並行宇宙と無限の可能性
先日、偉大な精神療法家であったミルトン・エリクソンをほんの少し取り上げたが、私自身はエリクソンについてほとんど知らない(これから取組もうと思っています)。だが、NLP(神経言語プログラミング)の創始者であるリチャード・パンドラーの本でだと思うが、エリクソンの驚くべき技法の実例について見たことがある。手のつけられないような不良男子高校生がいたのだが、エリクソンはその高校生に、「君が礼儀正しくなったら、みんな驚くだろうね」となにげなく言い、不良高校生は「そりゃ、驚くさ」と答えた。それだけだった。しかし、不良高校生は、見事に礼儀正しい高校生になったのだ。
この例で、何がどうなったのかのちゃんとした解説はもちろん私には不可能であるし、ほとんどの心理療法家や精神分析医、あるいは、心理学者でもそうではないかと思う。
だが、私はこんなことを思い出した。
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の最終回の話だ。
主人公の14歳の碇シンジは、沈んだ様子で椅子に座り、つぶやいた。
「だけど、僕は自分が嫌いだ」
これは、彼のいつもの、ものの考え方である。
しかし、彼は言う。
「だけど・・・好きになれるかもしれない」
そこから全てが始まった。
「僕は変われるかもしれない」
「僕はここにいてもいいのかもしれない」
そして、
「僕はここに居ていいんだ」
と力強い結論にたどり着いた。
先の不良男子高校生に、エリクソンは、「礼儀正しくなれ」と言ったのでも、礼儀正しさの大切さを説いたのでもない。
ただ、「礼儀正しくなったら」と仮定をし、そうなったらどうなるかの予想を示し、男子高校生がそれに同意しただけだ。
その仮定はおよそ実現しそうもないことかもしれないが、あくまで仮定であるから嘘ではない。そして、それが実現した時の状況を容易に予想できるなら、仮定の方も実現可能であることを暗示していると思う。
碇シンジも、「自分を好きになろう」とか、「自分を好きにならなきゃだめだ」と考えたわけではない。
単に、「好きになれるかもしれない」という可能性を思いついただけだ。
それは、単なる可能性であり、百パーセント実現不可能な証拠もない。
実は、上記の、そのシーンにたどり着く前に約30分のストーリーがあったのであり、そこで、可能性は無限であることを、あの手この手でシンジは、そして、視聴者は見せられるのだ。
そこまで、いたれりつくせりをした後の、この結論。見事としか言いようが無い。
そりゃ、世の中には、実現不可能なことだってあるのだろう。
例えば、80歳の老人がプロ野球選手になるとか、日本人がアメリカ大統領になるとか。
しかし、催眠術において自分をエリクソン派と言う苫米地英人さんは、日本人がアメリカ大統領になることも、必ずしも不可能ではないと著書に書かれていた。アメリカを占領して法律を変えるとか、医学や遺伝子工学などの何らかの手段で、自分をアメリカ生まれのアメリカ人にするとかが出来れば良いのである。
80歳の老人がプロ野球選手になることも可能かもしれない。1つの例を上げれば、コミッショナーや全球団を買収して、老人でもやれるスポーツにルール改正すれば良いのだ。
そのような極端なものも含め、この世には無限の可能性がある。
パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、量子力学的にも現実に存在すると言われ、実際にあらゆる可能性が実現している世界があるのかもしれない。
我々が億万長者になったり、大芸術家になることなど十分に実現する可能性があるし、既にそうなった世界がどこかの宇宙に存在しているかもしれないのである。
時をかける少女 筒井康隆さんの超ロングセラー。1965年から中学生用雑誌に連載開始されたこの作品は、何度もテレビドラマ化、映画化、さらに、アニメ化され、現在そして、今後も制作されるだろう。 この原作がやはり素晴らしいのである。 そして、この本には2つの短編「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」が収録されているが、それらがことごとく傑作である。 「果てしなき多元宇宙」は、パラレルワールドを描いたとても面白い作品である。無限の可能性のある世界がどのようなものかを、筒井さんの素晴らしい感性でファンタジックに、時に残酷に描いている。 現在は、「灼眼のシャナ」や「涼宮ハルヒの憂鬱」のイラストで有名ないとうのいぢさんの挿絵でライトノヴェルにすら進出する筒井康隆さんは不滅の作家と思う。 | ||
NHK少年ドラマ・アンソロジー 「時をかける少女」の最初のテレビドラマ化作品「タイムトラベラー」の最終回を収録したDVD。 今では考えられないが、当時、ビデオテープが高価だったので、NHKでは、ビデオテープで新しいテレビドラマを撮影する際、古い作品のテープに上書きしていた! 素晴らしい名作だったのに勿体ないことだ。 当時、家庭用ビデオがほとんど普及していなかった中で一般家庭で録画され、奇跡的に残されていたものをデジタル処理し、別の音源と組み合わされてDVD化されたのが本製品である。 |
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