人生の環境や状況を支配する私の方法
人生の環境や状況は必ず支配できるものだと思います。
例えば、私は、最近、ある人に会いたいと思っていました。
その人と最後に会ったのは2年前、しかも、一瞬すれ違っただけでした。それ以前となると、もう何年前か・・・。
つまり、もう一生会わなくても不思議はないというくらいの人でした。
しかし、数日前、帰宅時に偶然(?)出会い、しばらく話すことができました。
嫌な人に関しては、必要ない限り、あまり会わなくて済むようにもできます。(嫌な人というのは、本来は自分に必要な人ですので、必要な時には会うこともあります)
ただ、まだ私には、瞬間に状況を変えることができる訳ではありません。場合によっては数ヶ月はかかります。しかし、悪くない数ヶ月です。いろんなことが学べるからです。
そして、その期間もどんどん短くなっています。
では、こういったことをどうやるのでしょう?
私の場合なら、「○○さんに会いたい」と言葉にするだけです。私は心の中で言うのが好きですが、口に出すのが好きならそうすれば良いでしょう。
気楽に時々、心の中で言うだけです。感情込めて、気合いを入れて言ってはいけません。ある意味、他人事のように言うことが肝心です。
言葉にすることが大切です。言葉にしないと、自分の現実を支配できません。
練習程度に、時々、状況を言葉にすれば良いでしょう。
例えば、歩いているなら、「歩いている」、コーヒーを飲んでいるなら、「コーヒーを飲んでいる」。
学校に行って、××先生を見たら、「××先生がいた」。ただし、もし××先生が嫌いでも、逆に好きでも、その感情を言葉にしてはいけません。単に客観的状況を言葉にします。
歩きタバコをしている人が赦せないとしても、そんな人を見て「嫌なヤツを見ている」なんて言ってはいけません。「タバコを吸いながら歩いている男がいる」と、感情を交えず言葉にします。
言葉にした時、その状況はあなたが創ったことになります。
あなたは、一瞬で出来事を創ったのです。
実際、現実なんて、時間的に連続しているものではありません。一瞬一瞬、心が創造しているだけです。感性があればそれが分かります。
言葉にすることが浮かばないなら、壁でも見て下さい。
「壁が汚れている」とか浮かぶと思います。しかし、「きたない壁だ」といった、感情的な言葉はダメです。
あるいは、「私は呼吸している」とか、「私は座っている」と言って下さい。
ニサルガダッタ・マハラジは、「私は存在する」と常に想えと言ったそうですが、どんなニュアンスで言ったかよく分かりませんが、私なら、たまに気楽にそう言葉で言うことをお薦めします。
マハラジも、「私は在る」は至高のマントラ(じゅ文)だと言ってました。
ただし、私の言った通りにやるのが必ずしも良いとは限りません。
あなたは私ではないので、もっと良い方法があると思います。私のは参考程度にして下さい。
アイ・アム・ザット 現代インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジとの対話集です。 マハラジは僧院や道場に鎮座する僧侶やヨギではなく、あまりうまくはいきませんでしたが世俗の仕事に励み、小さな家に住む貧しいただの老人でした。 しかし、その教えは驚くべき価値のあるもので、必要な全てがここにあると言っても間違いないと思います。 |
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Comments
本日のKayさんの文章を読み、誰もいない朝の会社内で何とも不思議な気持ちでいます。
そしてあることを思い出しました。
1年半前になりますが、書店で見つけた本を夢中になって読みました。著者のことに関心があり、インターネットで調べてプリントアウトした記事をカバンに入れて、現場まわりの電車内で、それに目をとおしていました。
午後、品川から乗った電車で、気がついたら、座っている私の前にその著者が立っていました。特徴のあるメガネ顔の方で映像で見たその顔に間違いありません。こんなことはありえない、と何度も頭の中で打ち消していたところ、その方の
ケイタイ電話が鳴り、「はい、○○です」。その著者の名前でした。もう混乱の極みでした。
そのときは、声を掛けずじまいでしたが、かまいません。近いうちに、会いますから。
Posted by: ふくちゃん | 2009.11.16 09:21 AM
★ふくちゃんさん
面白いですね。
まあ、実際は、全ての出来事が、これらと変わらないほどの不思議なのかもしれませんけどね。
そのうち、状況を完全に支配し、さらに、今後起こることも分かるようになりますよ。
Posted by: Kay | 2009.11.16 11:06 PM