食の偉大さを伝えるお話
帝国ホテルの料理長を26年務めた、村上信夫さんというフランス料理のシェフがいます。
1921年生まれで、第二次世界大戦では陸軍に従軍。中国で終戦を迎えるも、シベリア抑留の後に帰国しました。
東京オリンピックでは、女子選手選手村の料理長も務めました。
2005年に亡くなられています。
以前、彼の物語をテレビで見たことがあります。
彼が、太平洋戦争が終るも、シベリアに抑留されていた時のことです。
シベリア抑留とは、世界大戦末期にソ連が日本に宣戦布告し(日ソ中立条約を破棄)、中国の日本領土にいた日本兵を捕虜とし、厳寒環境下で、満足な食事や休養を与えずに過酷な労働を強いたもので、1993年に当時のロシア大統領だったエリツィンが来日した際、エリツィンはこのことをソ連首脳として初めて謝罪しました。
シベリアで、ソ連側は、村上さんがコックだということは知っていました。
ある夜、村上さんはソ連兵に呼び出され、ある所に連れて行かれます。
そこには、瀕死の一人の日本兵がいました。
ソ連兵は、村上さんに「朝まで持たないだろう。最後に何か好きなものを食べさせてやってくれ」と言いました。
村上さんは、瀕死の男に「何が食べたい?」と尋ねます。
男は、「パイナップルが食べたい」と言います。
しかし、そんなものがあるはずがありません。村上さんは困りましたが、リンゴを見つけます。
村上さんは、リンゴと砂糖を使い、フライパンで料理しました。
そして、村上さんは、自力で食べることもできないその男のために、自分がフォークで食べさせました。男は全部食べました。
それからしばらくした日のことです。
村上さんが収容所内を歩いていると、誰か(日本人)に呼び止められました。
見ると、なんと、あの瀕死だった男が、元気に歩いてきました。
あの悲惨な状態からまさか生き延びるとは思っていなかった村上さんは驚きました。
男は言いました。「あんな美味いものが食べられるなら、また生きてみようと思ったんだ」と。
このリンゴのパイナップルは、その後も、村上さんの得意料理になったそうです。
助かるはずのない命が、食べ物への思い、憧れで甦る。なんとも感動的な話だと思いました。
食とは、かくも偉大なものでもあります。
私は、食というものを大事にしないといけないと強く思いました。
常にだらだらと食べて空腹な時がないので、ロクに料理本来の美味しさを味あわないとか、刺激的な人工調味料や過度の砂糖や油で味付けされたもので無理矢理食欲をかき立てて食べるなどといったことは決してしてはいけないと思いました。それと同時に、極端な少食、粗食もあまり良いことではないと、最近の私は思っています。
食を慎み、空腹になってから食事をすることで、素朴でも良い食事を最大に味わうことが、人にとって大切なことであると思います。
帝国ホテル厨房物語―私の履歴書 村上信夫さんの波乱万丈の人生と、崇高な料理観を綴った自伝。 |
The comments to this entry are closed.
Comments
そうですね。
極端な少食や粗食を目指して、それを守れない自分を精神的に責めたり、食への感謝、そして食を囲む家族や友人とのコミュニケーションを欠いては何もなりませんものね。
感謝を増すために、やってるんですものね。
Posted by: ふくちゃん | 2009.11.14 07:38 AM
20世紀は「おなかいっぱい食べたい時代」だったように思います。ようやく食べ過ぎの害に気づいて、メリハリの利いた食に変化するのではないでしょうか。
Posted by: ハマナス | 2009.11.14 09:13 AM
★ふくちゃんさん
何のためにやってるかは、人それぞれですが。
一番大切なのは、あくまで、食の慎みと、自分を甘やかさずにそれを実践することです。
それができてこそ、家族の団らんやコミュニケーションも良いものになるのだという趣旨でした。
★ハマナスさん
私には、21世紀になってしばらくの現在、どんどん悪くなっているように思えてなりません。特に我が国はね。
Posted by: Kay | 2009.11.14 09:36 PM