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2009.11.02

「黙ってやれ」は時代錯誤の場合もある

ライトノベルという言い方をされることが多いが、2008年にすでにシリーズ600万部を発行し、現在も新巻出版および増刷が進んでいるはずの、高橋弥七郎さんの小説「灼眼のシャナ」に、こんな場面がある。

「どうもこの者は、頭で納得しなければできないようだ。黙って言われた通りにやるのが訓練というものなのだがな」

言っているのは、異界の魔神アラストールで、異能の超人である少女シャナに向かって、やや愚痴っぽく言っているのだろう。
そして、「この者」とは、平凡な高校1年生の坂井悠二だ。
坂井悠二は、シャナに闘い方の訓練を依頼するが、説明もなく指示される訓練に乗り気でない。
「ちゃんと説明してよ」と言った時、アラストールが言ったのが上の言葉だ。

しかし、これはアラストールが間違っていると思う。
現代の日本の高校1年生に、言われた通り従えというのは時代遅れと言うものだろう。
アラストールは、シャナの訓練に関わったであろうが、シャナはごく幼い時に訓練を始めたのだし、黙って従うしかない環境にあった。12歳近くになるまで、アラストールを含め、3人の存在しか知らなかったのだ。

インドの聖者、ラマナ・マハルシや、ニサルダガッタ・マハラジは解脱をするための有効な方法を確かに教えている。
しかし、「油断なく自分に気付いていなさい」と言い、いかにそれが優れた指示であっても、なぜそうしなければならないかを納得できるようには説明しなかった。ただ、その点に関しては、彼らも言葉で説明するのは難しかったのかもしれない。

道元禅師は、只管打坐(しかんたざ)、つまり、ただ坐れと言った。
彼自身は、理論に関しても、「正法眼蔵」という最高の書を書き、この世の真理や悟りの意味も高度に理解していたに違いないが、最終的には「ただ坐れ」となったのだ。特に、当時の時代としては、「説明するだけ無駄」という思いもあったのだと思う。
しかし、発明家の中山正和さんは、釈迦や道元の教えを、可能な限り、理屈で説明し、納得できるよう努力する。
そして、HBC(ヒューマン・ブレイン・コンピュータ)モデル、即ち、人間の脳をシミュレートするコンピュータモデルを考案し、それは完全ではないかもしれないが、仏教の説く人間や宇宙の実相を、いくらかでも解明した。
そのおかげで、世界中の一流企業をはじめ、多くの人がスムーズに仏教の教えに基づく訓練で素晴らしい能力を引き出し、世界を進歩させたのだ。
いかに良いものでも、IBMの技術者に座禅させたり、お経を読ませる訳にはなかなかいかないはずだ。
また、かなり以前から次々出てくる怪しげな能力開発手法を、ただ黙ってやって金だけ無駄にし、あげく悪影響を受けるといった愚を避けなければならないという現代的な事情もある。

しかし、中山正和さんが亡くなられてから、彼の本の重要なもので出版されなくなったものもある。これは日本の、あるいは、人類の損失である。


NM法のすべて 増補版―アイデア生成の理論と実践的方法
NM法とは「中山、正和法」のことで、本書はテキスト形式で学べるものである。企業向け、あるいは、アイディアを出す能力を得たい技術者、研究者に特に良いが、経営者、ビジネスマンにももちろん有益だ。ある意味、ややお堅いと思う。

洞察力―本質を見抜く眼力の秘密
こちらは、ある程度気楽に読めるものであるが、内容は深い。

悟りの構造―正法眼蔵の解明
日本古典史上でも最難関の1つと言われる道元の正法眼蔵を現代の科学で、出来る範囲で解き明かしたもの。
そんなに難しい訳ではないので、是非読んで欲しい。

天才脳の構造・釈迦の悟り
仏教の代表的経典の法華経を題材に、悟りの状態にある釈迦の脳の働きを考察する。
中山正和さんのHBC(ヒューマン・ブレイン・コンピュータ)モデルが図で分かりやすく説明されている。

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Comments

仏法などの類は、言葉で説明されることが多いので、
文型の類に近いと僕は考えています。
しかし、そうしていると、言葉では説明できないか、
知識として頭に入るだけで、知恵として理解できないことが多く、
それで失敗している人が多いように思います。

それを理系の類の者が解き明かすことに、
何か意義があると思ってます。
理系の人が科学で証明できない物を扱う分野に目をつけるのは、
珍しいことなんですが、
たまにそうした人が出てきます。

さらに、時代が進むにつれて、どんどんそういう風になっていくような気がします。

Posted by: Raimu | 2009.11.04 03:05 PM

★Raimuさん
理系発想は、地味で退屈なところがありますし、多くの問題に関しては限界もあります。
それでも、諦めずに追求する姿勢は必要と思います。ただ、人がやるのを見ているのではなく、自分でやってこそ意味があります。

Posted by: Kay | 2009.11.04 09:49 PM

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