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2009.11.23

評論家こそ偉大

「あの人は評論家だね」といった言葉を、軽蔑の意味で使うことがよくある。
自分は行動や決断をせず、意見を言うだけの人のことをそう言う場合が多いと思う。
職業としても、評論家を名乗るのに資格のようなものはなく、誰でも名乗れることもあり、胡散臭い評論家も少なくはなく、それも評論家のイメージを落としているかもしれない。
(とはいえ、世の中の仕事のほとんどは資格など必要なく、そんな資格無用の仕事-例えば評論家や画家-で成功しているなら、その実力は無言の内に保証されており、むしろ、医者や教師といった、資格さえあれば、能力がなくてもそれを名乗れる仕事の方がよほど怪しいと私は思っているが。)

プロ野球の読売巨人軍の原監督は、監督になる以前、よく評論家呼ばわりされていたように思う。若々しく、育ちの良さそうなエリートっぽい雰囲気で、何事も冷静、客観的に話す態度がやや反感を持たれるのかもしれない。
いや、現役時代から、原は、闘志剥き出しというタイプでなく、4番でありながら、ともすれば、チームの状況を客観視し過ぎていたり、チーム内に4番を競う強力なバッターが入団してきても、ライバル心を見せず、他人ごとのように平静に話すところが、いかにも評論家と呼ばれそうなところであったかもしれない。

自民党が大敗した衆議院選挙では、自民党の惨敗を客観的に予想した小泉元総理の発言に対し、自民党内で「もはや評論家だ」と吐き捨てる人もいたようだ。

しかし、評論家、あるいは、評論家的態度の偉大さを知る者は本当に少ない。
こう言うと、「馬鹿を言うな。自分で決断、行動しない評論家的態度のどこがいいんだ」と言いたい人も多いと思う。日本もアメリカの影響を長く受けて、行動第一主義に染まってきているかもしれない。

評論こそ最大の行為なりと言っても、なかなか受け入れてはもらえまい。
これは知る人だけが知る偉大な知恵だ。
もし、「戦わずして勝つ」極意を修得したいのであれば、評論家になることだ。
冷静に客観的に言葉で言い表すと、言われた対象は言った者の精神の中に取り込まれる。言葉で表現することで、自分のものになってしまうのである。
改めて考えてみると、行動派よりも、動かず慎重で、しかも、過激な発言を控えるような人間が楽々と成果を上げているものなのだ。
世の中では行動派が美徳とされるのは、庶民を奴隷としておきたい、国家や大企業の思想統制の影響と思われる。考えずに、言われた通りに動いてくれる人間が支配者にとって都合が良いのは当然であり、学校でも、子供達をそのような人間になるよう調教している。テスト勉強や受験勉強を熱心にやることを当たり前と考えていたような人は、自分の頭を一度疑ってみた方が良いかもしれない。
ただし、言っておくが、冷静な評論とは、感情とは無縁である。普通の人に評論をやらせると、感情論になり勝ちだ。冷静、公平な評論家になってみると良い。物質的なものなら、何でも手に入るだろう。


成功の扉
あらゆる成功法則の本を読み、エネルギッシュに実践しながら成功と無縁だった著者。しかし、「あること」に気付いた時、知らぬ間に成功を手にしていた。忘れ果てていたはずの夢であった作家になれたのだ。
学校教育の隠された目的や、成功に行動は関係ないこと等、非常に示唆に富む内容である。短くてすぐ読める。そして、成功のために必要なことは、行動せず、ただある1つのことを守れば良いことを明かす。
この本がすぐに絶版になるのは、国家の思想統制の圧力というよりは、既に国家の思想統制が完了していることを示しているように私には思える。

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