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2009.12.10

デジャヴが理解できれば世界を自由に創造できる

デジャヴ(既視感)というのは面白い感覚だ。
実際には体験していないのに、体験したことがあるように感じることだ。
多くの方が何回か、あるいは、かなり頻繁に体験していることと思う。

心理学や神経科学では、デジャヴを解明することはできないと思う。多分、錯覚としてカタをつけ、錯覚のメカニズムを説明するのだと思う。
説明できるとしたら、量子力学においてになると思う。
なぜデジャヴが奇妙に感じるかというと、我々に時間感覚の幻想があるから・・・早い話が、時間に関する嘘を信じているからだと思う。

なるべく分かりやすく説明したいと思う。
我々は、体験したことを記憶する。だから、後でその記憶によって、「あんなことがあったなあ」と言う。
しかし、記憶が先にあって、体験が後に起こるとぎょっとする。これがデジャヴだ。
つまり、体験と記憶の順序が逆になっているのである。
なぜこんなことが起こるのだろう?

我々は心で想像したことを外の世界に投影しているのである。だから、本当のことを言うと、記憶が先にあるのが当たり前なのだ。しかし、創造の記憶は隠されてしまうのだ。
目の前で現実が展開された時、我々はそれを心の中の関連した記憶と結び付ける。例えば、叔父さんに逢ったら、幼い時におもちゃを買ってもらったことを思い出すようにだ。しかし、叔父さんを、その場その時に出現させる想像をした心の記憶は隠れてしまっているのである。だから、自分が叔父さんを出現させたことに気付かない。だが、叔父さんは、あなたの心の許可なく出現しないのだ。

UFOというものを知らない人にはUFOは出現しない。彼の心にはUFOを認識する記憶情報がないからだ。
江戸時代末期に日本に来た、ペリー艦隊である黒船が多くの日本人には見えていなかった。また、コロンブスが乗った船がアメリカに付いた時、アメリカの原住民には、コロンブスが乗った船が見えなかった。そんな大きな船の記憶情報が、当時の多くの日本人や大半のアメリカの原住民になかったからだ。
心の中で想像できないことは、外界に現れない。
幽霊がそうだ。心の中で幽霊を想像できる人に対してのみ幽霊は現れる。
UFOを想像できる人は、UFOを作り出すことができる。それは客観的に外界に出現し、写真に撮ることも可能だ。しかし、その人の前にUFOが現れても、その場にいるUFOを想像できない人には見えないのである。

「天使も悪魔も、人の心の中にしか存在できないのよ」
~アニメ「ぴたテン」(コゲどんぼ原作)の天使の早紗(さしゃ)の言葉~

我々は何かを見ると、それと関連した馴染みの記憶を呼び起こす。そのために、我々は、時が経つにつれ、一定の記憶を強化し、根深い偏見を持ったり、慣習的な考え方に縛られるようになる。年を取れば取るほど頭が固くなる理由はそれだ。
だけど、何かの拍子で、心が澄み切っている時には、心は、出来事とそれに関連する心の中の慣習的な記憶を結び合わせ損なってしまう。その時、出来事を創造した記憶が浮かんでくることがある。それがデジャヴなのだ。
デジャヴが起こる時は、心が活発に活動していないはずだ。頭がからっぽで、何も考えていない一瞬に起こるのである。

それで、記憶が先にあって、体験が後になるという現象になる。
しかし、これでは、驚くべきことではあるかもしれないが、単に、予想や期待が実現したという程度の感覚で、さほどには奇妙に感じないものだ。
例えば、3本の切り株の、真ん中のものに石を投げて当てようと思ったとする。
見事命中したら面白いと思うし、当てるのが難しいほどの距離や的の小ささであれば驚きも感じるかもしれない。しかし、奇妙とは思わないだろう。
しかし、何も考えずに石を投げたところ、どれかに当たったとする。そして、実は当たった切り株を狙ったことを後で思い出したら不思議な感じがすると思う。
「あれ、確かに私は、今当たった的を狙ったように思う。しかし、本当にそんなこと考えただろうか・・・?」
デジャヴとはそんなものだ。
なぜそんなことが起こるかと言うと、我々は、時間というものが存在し、それが過去から未来に流れていると感じているからだ。しかし、それは実は幻想なのだ。時間なんて本当は存在しない。時間も心が作り出した幻想だ。実際は、後先なんてものはない。

心が静まっている時、我々の意識は時間の束縛を離れる。その状態で、記憶や体験を意識したとする。
その時、不意に「正気に」戻ったとする。心はまだ活発に働いていないので、関連の記憶を呼び出さずに、出来事を作り出した記憶を少しだが見てしまう。しかし、時間感覚は戻っているので、記憶が後にあるように感じて驚愕する。これがデジャヴだ。

イツァク・ベントフの「超意識の物理学」という本に、これと関連した面白い実験が載っている。
目を閉じ、心を静かに落ち着かせて、かつて訪れたことのある場所の光景を心に思い浮かべる。その時、薄目を開けて時計をそうっと見てみる。すると、時計の針が止まっていたり、ひどくゆっくり回っていてぎょっとすることになる。

デジャヴは、心が世界を創り出していることを認識する手がかりになる。
私なんて、1日24時間、デジャヴにすることだってできる。気持ち悪いからやめているけどね。
デジャヴの感覚を憶えておけば、世界を自由に創造するコツも分かってくるだろう。楽しいことである。
実を言うと、聖書や我国の古事記なんて、そんなことが沢山書いてあるのだが、普通の人にはそのことが分らないので、聖書や古事記は意味が分らんということになるのである。

ここに書いたことを頭の片隅にでも置いて、新約聖書や古事記を読んでみて欲しい。
そうすれば、世界を自在に創造する方法も分ってくるだろう。

いくつかの古事記や新約聖書の現代語訳を読んだが、いずれも最高の研究者による、驚くほど分りやすいと思った2冊をご紹介する。
また、本文で取り上げた名著「超意識の物理学入門」も併せてご紹介する。

現代語訳 古事記
小説家、詩人である福永武彦氏による、高く評価されると共に、最も分りやすい古事記の現代語訳と言われる名著。
福永武彦氏は、フランス文学にも詳しく、また、「モスラ」の原作者の1人でもある。
本書は、ややもすると退屈に感じる古事記を面白く読ませる配慮にも満ちているが、文章表現には、古事記の雰囲気を大切にしていることが感じられ、福永氏も「原典のリズムを伝えることに重点を置いた」と書かれていて納得した。無条件にお薦めできると思う。

新約聖書 福音書
無協会派の新約聖書研究家として著名な塚本虎二氏の翻訳。
1963年に書かれたものだが、これも分りやすいことに驚く。純粋に新約聖書を深く研究した著者が素直に訳したことと、適切な言葉を最低限補うことで意味が分り易くなっているのだと思う。

ベントフ氏の超意識の物理学入門
イツァク・ベントフの世界的ロングセラー。幼稚園中退の華々しい学歴を持つ天才医療エンジニアのベントフ氏が、宇宙、生命、意識の謎を解き明かす。

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Comments

リアリティーの現前性という事になりますでしょうか?苫米地英人流に言うと「臨場感」の出現と。
しかしデジャヴはデジャヴという感覚それ自体であり「臨場感」そのものであり、したがって可能性世界というドラフトの不在である、と。
だからもしドラフトを持っていて、それにこのデジャヴを操る技術でもって臨場感を付与してやればどんな現実をも「実際に生きる」あるいは「生かす」こともできるという事だと。

そういうふうに読みましたがこれとは違いますか?

Posted by: thesakumas | 2009.12.10 at 10:04 PM

面白く読ませて頂きました

ありがとうございます

とってもわかりやすいですね

質問いいですか?

想像したことを覚えておく方法

どのようにしたらよいのですか?

Posted by: クエスチャー | 2011.08.17 at 04:00 PM

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