無くなっても誰一人困らないようにする方法はあると思うからです(とっぴな考えかもしれませんが)。

神との対話で神は生活の為にやっていた仕事など死ぬ間際にはどうでもいいと思うだろうとも言っていました。
それに、食品偽装や農薬・添加物の問題を観ても分かるように崇高な目的を持って食べ物を生産・加工している人は多くはないと思います(失礼かもしれませんが)。

病気にならない生き方を著した新谷医師も牛乳を否定していますが、乳業関係者からの攻撃にさらされました。もし新谷医師が乳業関係者に配慮して真実の発表を控えていたら多くの人にとってマイナスになったと思います。

少食菜食を貫こうとすると既存の社会秩序を崩壊させる方向に行きますが、崩壊は逆に良いことだと思っています。

最近のkay様は少食菜食道を究めることにややブレーキをかけているように見えるのが私としては少し淋しく感じます。

でも細かい違いはあれど私もkay様と同じ志を持っていると信じています。

以上、僭越ながら私の考えを述べさせていただきました。
書きたいことが多く、また文章が長くなって申し訳ありませんでした。

Posted by: sunta | 2009.12.01 at 09:53 PM

★suntaさん
私は、庶民に近付くために、敢えて肉食、妻帯した親鸞聖人が好きですね。仏僧には、そんな人がよくいました。
尚、私は、少食菜食道といったものを極めるつもりは全くありません。
私は、よほどひどいものでない限り、食物にあまりこだわらないようにしたいと思っています。
あまり好きな人ではないのですいが、山田鷹夫さんという、全く食べずに生きられるという人が、一頃、腐ったものや、有害といわれるものをどんどん食べ、全く平気であったことを本に書かれています。人間の身体は素晴らしいものです。その本来の能力を発揮する限りはですね。

Posted by: Kay | 2009.12.02 at 09:47 PM

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