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2009.11.30

性エネルギーの昇華について

鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにの依頼により、多くの成功者を調査し、彼らの成功の秘訣を解明したと言われるナポレオン・ヒルという人物がいました。彼によれば、40歳前に成功する人が少ないのは、若い間は、創造力に必要なエネルギーが性的なことに奪われるからであるらしい。彼は、創造力の発揮には、性エネルギーの昇華が必要であることを度々強調しています。医学的根拠があるのかは解りませんが、ヒルの長年に渡る調査や、彼の評価の高い洞察も無視できないと思われます。
ただ、ヒルは、「ではどうしたら良いか?」については、全く有効な方法を提示したとは思えません。

インドにスリ・ユクテスワという聖者がいました。彼は、日本でも自伝が出版されているパラマハンサ・ヨガナンダという、世界中で教えを説いたヨギ(ヨガの行者)の先生でした。
ユクテスワの「聖なる科学」という本には、現代人は、肉食や食べ過ぎのため、栄養過多で異常性欲になっていると書かれています。
これは、肉食をやめ、食事を1日1回にした私が、全くその通りだと強く実感しています。
ユクテスワによれば、人間は歯の形状や各種の食べ物への反応や消化器官の働き等からいって、果物、根菜、野菜、ミルクが本来の正しい食物であるようです。
ただ、ユクテスワのこの本が書かれたのは1900年頃で、今から百年以上も前であり、現代においては、当時よりさらに桁違いに悪い状況かもしれません。


聖なる科学―真理の科学的解説
本文中で紹介した、スリ・ユクテスワによる、極めて貴重な古典的名著をご紹介します。
この本が非常にユニークなのは、キリスト教とヒンズー教の教えが一致していることを、両者の聖典を注意深く吟味しながら解き明かしていることです。それにより、幻想を破って真の自己を実現し、ある意味では超人になる方法を、信仰する宗教に関係なく理解できるよう説いています。

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2009.11.29

魔法の杖の使い道

私は、8月に何かを始めるのが向いているのだろうかと思ったりします。

まず、昨年、8月7日から、1日1食の菜食主義者になり、それは現在も続いています。
おかげで、理想的な体形と完全な健康を得、さらに食べ物の本当の美味しさが分かるようになりました。

昨年末から、1日1回、神道の祝詞(のりと)である「大祓詞(おおはらえのことば)」を唱えていましたが、今年の8月から10月までの3ヶ月間で3千回唱える目標を立てました。結局、目標を大きく上回る、80日で4432回を唱えたところで、何となく、大祓詞の正しい唱え方が分かり、回数への挑戦は終わりました。
大祓詞は、神に奉げるものというよりは、神の言葉であることも分かったように思います。そして、以後は毎日十回を、非常に気持ちよく唱えています。

また、8月半ばからは、腕立て伏せを始めました。これも毎日欠かしていません。
誰が発明したのか知りませんが、腕立て伏せは神秘的なまでに素晴らしいトレーニングだと思います。スポーツ科学の点からは、もしかしたら決して合理的なトレーニングと言えないかもしれませんが、特に格闘技の超一流選手に愛好者がいるなど、何か秘められた威力があるように思われてなりません。
学生の頃は、30回くらいは軽く出来たのですが、久々にやってみたら10回がやっとでした。しかし、少しずつ回数を増やし、11月末までに50回に増やす目標でしたが、昨日達成しました。全力でやれば、おそらく70回や80回は可能ですが、毎日無理なくやれる回数として50回になったわけです。尚、休日は数セットやります。昨日は50回×4セットで200回こなしました。

食の慎みと、大祓詞の威力と思いますが、8月からは、性的欲望に悩まされなくなりました。そういうものに興味がなくなったわけでは全くありませんが、欲望を簡単に制御できるようになりました。エロチックな空想をすることはあっても、数秒で止めてしまえます。これは予測してはいませんでしたので、少し驚いています。
山で修行する修験者の修行で、術の力を得るための最終試験で、山の神か精の幻力で、その者の完全に理想とする女に誘惑させるというものがあると聞きます。いかなる厳しい試練に耐えてきた修行者も、それにはひとたまりもなく、99.9パーセント失格するそうですが、私なら見事合格できるかもしれません。
それで、私も術の力を与えられたように思いますが、今は魔法の杖を与えられて、それを何に使おうかとただ考えているような感じです。
中島敦の「名人伝」では、弓の技を極めた名人は、なぜか弓を手にしなくなり、ある日、弓を見た時、驚くべき反応をします。それが本物の至人かもしれませんが、私は遠く及びません。


李陵・山月記―弟子・名人伝
本文で引用した「名人伝」を含む、珠玉の名作6編を収録した至宝の書です。いずれも短編ながら、深い英知が秘められ、多くの人達に影響を与えてきた中国の伝説話です。

大祓 知恵のことば―CDブック
春日大社宮司であられた葉室頼昭さんが、大祓詞の本質やその素晴らしさを、誰にでも分かるように語ってくれています。大祓詞がひらがなの大きな文字で書かれ、読誦のCDも付いており、すぐに大祓詞を唱えることができます。

神道を知る本―鎮守の森の神々への信仰の書
大祓詞や、他のいくつかの祝詞が、大きな文字でふりがな付きで載っています。
神道について易しく説明されており、古事記のエッセンスとなるお話をイラスト入りで書いた、とても有り難い本です。絶版と思いますが、Amazonで古書で入手可能と思います。


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2009.11.28

食の慎みの大切さを思い知る

最近は、どこででもものを食べる人が、やたら目に付くように思います。
それも、ちょっとキャンディ1つとかではなく、本格的な食事といえるものであったり、スナック菓子などを食べ続ける人もよくいます。
電車の中などで、大きな音をたてて食べ物の袋を破り、あたりに食べ物の臭いを撒き散らしても、まるでそこが自分の部屋ででもあるかのように平気な様子です。
そんな人の中にも、若い女性で結構きれいでスタイルの良い人もいますが、それはかなり若い人に限定されますし、そんな人でも、醜くなる前兆がかなりはっきり見えています。ましてや、ある程度の年齢の場合は、言っては悪いのですが、やはり、非常に醜いと感じます。
彼らに嫌悪を感じても、責めてはいけないと思います。ただ、自分がそんな醜い人間になってしまうことに恐怖を感じることで、自分は食を慎むようにしたいと新たに思えば良いのだと思います。
責めても、彼らは変わらないでしょうし、自分も憂鬱になるだけです。
いえ、ひょっとしたら、彼らは、私に食の慎みの大切さを教えるために天使が姿を変えたものかもしれないと思います。
私も、食に対する欲望は深く、下手をしたら、彼らと同じことをやりかねない可能性はかなりあるはずです。

私は霊界を見てきた
少し古い本をご紹介します。Amazonで古書が安価に入手可能です。
エマニュエル・スウェーデンボルグの日記である「霊界著述」の重要なものを集めた抄訳で、著者の今村光一氏は、スウェーデンボルグの研究家であると共に、医学関係の翻訳も多く、食と健康の関係について詳しいジャーナリストでもあります。
本書20ページに、スウェーデンボルグが亡命先のイギリスで、不思議な人物に食の慎みを命じられる場面があります。これほどの人物であっても、食の慎みは忘れてはならないことのようです。
スウェーデンボルグは、カント、ゲーテ、エマーソン、ヘレン・ケラー、鈴木大拙らに深い影響を与えた至高の思想家であり、科学者、政治家としても偉大でした。

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2009.11.27

並行宇宙と無限の可能性

先日、偉大な精神療法家であったミルトン・エリクソンをほんの少し取り上げたが、私自身はエリクソンについてほとんど知らない(これから取組もうと思っています)。だが、NLP(神経言語プログラミング)の創始者であるリチャード・パンドラーの本でだと思うが、エリクソンの驚くべき技法の実例について見たことがある。手のつけられないような不良男子高校生がいたのだが、エリクソンはその高校生に、「君が礼儀正しくなったら、みんな驚くだろうね」となにげなく言い、不良高校生は「そりゃ、驚くさ」と答えた。それだけだった。しかし、不良高校生は、見事に礼儀正しい高校生になったのだ。

この例で、何がどうなったのかのちゃんとした解説はもちろん私には不可能であるし、ほとんどの心理療法家や精神分析医、あるいは、心理学者でもそうではないかと思う。
だが、私はこんなことを思い出した。
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の最終回の話だ。
主人公の14歳の碇シンジは、沈んだ様子で椅子に座り、つぶやいた。
「だけど、僕は自分が嫌いだ」
これは、彼のいつもの、ものの考え方である。
しかし、彼は言う。
「だけど・・・好きになれるかもしれない」
そこから全てが始まった。
「僕は変われるかもしれない」
「僕はここにいてもいいのかもしれない」
そして、
「僕はここに居ていいんだ」
と力強い結論にたどり着いた。

先の不良男子高校生に、エリクソンは、「礼儀正しくなれ」と言ったのでも、礼儀正しさの大切さを説いたのでもない。
ただ、「礼儀正しくなったら」と仮定をし、そうなったらどうなるかの予想を示し、男子高校生がそれに同意しただけだ。
その仮定はおよそ実現しそうもないことかもしれないが、あくまで仮定であるから嘘ではない。そして、それが実現した時の状況を容易に予想できるなら、仮定の方も実現可能であることを暗示していると思う。

碇シンジも、「自分を好きになろう」とか、「自分を好きにならなきゃだめだ」と考えたわけではない。
単に、「好きになれるかもしれない」という可能性を思いついただけだ。
それは、単なる可能性であり、百パーセント実現不可能な証拠もない。
実は、上記の、そのシーンにたどり着く前に約30分のストーリーがあったのであり、そこで、可能性は無限であることを、あの手この手でシンジは、そして、視聴者は見せられるのだ。
そこまで、いたれりつくせりをした後の、この結論。見事としか言いようが無い。

そりゃ、世の中には、実現不可能なことだってあるのだろう。
例えば、80歳の老人がプロ野球選手になるとか、日本人がアメリカ大統領になるとか。
しかし、催眠術において自分をエリクソン派と言う苫米地英人さんは、日本人がアメリカ大統領になることも、必ずしも不可能ではないと著書に書かれていた。アメリカを占領して法律を変えるとか、医学や遺伝子工学などの何らかの手段で、自分をアメリカ生まれのアメリカ人にするとかが出来れば良いのである。
80歳の老人がプロ野球選手になることも可能かもしれない。1つの例を上げれば、コミッショナーや全球団を買収して、老人でもやれるスポーツにルール改正すれば良いのだ。

そのような極端なものも含め、この世には無限の可能性がある。
パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、量子力学的にも現実に存在すると言われ、実際にあらゆる可能性が実現している世界があるのかもしれない。
我々が億万長者になったり、大芸術家になることなど十分に実現する可能性があるし、既にそうなった世界がどこかの宇宙に存在しているかもしれないのである。


時をかける少女
筒井康隆さんの超ロングセラー。1965年から中学生用雑誌に連載開始されたこの作品は、何度もテレビドラマ化、映画化、さらに、アニメ化され、現在そして、今後も制作されるだろう。
この原作がやはり素晴らしいのである。
そして、この本には2つの短編「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」が収録されているが、それらがことごとく傑作である。
「果てしなき多元宇宙」は、パラレルワールドを描いたとても面白い作品である。無限の可能性のある世界がどのようなものかを、筒井さんの素晴らしい感性でファンタジックに、時に残酷に描いている。
現在は、「灼眼のシャナ」や「涼宮ハルヒの憂鬱」のイラストで有名ないとうのいぢさんの挿絵でライトノヴェルにすら進出する筒井康隆さんは不滅の作家と思う。

NHK少年ドラマ・アンソロジー
「時をかける少女」の最初のテレビドラマ化作品「タイムトラベラー」の最終回を収録したDVD。
今では考えられないが、当時、ビデオテープが高価だったので、NHKでは、ビデオテープで新しいテレビドラマを撮影する際、古い作品のテープに上書きしていた!
素晴らしい名作だったのに勿体ないことだ。
当時、家庭用ビデオがほとんど普及していなかった中で一般家庭で録画され、奇跡的に残されていたものをデジタル処理し、別の音源と組み合わされてDVD化されたのが本製品である。

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2009.11.26

マインドコントロールの達人

私は、マインドコントロールの達人3人と会ったことがある。
彼らの技術は、基本的には催眠術と言っても良いとは思うが、今をときめくマインドコントロールあるいは洗脳の専門家である苫米地英人さんの本を読むと、ただの催眠術より強力な方法もあるらしく、いずれにせよ、高度な専門家に狙われたら普通の人は逃れようがなく、意のままに支配されてしまうものらしい。
私が会った3人のうち2人は、セミナーでは大変な人数を集める人達で、1人はテレビにも何度か取り上げられ、国民的な人気スポーツ選手など有名人の指導実績も多い。最後の1人は、著名な経営コンサルタントの知恵袋で、彼をよく知る人に、彼はあまり表に出ない人だと教えられた。
彼らの技はすごいものである。
少し例をあげよう。
彼らは、以下のように、人の心身を支配できる。

■自分の名前を忘れさせる。名前を忘れた者は、名前を聞かれると困惑して頭を抱える。
■特定の数字を忘れさせる。例えば、数字の5を忘れさせた後に、指を折りながら10まで数えさせると、「1、2、3、4、6、7、8、9」と数え、指が1本余って不思議がる。
■自分(術者)を父親や恋人だと思わせる。術者が「私は誰か?」と聞くと、「お父さんだ」と答えた。
■ただの水を酒だと言って飲ませ、酔っ払わせる。
■身動きできない金縛り状態にする。
■女性に手も触れずに性的エクスタシを感じさせる。

最後の3つは、私は直接には見ていないが、私の親しい知人が水で酔っ払わせられ、金縛りにさせられた。また、その知人が、若い女性がエクスタシに達したと思われる様子を見ていた。

私は、1人については、彼のセミナーの受講生として2回参加した。高額なセミナーで、個人指導も多かった。
次の1人は、私はセミナーの主催者の1人として会い、その弟子とも何度かあった。
最後の1人は、個人的に紹介された。

いずれの人も、私の心身を支配することはなかった。私を意図的に避けているように感じた。
1人は、私のすぐ目の前で、ある女性の心身を支配しようとしたが、全く何もできなかった。
別の1人の術者の弟子が、私の支配を試みたが、全く成功せず、すぐに諦めた。

彼らがセミナーなどでパフォーマンスを披露する時は、支配しやすい者を慎重に選ぶようであった。支配しやすい人とそうでない人を確実に見分ける方法があるのだろう。私は、非常に支配しにくいのだと思われる。
支配しやすい人というのは、表情がぼんやりとして意思が弱そうだったり、単純で信じ込みやすいタイプだと私は思う。
何度かお会いした政木和三さんは、自身の胃潰瘍が暗示で消えるのを経験し、また、彼が医学研究生だった時、患者の胃潰瘍を暗示で消したこともあったらしい。暗示やプラシーボ効果を催眠術というなら、政木さんは、自分より生命エネルギーの高い相手に催眠術をかけることはできないと著書に書かれている。
ジョセフ・マーフィーもまた、潜在意識による成功法則の指導の道に入ったきっかけは、悪性腫瘍を暗示の力で治した経験によるものらしい。
実は、私自身が、マインドコントロールを行った経験がある。大変に酒好きな女性を、暗示で酒が飲めないようにして、かえって恨まれたこともある。私は、上にあげた術者のやり方を観察したり、独自に催眠術やNLP(神経言語プログラミング)を学んで、いくらか技術を修得したのだった。また、私自身は、様々な訓練で自己支配の能力を高めていたので、他者の術にも対抗できるのだと思う。


神経言語プログラミング―頭脳(あたま)をつかえば自分も変わる
私が学んだNLP(神経言語プログラミング)は、NLPの創始者リチャード・パンドラーによる、このおそらくは最も初期のテキストだ。今はもう古いという意見もあるが、私はそうは思わない。そのパンドラーが師と仰ぐ精神科医のミルトン・エリクソンの技法の重要度すら全く衰えていない。エリクソンの理論を基に、元々は数学とコンピュータが専門のパンドラーが構築した初期のNLPを私は気に入っている。尚、苫米地英人さんも、自分はエリクソン派と言っているようだ。
エリクソンの手法は1つの究極と思うし、パンドラーのNLPはそれをシンプルで、誰にも実践可能な形にしたと思う。そして、実践には、この本1冊で良い。「新しいNLP」がいくら出てきても、この本の人気が衰えないのがそれを証明しているように思うし、本文でも書いたが、私もいろいろ効果を実証している。

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2009.11.25

世界はいつでも新しい

映画「007 カジノノワイヤル」(2006年)の一場面である。
ジェームズ・ボンドが目覚めると、ヴェスパー・リンドが目の前にいた。
ヴェスパーは、この映画のいわゆるボンド・ガールで、英国財務省所属。007への多額の資金提供に対する監視係という役割だ。26歳のエヴァ・グリーンが演じたが、歴代のボンドガールの中でも可憐なタイプで、日本人好みと思う。
ボンドは、瀕死の重傷を負った後だった。
「やあ」
「こんにちは」
ちょっと冗談っぽい、いまさらながらの挨拶。
ヴェスパーは、「あなたは起きるたびに、何年か振りで逢ったような目をする。それで生まれ変わったような気になる」と言う。

私は、あらゆるものを初めて見るように見る。
いや、実際、見るのは初めてなのだ。
世界は、この瞬間、私の心が創った。だから、初めて見るのは当たり前だ。
しかし、昨日も一昨日も、さらには、何年も前から見ているような気もする。それは、記憶がそう思わせるからだ。
だが、記憶なんて幻想だ。一瞬前の記憶だって本当じゃあない。
夢の中で初めて見る光景や人やものも、よく知っていると思うだろう。
宮殿に住む夢を見たって、自分はずっと前からそこに住んでいると思うはずだ。
そして、夢は一瞬ごとに心が創っているのだろう。現実と呼ぶものだって同じだ。

では、世界を好きなように創れるかというと、そうとも言えるし、そうでないとも言える。
だが、見たいようには見れるのだ。
過去は幻想の記憶だ。だから、見たいように見れるし、見たままで創造される。
未来もまた、現在で経験される。未来のあなたが、現在を見たいように見れば良い。
未来のあなたは幸福だ。その幸福なあなたが、現在のあなたを微笑んで見ているのだ。
難しければ、現在のあなたが、過去のあなたを微笑んで見れば良い。辛い過去も幸福に思えるはずだ。実際、幸福にできる。
懐かしさと予感は同じものだ。未来の幸福なあなたを懐かしく予感すれば、幸福になれないはずがないというのは、科学的にも確かだ。

以下の2冊の本は、天才的科学者の2人が、過去は変えられること、未来が現在を決めることを、やや異なる角度から説明してくれている。
苫米地英人さんは脳機能と計算機科学が専門だが、他にも広い科学分野に通じ、フレッド・アラン・ウルフは世界的量子物理学者だ。
一般向けの本なので、文章自体は難しいことはない。馴染みのない考え方なのでとまどう点はあるかもしれないが、何度か読むと解ると思う。
苫米地さんの本に付属する10枚のタイスカードは千万円の価値があると私は思う。実際、私は保存用にも買ってあるほどだ。


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2009.11.24

鏡の心を持て

私が最近よく書いている、環境や状況のコントロールも、複雑で微妙な結果となることがある例を示す。
誰でも、学校や職場の中に、1人や2人、嫌な人がいるかもしれない。
正直、私も、今でも、苦手な人や、やや気に障るという人はいくらかいる。私の方は、そんな人達が特に嫌いな訳でもないが、あちら側が私をひどく嫌っていて、その反映である態度や行動が、未熟な私をやや悩ませることがある。
だが、そのような人達を、私はなるべくさりげなく扱うようにしているし、関わる必要がある時は、感じ良い態度を心がけている。
だが、私の爽やかなだけの態度というのは、私を嫌う人にはむしろ嫌なものであるかもしれない。見下されていると誤解されることも多いように思う。私が、もう少し愛情厚い人間であれば、彼らの心を穏やかにしてやれるのかもしれないが、残念だとは思う。
そして、大切なことは、私が平静さを保ちながら、心の中で決して彼らを嫌ったり憎まないことだ。これは、決してきれいごとを言いたいのではない。でないと、彼らを殺してしまう恐れがあるのだ。

嫌悪や憎しみの感情というのは隠せないものだし、隠そうとしない人が多いと思う。もし、嫌悪や憎悪を持ちながら相手にそれを感じさせないなら、ある意味、大した人だと思うが、そんな人は滅多にいないように思う。
私を憎んでいた人で、亡くなった人もいる。病気や怪我で済めば、まだ良い方だ。
エネルギーの大きな人間なら悲惨さは少ないように思う。エネルギーの大きな人間というのは、欠点はあっても、人の役に立っている場合が多いのだ。会社では、部長や役員に出世するような人達に多いと思う。
逆に、エネルギーの小さい人なら、憎む相手によっては、自分が重病になったり、大怪我したり、最悪、死ぬ。
「人を呪わば穴二つ」とか昔から言い、呪いは返ってくるので、たとえ呪いに成功しても穴(墓穴)は2つ用意しなければならないという意味だが、呪う相手が鏡のような心の持ち主であれば、呪いは全部返ってきて、穴は1つでも良いことになる。

会社の中で、私のような人間を憎む人がいた場合、非常に力ある人が近くにいると、彼は、憎む方と憎まれる方を分断することがある。それが最も良い方法かもしれない。
しかし、学校では、こういったことが絶望的なまでにできないし、教師の中に力ある者がいることは、まずもって無い。力ある人間は学校教師にはならない。力がないから学校教師になるのである。たとえ校長にまで出世しても、大企業で言えば、せいぜいが係長程度の器である。

今度、誰か殺しそうになったら、私が去ろうと思う。
しかし、ネット上ではそれもできない。私が嫌いなら、ここに来ないように。
とはいえ、実際は、嫌悪なんて好きの裏返しだし、憎悪なんて愛情の裏返しなのだ。
私も、子供の時、ひどく嫌っていた者といつの間にか友達になることがよくあった。
恋愛においても、最初から仲の良いカップルなんて、やがて破綻するし、下手に結婚なんかしたら悲惨なものだ。
最初は、相手を嫌なヤツと思うくらいが丁度良いのである。

すると、大勢いる、私を嫌いな人達が私を愛するようにすれば良いのだろうなあ。
しかし、私の子供の頃からの人嫌いが私の泣き所であろう。これが神の試練と言うわけである。

人を呪ってはならないし、嫌ってもいけない。いや、批判もしない方が良い。
そして、自分は鏡のような心でいることだ。
鏡のような心とは、子供のような心にも似ている。来るものはそのまま映し、去ってしまえば痕跡も残さない。それなら傷付くこともない。


荘子
上記の「鏡の心」は、この本の「応帝王編」にあるが、まさに「道(タオ)」の真髄を語った美しい詩だ。
この岸陽子訳の荘子は読みやすいし、非常に好感の持てる現代語訳だと思う。

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2009.11.23

評論家こそ偉大

「あの人は評論家だね」といった言葉を、軽蔑の意味で使うことがよくある。
自分は行動や決断をせず、意見を言うだけの人のことをそう言う場合が多いと思う。
職業としても、評論家を名乗るのに資格のようなものはなく、誰でも名乗れることもあり、胡散臭い評論家も少なくはなく、それも評論家のイメージを落としているかもしれない。
(とはいえ、世の中の仕事のほとんどは資格など必要なく、そんな資格無用の仕事-例えば評論家や画家-で成功しているなら、その実力は無言の内に保証されており、むしろ、医者や教師といった、資格さえあれば、能力がなくてもそれを名乗れる仕事の方がよほど怪しいと私は思っているが。)

プロ野球の読売巨人軍の原監督は、監督になる以前、よく評論家呼ばわりされていたように思う。若々しく、育ちの良さそうなエリートっぽい雰囲気で、何事も冷静、客観的に話す態度がやや反感を持たれるのかもしれない。
いや、現役時代から、原は、闘志剥き出しというタイプでなく、4番でありながら、ともすれば、チームの状況を客観視し過ぎていたり、チーム内に4番を競う強力なバッターが入団してきても、ライバル心を見せず、他人ごとのように平静に話すところが、いかにも評論家と呼ばれそうなところであったかもしれない。

自民党が大敗した衆議院選挙では、自民党の惨敗を客観的に予想した小泉元総理の発言に対し、自民党内で「もはや評論家だ」と吐き捨てる人もいたようだ。

しかし、評論家、あるいは、評論家的態度の偉大さを知る者は本当に少ない。
こう言うと、「馬鹿を言うな。自分で決断、行動しない評論家的態度のどこがいいんだ」と言いたい人も多いと思う。日本もアメリカの影響を長く受けて、行動第一主義に染まってきているかもしれない。

評論こそ最大の行為なりと言っても、なかなか受け入れてはもらえまい。
これは知る人だけが知る偉大な知恵だ。
もし、「戦わずして勝つ」極意を修得したいのであれば、評論家になることだ。
冷静に客観的に言葉で言い表すと、言われた対象は言った者の精神の中に取り込まれる。言葉で表現することで、自分のものになってしまうのである。
改めて考えてみると、行動派よりも、動かず慎重で、しかも、過激な発言を控えるような人間が楽々と成果を上げているものなのだ。
世の中では行動派が美徳とされるのは、庶民を奴隷としておきたい、国家や大企業の思想統制の影響と思われる。考えずに、言われた通りに動いてくれる人間が支配者にとって都合が良いのは当然であり、学校でも、子供達をそのような人間になるよう調教している。テスト勉強や受験勉強を熱心にやることを当たり前と考えていたような人は、自分の頭を一度疑ってみた方が良いかもしれない。
ただし、言っておくが、冷静な評論とは、感情とは無縁である。普通の人に評論をやらせると、感情論になり勝ちだ。冷静、公平な評論家になってみると良い。物質的なものなら、何でも手に入るだろう。


成功の扉
あらゆる成功法則の本を読み、エネルギッシュに実践しながら成功と無縁だった著者。しかし、「あること」に気付いた時、知らぬ間に成功を手にしていた。忘れ果てていたはずの夢であった作家になれたのだ。
学校教育の隠された目的や、成功に行動は関係ないこと等、非常に示唆に富む内容である。短くてすぐ読める。そして、成功のために必要なことは、行動せず、ただある1つのことを守れば良いことを明かす。
この本がすぐに絶版になるのは、国家の思想統制の圧力というよりは、既に国家の思想統制が完了していることを示しているように私には思える。

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2009.11.22

芸術は究極のエネルギー獲得手段だ

芸術の目的は、超一流芸術家により、爆発(岡本太郎)、エクスタシ(W.B.イェイツ)、鼓舞(三島由紀夫)、大洋感情(ロマン・ロラン)と言われた。
つまり、エネルギーを供給するものなのだ。

岡本太郎は、爆発とは、暴力的なものではなく、宇宙に向かって生命が開くことと言った。
分かり難いが、祭りの高揚状態を、岡本太郎はそれと同じように表現したことがあり、まさに、祭りはエネルギーの供給のために行われると言った。
精神分析学者の岸田秀さんは、祭りは心の中にエスが大量に流れ込むというが、エスは単純に言うなら無意識であり生命エネルギーだ。よって、祭りでエネルギーが得られるのは事実で、岡本太郎の主張と同じことと思う。
ロマン・ロランの大洋感情は、世界と一体となる没我状態であるが、没我と忘我が同じであり、忘我は英語でエクスタシだ。世界と一体となったような忘我状態で、人はエネルギーを得る。
おそらく三島由紀夫はエネルギーが枯渇しやすく、心を鼓舞してエネルギーを供給する必要が強かったのだろう。彼は芸術を必要としたのだ。

エネルギーが足りないと感じている人は、芸術からエネルギーを得る方法を知ると良い。

コリン・ウィルソンは、肉体労働者だったが、仕事が好きではなく、家に帰る時はすっかり憂鬱になり肉体的にはもちろんだが、精神的にもくたびれ果てていた。
だが、家で、ウイスキーを飲み、レコード(50年以上前なのでCDはおろかカセットもなかった)でクラシックを聴き、文豪の詩や小説を読んでいるうちに、気分は高揚し、楽しくなった。つまり、芸術が彼にエネルギーを供給したのだ。

日々の生活で落ち込み、傷付き、生きがいをなくしている人はエネルギーが足りないのだ。
まさに、アントニオ猪木の言った「元気があれば何でもできる」は真理の一面だ。
エネルギーは正しく導かないと、悲惨な結果ともなりかねないのも確かだ。
だが、まずはエネルギーを得なければ何もできない。
名曲を聴き、文学を読み、絵画を鑑賞しよう。
また、酒は、左脳の計算や理屈を抑え、芸術を受け入れやすくする。ごく若い世代にはそれは不要であるから、まさに、「アルコールは二十歳から」は正しい。


今日の芸術
岡本太郎による芸術の入門書だが、一流の芸術家達も愛読した。
あの岡本太郎がというのも変だが、一般の人のため、ピカソも含め、芸術を分かりやすく解説してくれる貴重な本だ。絶版であったのを、横尾忠則氏が出版社に復刻を要請し、出版が実現した。

歓喜
岡本太郎の作品と、文章・語録が見事にマッチした本だ。この1冊で、岡本太郎をかなり知ることができると思う。

美の呪力
個人的には、岡本太郎による究極の芸術論だと思う。


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2009.11.21

窓際族に人材がいる

現在はあまり聞かなくなったが、かつては、企業には窓際族と呼ばれる社員がいることがよくあったらしい。
窓際族とは、クビにはならないが、仕事を与えられず、就業時間でもやることがないのだが、お給料はちゃんと出ているという社員である。
なぜそんな立場になるかを列挙すると、

(1)無能で仕事をさせるわけにいかない
(2)有能過ぎて何かと問題がある
(3)性格的な問題で嫌われている
(4)協調性がなく、回りとうまくやれない
(5)社内で力ある者と仲が悪く、おとなしくしていてもらいたい

などが考えられる。
かつて、日本経済が好調な時は、収益に余裕のある会社も多く、窓際族も珍しくなかったと思う。
もちろん、その時代でも、経営状態の悪い企業では窓際族は置けないし、逆に、現在でも、金のある企業なら窓際族がいてもおかしくないだろう。
窓際族になると、将来の出世はありえず、そもそも、仕事に生きがいを持てないので、辛く苦しいのが普通とされている。
しかし、かつて、竹村健一さんなどは、ことあるごとに、「窓際族は非常に良い立場だと思いなさい。給料をもらえて自分の好きな勉強をしていられる」と言っていたものである。

ところで、アメリカあたりでは、日本のような窓際族は、少なくとも民間企業では珍しいらしい。そして、彼らには日本企業の窓際族の人達がやはり好待遇と映り、「その人達(窓際族)は、かつて、よほど会社に貢献したに違いない」と思うようだ。
それでいえば、会社に対し、さしたる貢献もせずに窓際族になった日本の大半の窓際族は、やはり竹村健一さんの言うように、良い立場なのであろう。
そして、海外ではありえない窓際族が日本の企業にいるのは、やはり、日本の企業は家族のような雰囲気が伝統であったのだと思う。

しかし、企業によっては、窓際族を集めて成果を期待しないプロジェクトをやらせて大成功することもある。
窓際族になる人間は、やはり、変わったところがあり、普通の人とは調子が合わないが、潜在的には優秀な人達が多いのかもしれない。
かつて、竹村健一さんは、そういった、変わった人達を異能者と呼び、21世紀は、そんな人達の時代だと言った。
しかし、現在でも、企業にいるのは、相変わらず、アホらしいほど常識的人間ばかりである。
そして、アメリカと違い、日本では、異能者が独立できる仕組みが実際にはまだまだない。
そこで、企業においては、窓際族たる異能者の才能を活用できたところが、今後勝つと思えるのである。


プロジェクトX 挑戦者たち〈1〉ビクター窓際族が世界規格を作った
ビデオの世界標準VHSを創ったのは窓際族だった。企業論理を無視した活動が世界を超えた。

ひろさちやの「無関心」のすすめ
上記のビクターの技術者も良いのだけれど、窓際族、あるいは、微妙な立場になった時は、仏教のこんな考え方で、気楽にやるのも良い。

特上の人生―やりたいことをやりながら成功する法
特に、窓際族の話があるわけではありませんが、ものは考えようというのが竹村さんの味の1つ。虫瞰的視野を脱出し、鳥瞰的に見れば道が開けるかもしれません。
竹村健一さんの人生論の名著として誉れ高い書。


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2009.11.20

精神分析 VS 自己暗示

ジクムント・フロイトは精神分析医でした。
彼は、本当は医者ではなく研究者になりたかったようですし、実際にもその方が向いていたのかもしれませんが、経済的な事情から医者になりました。もっとも、当時は、医者は必ずしも高収入ではなかったですし、特に、精神分析医はそうではなかったかと思います。

そして、本質的に医者に向いていないフロイトは、意図的ではなくても、患者を研究対象としていたかもしれません。ただ、その分、一人一人の患者に長時間をかけ、可能な限り無休で熱心に対応しましたが、面白いことに、それが患者の親しみや信頼を受けることになりました。
フロイトは、現実的には、治癒に成功した患者はほぼ皆無でしたのに、多くの患者が彼に強い感謝の気持ちを持っていたようです。
患者としては、フロイト先生の熱心さに感謝したのでしょうが、自分が研究材料として興味を持たれていたとは知るよしもありませんでした。

そして、フロイトは医者としては無能と言わざるを得ないかもしれませんが、彼の治療の名のもとに行われた「実戦」研究は非常に貴重なデータを残しました。
彼は本当に天才でしたし、病的なまでに几帳面で、特に文章に関しては美文家で知られており、多くの文書を残したことも幸いしました。
ユングやマスローは、いったんはフロイトと親密でしたが、やがて決別しました。それでも、ユングは、フロイトの巨大さは認めざるをえませんでしたし、マスローは、自分の仕事はフロイトの深い意味の追求だと著書にも書いたほどです。

また、こんな面白いこともあります。
現在、我国で人気のある精神分析学者の岸田秀氏は、幼い頃から、母親の影響による強い精神疾患で悩んでいましたが、フロイト理論を独学し、工夫して自分自身の治療を試みたところ、見事に治ってしまったと著書に書かれています。
精神的な問題は、自分で何とかしようとする自発的な心構えが必要なのかもしれません。

フロイトと同時代に、彼より10歳年下のゲオルク・グロデックという精神分析医がいました。 どこに濁点をつければ良いのかなかなか覚えられない嫌な名前です(笑)。
フロイト理論には、エスというものがあり、これがまた曖昧で分りにくいものです。敢えて簡単に言えば、無意識の中に潜む生命エネルギーといったところでしょうか。しかし、無意識とは何かとか、精神の中のエネルギーとは何を意味するかとなると、なんとも言えませんので、やっぱり曖昧としか言えませんし、科学的ではないでしょう。それでも、エスはやはり重要な何かであるとは言えると思います。
(上述の岸田秀氏は、「簡単に言えば、無意識は全部エスだ」と著書に書いていますが、その方がすっきりしていると思います)
このエスのアイディアをフロイトはグロデックから得たことを、フロイトも認めています。さらに、グロデックもまた、その発想をニーチェの著作から得たと言われます(ニーチェとグロデックは親戚でした)。そして、グロデックのエスと、フロイトのエスはかなり異なるものです。
グロデックのエスは、フロイトのエスよりさらに驚異的なものです。それは、身体の中に潜む神秘的な力ある精神です。いかなる病気も、アレルギーも、その他、肉体や精神に現れる一切も、そしてさらに、転んで脚を折ったり、偶然に飛んで来た弾丸が身体のどこに命中するかといったことまで、エスによらずに起こることはありません。全てはエスの意思の通りに実現します。

ところで、グロデックが精神分析医であることは述べました。他の医者が見離した患者を専門に、マッサージ、食事療法を含めた精神分析療法で治療を行いました。しかし、成果の方はと言いますと、フロイトほどひどくはなかったかもしれませんが、絶賛でききるようなものではなかったと思います。
重病患者を「散歩に行こう」と無理矢理連れ出そうとし、患者は玄関で絶命したなんて話もあるくらいです。

ところが、フロイトより1つ年下のフランスの薬剤師で、後に心理学者になったエミール・クーエとなると、数多くの難病に対し、奇跡的とも言える治療成果を上げています。しかも、クーエは無報酬で治療しました。
クーエが使ったのは暗示療法でした。
そして、クーエの方法は1冊の本で楽々まとめられるシンプルなもので、実際に書籍にして販売され、誰もが、病気治療に限らず、性格や習慣の改善、能力の発揮や向上のために存分に利用することができます。
実際には、クーエの手法の重要な部分は数分で伝授できるようなものです。そして、それがクーエの方法の全てと言っても差し支えないことをクーエも認めています。

ただ、クーエの方法は長く優れた効果を発揮し続けましたが、近年では成果が得られにくくなっているように思います。それは、文明のもたらした多くの弊害のためと私は考えています。
環境が快適になり、人間の動物的能力が損なわれてきました。特に、生体を調整する脳の機能、中でも脳幹が弱くなり、人間は肉体的、精神的に弱くなってしまいました。肉体の強さは、スポーツの記録とは別のものです。スポーツの一流アスリートも、健康面では普通の人と変わらないか、引退後はむしろ弱いことも珍しくありません。
そして、美食・飽食が我々を破滅させつつあることは、ほぼ間違いないと私は思います。空腹を感じることもなく、ぶよぶよの脂肪が付き、血糖値が異常に高まるといった状況では、いかなる方法を持ってしても、肉体、精神の向上を計ることは不可能です。そして、この状況を改善することは、特に日本やアメリカ、あるいは、中国の富裕層において難しいことであると思います。
スポーツ選手は、現役時代に大食する場合も多く、特に一流選手の場合は美食であるのが大半かもしれません。それで、過去には輝くばかりの栄光にあった人達が、後に重病になったり、糖尿病はじめ、深刻な疾患を抱えていることもよくあります。
スポーツ選手であっても、そうでなくても、冷暖房の使用はほどほどにし、食を慎むことが必要であると思います。


自己暗示
前半は、C.H.ブルックスによる、稀代の暗示療法家エミール・クーエの驚くべき治療風景や、クーエによる自己暗示の実践編を読むための効果的な解説がある。
後半は、クーエ自身が自己暗示のやり方を簡潔に教えてくれる。それはとても簡単なので、この本だけで全く十分であり、その効果はクーエの直接の指導の場合と変わらないはずだ。
さらに、クーエの素晴らしい論文「教育はいかにあるべきか」も収録されている。
入手し難くなりつつあるのかもしれない。手に入るうちに入手されることをお薦めする。

暗示で心と体を癒しなさい
上記の本の、エミール・クーエによる自己暗示の実践部分と、それに独自の解説を加えた新訳。
新しい本だけあり、見易く、読みやすい。
こちらも十分にクーエの手法をマスターできると思うが、クーエの温かい診療所の情景が浮かぶC.H.ブルックスの優れた解説や、クーエの論文「教育はいかにあるべきか」は、上の本で是非読みたいものと思う。

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2009.11.19

何を観測するかを決断すれば願いは叶う

ジョセフ・マーフィーの成功法則などの、潜在意識の活用による成功法則では、願望が成就した場面をイメージし、それを潜在意識に送り込めば叶うと説明されます。
そういう説明でも別に良いかもしれませんが、ちょっと雰囲気を変えて考えると、より自然で願望が叶いやすくなるかもしれません。私の場合がまさにそうです。

よく、祖父が孫娘の花嫁姿を見てから死にたいとか言うことがあると思います。
もしかしたら、祖父は孫娘が結婚する前に亡くなり、花嫁姿を見ることができないかもしれません。しかし、そんな孫娘は幸福な結婚をする場合が多いように思います。
ここにヒントがあると思います。

成功法則には神秘的に感じるものが多いのですが、物理学の一分野である量子力学も、これに優るとも劣らないほど神秘的に思われます。
そして、最近では、量子力学の考え方を、意識と出来事の因果関係を説明するために引用する人が増えており、その中にはこの分野の科学者や、量子力学の概念を深く認識した知的な人も少なくありません。
量子力学では、観測者が何を観測しようとしているかによって観測結果が変わります。
上の例で言えば、祖父は、孫娘の幸福な結婚をイメージするのではなく、それを観測することを意思していると言えます。
私は、これまでも何度か書きましたが、幼い頃からの数多くの奇跡的な出来事の経験から、見ることを意図したことは大抵がその通りになると感じています。
それならば、金持ちになった自分を観測するとか、ダイエットに成功してスリムになった自分を観測する意思を持てば、それは叶い易いのではないかと思っています。
我々の実体は万能の意識であり、その意識たる我々が、金持ちになった自分の身体や心を観測することを断固として決定すれば、それは必ず叶うと思います。


大きく考えるための小さな本
世界的量子物理学者フレッド・アラン・ウルフによる、世界一簡単な量子力学の本。
幼い時の神秘的な体験が、ウルフを量子力学の道に導きました。
神秘的な体験・・・それはあなたにも必ずあったはずです。この本を読むと、それを思い出すかもしれず、その時、あなたはこの世の秘密を直観し、環境や状況を支配する魔法使いへの道を進むかもしれません。

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2009.11.18

心の純粋さと富は両立するか?

聖者の素晴らしい教えは、俗世間での願望達成や成功と無縁なものであると考えられるのが一般的かもしれません。
これに関しては、正直、難しい話だと思います。

ジョセフ・マーフィーのようなニューソート思想の成功法則は、聖書を古い伝統的解釈とは異なる新しい解釈の仕方をしたものです。こんなことを、今では簡単に言えますが、昔であれば、ガリレオ・ガリレイのことを思い出せば分かるように、火あぶりにされるのが普通でした。ニューソート思想の源流とも言われるエマニュエル・スウェーデンボルグも危うく処刑されかけ、死ぬまで海外に逃亡しました。
ジョセフ・マーフィーは、聖書のみならず、古代インド哲学の聖典をはじめ、世界中の聖なる教えを引用することもありますが、他にも、仏典や中国の古代思想を基にした成功哲学を説く者も少なくありません。
まあ、言ってみれば、私もその一人かもしれません(笑)。

しかし、聖典を使った成功法則を説く者には、聖典の独断的な、あるいは、飛躍し過ぎた拡大解釈と思われることを言う者も少なくはないように思われます。

少なくとも、表向きには、富を得ることを薦め、それを達成する方法が書かれた聖典は存在しないと思います。新約聖書では、イエスは、神は自分の願いをいつでも叶えてくれることや、誰でも、必要なものは必ず与えられると言っていますが、個人的欲望である必要を超えたものを得られるとは言っていません。金持ちが天国に入るのは難しいとも言っており、富を得ることを肯定していないと思われる部分もあります。
ただ、イエスは膨大な量の食べ物を空中から出現させたり、海の上を歩いたり、難病を治したり、死者を甦らせ、遂には、自分も死から復活する奇跡を起こし、これらの業は誰にでも出来ると言っておりますので、事実上、我々は不可能のない無限の力を持つことを保証しております。

近代インドの聖者である、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジは、欲望を捨てることを説き、また、自らも物質的には貧しい一生を送りました。ラマナ・マハルシとなると、生涯、ふんどし1枚以上のものを所有しませんでした。しかし、彼らはいつも至福の中におり、人々に同じ至福を与えようとしましたし、膨大な人々がそれを求めました。
しかし、マハラジは、人間にはいかなる望みでも叶える力があると言い、時には、願望を叶える方法を教えることもありました。
また、両者共、必要なものであれば必ず与えられるので安心するよう教えています。

彼らのように悟った聖者は、彼ら自身はお金などというものへの関心を持たないのでしょう。
お金や世俗の成功といったものは、彼らにとってあまりに些細などうでも良いことなので、その問題に触れることがないだと思います。
しかし、言い換えれば、お金や世俗的成功程度であれば、極めて簡単なことでもあるということだと思います。そして、お金などは人を幸福にせず、それどころか、不幸にすることが多いので、それを得る方法よりは、欲望を消すことを教えるのでしょう。

膨大な富を得、贅沢な生活をしても心の純粋さを保ち続ける自身があるなら、成功し、大金持ちになるのも良いかもしれません。
ビル・ゲイツのように、想像も出来ないほどの富を得ても、飛行機はエコノミークラスに乗り、大衆食堂で食事する人間は稀と思います。彼は、後世に名を残したければ、スタンフォードのようにゲイツ大学を作れば良いのですが、あまり興味がありそうにもありません。
お金を、自分だけでなく、人々のために正しく賢明に使う知恵を持った時に、幸福を伴った富裕への道が開かれるのだと思います。
その知恵がないなら、なまじ、お金など持たない方が身のためかもしれません。
そして、その知恵は、謙虚さから生まれます。謙虚さは、慎みと共にあります。そして、最大の慎みは食の慎みです。食を慎む者であれば、富を得ても良いですし、それは容易いと思います。
ただ、食を慎んでいても、お金を拒否するのも自由です。独断的で心の狭い者には、少食者であっても、無意識的かもしれませんが、あくまで自分の望みとして貧乏な場合もあると思います。

何度も紹介しましたが、あまりに貴重な、2人の現代聖者との対話集です。


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2009.11.17

現実世界は本当は無い

4歳の私は、ドアノブをじっと見つめていた。
ドアノブを見ていたのは、その透明プラスチック製のドアノブが、テレビか映画で見た、魔法使いの魔法の杖の先に付いていたものによく似ているように思えたからだ。
しかし、やがて、別の理由で、ドアノブから目が離せなくなった。
奇妙な感覚に襲われたからだった。
そのドアノブに現実味がないのだ。
そのドアノブは本当にそこにあるのだろうか?
見れば見るほど、それが疑わしく感じられる。
ただ、幸いなことに、私はその感覚を楽しめたので、精神に異常を来たさなかったのだと思う。
どんな感覚かをもう少し詳しく言うと、それを見ている瞬間に、それが消滅するように感じたのだ。しかし、消滅したように感じても、それはそこにある。だから妙なのだ。

その後も、私は、いつでもその感覚を呼び起こすことができた。私は、何でも瞬間的にではあるが消去できたのだ!
この感覚の説明らしきものは、コリン・ウィルソンの「フランケンシュタインの城」か「右脳の冒険」で見た。
日本では共に1984年に出版されているが、原書はフランケンシュタインの城(Frankenstein’s Castle)が1980年、右脳の冒険(Access to Inner Worlds)は1983年に出ている。
ウィルソンは科学者ではなく、文学への思索を基に想像と考察をした人なので、書いてあることがあまり整然としていないというか、文学的な飾り言葉が少し冗長に感じるし、この2冊は、2冊で1冊のような感じがあり、どちらに書いてあったのか憶えていない。
内容は簡単に言うと、こんな感じだったと思う。
我々の内部には魔術師がいて、目が何かを捉えると、その魔術師が我々が見ているような姿に構築してしまうというのだ。つまり、実際の世界は、我々が見ているものとは全く異なるのである。
このこと自体は、現在の脳機能科学や神経科学で十分に立証されていると思う。
しかし、本当の問題は、単に、世界は目で見て脳が認識しているものと形や色が異なるというのではなく、全く違うということで、もしかしたら、現実世界なんて本当は無いのかもしれないということである。
物理学の分野である量子力学では、その可能性を認めている。
江戸川乱歩は、「夜見る夢が本当で、現実世界が夢なのだ」と常に言っていたが、夜見る夢は夢との認識があるからという意味で、それは正しいのかもしれない。つまり、夢も現実も幻であるが、現実世界は本当を装った厄介なまやかしである。
インドの聖者ラマナ・マハルシは「夢は短く、目覚めは長い。その他に両者に何ら違いはない」と確信を持って教えた。

どの分野でも、高度なところに行くと、こういった結論に行き着くのではないかと思う。

私が幼い頃から感じていた奇妙な感覚を説明するとこうなる。
世界という実体は本当はなく、私の意識が瞬間瞬間に作り出しているのである。それは非常に巧妙に行われるので、ほとんど誰もそれに気付かない。
しかし、私が、「あのドアノブは、魔法使いの杖の先と似ている」と思った時、私の想像力が、意識による現実の構築原理に干渉したのだ。その時に生じた歪みのようなものを私は感じてしまったのだ。
意識が世界を創り出すのは極めて短時間に行うが、それは連続作業なのだ。常に創り続けないと世界は維持できないし、時空の動きというものが表現できない。丁度、世界はアニメーションみたいなものなのだ。

谷川流さんの大ヒット小説「涼宮ハルヒ」シリーズで、未来から来た美少女、朝比奈みくるは、「時間平面は連続したものではなく断続的なもので、アニメーションのようなもの」と言ったが、まさにその通りである。
時空を連続的と考えたのがアリストテレスで、ニュートンも疑わなかった。しかし、マックス・プランクはそれは断続的であるという仮説を作った。プランク自身がそれを信じたくなかったが、それが正しいことが分ることになる。

さて、私は幼い頃から、奇跡としか思えない、環境や状況の支配を行なってしまうことがあった。
世界を作り出すのが意識であるなら、意識のコントロールでそれができたとしても不思議はない。
念力や、潜在意識の法則による成功理論も、源はそこから来ているのだと思うが、私ほど幼い頃に、直接にそれを感じた例は稀と思う。


宇宙をつくりだすのは人間の心だ
世界的ベストセラーで、現代のバイブルと言われる「他人をほめる人、けなす人」のイタリアの天才作家フランチェスコ・アルベローニによる至高のエッセイ。

フランケンシュタインの城
ウィルソン自身が認めているが、この本は彼の著作の中でも非常に重要なものだと思う。
彼のライフワークは「超意識の獲得」であり、それにより高次の生に人々を目覚めさせることであるが、本書はそのための意識のメカニズムやそれを制御する方法に関する貴重な示唆に満ちている。


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2009.11.16

人生の環境や状況を支配する私の方法

人生の環境や状況は必ず支配できるものだと思います。
例えば、私は、最近、ある人に会いたいと思っていました。
その人と最後に会ったのは2年前、しかも、一瞬すれ違っただけでした。それ以前となると、もう何年前か・・・。
つまり、もう一生会わなくても不思議はないというくらいの人でした。
しかし、数日前、帰宅時に偶然(?)出会い、しばらく話すことができました。
嫌な人に関しては、必要ない限り、あまり会わなくて済むようにもできます。(嫌な人というのは、本来は自分に必要な人ですので、必要な時には会うこともあります)
ただ、まだ私には、瞬間に状況を変えることができる訳ではありません。場合によっては数ヶ月はかかります。しかし、悪くない数ヶ月です。いろんなことが学べるからです。
そして、その期間もどんどん短くなっています。

では、こういったことをどうやるのでしょう?
私の場合なら、「○○さんに会いたい」と言葉にするだけです。私は心の中で言うのが好きですが、口に出すのが好きならそうすれば良いでしょう。
気楽に時々、心の中で言うだけです。感情込めて、気合いを入れて言ってはいけません。ある意味、他人事のように言うことが肝心です。
言葉にすることが大切です。言葉にしないと、自分の現実を支配できません。
練習程度に、時々、状況を言葉にすれば良いでしょう。
例えば、歩いているなら、「歩いている」、コーヒーを飲んでいるなら、「コーヒーを飲んでいる」。
学校に行って、××先生を見たら、「××先生がいた」。ただし、もし××先生が嫌いでも、逆に好きでも、その感情を言葉にしてはいけません。単に客観的状況を言葉にします。
歩きタバコをしている人が赦せないとしても、そんな人を見て「嫌なヤツを見ている」なんて言ってはいけません。「タバコを吸いながら歩いている男がいる」と、感情を交えず言葉にします。
言葉にした時、その状況はあなたが創ったことになります。
あなたは、一瞬で出来事を創ったのです。
実際、現実なんて、時間的に連続しているものではありません。一瞬一瞬、心が創造しているだけです。感性があればそれが分かります。

言葉にすることが浮かばないなら、壁でも見て下さい。
「壁が汚れている」とか浮かぶと思います。しかし、「きたない壁だ」といった、感情的な言葉はダメです。
あるいは、「私は呼吸している」とか、「私は座っている」と言って下さい。
ニサルガダッタ・マハラジは、「私は存在する」と常に想えと言ったそうですが、どんなニュアンスで言ったかよく分かりませんが、私なら、たまに気楽にそう言葉で言うことをお薦めします。
マハラジも、「私は在る」は至高のマントラ(じゅ文)だと言ってました。

ただし、私の言った通りにやるのが必ずしも良いとは限りません。
あなたは私ではないので、もっと良い方法があると思います。私のは参考程度にして下さい。


アイ・アム・ザット
現代インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジとの対話集です。
マハラジは僧院や道場に鎮座する僧侶やヨギではなく、あまりうまくはいきませんでしたが世俗の仕事に励み、小さな家に住む貧しいただの老人でした。
しかし、その教えは驚くべき価値のあるもので、必要な全てがここにあると言っても間違いないと思います。

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2009.11.15

人生は小説を書いているようなもの

私が幼い頃・・・とは言いましても、そんなに幼くはない小学校の終わり頃まで、世の中は神秘に溢れていました。
何が神秘かと言いますと、現実というものの状況はかなりの部分までコントロールできたことです。
ただそれは、「こうなれ」と強く念じた訳でも、強く思い込んでいたわけでもなく、どちらかというと、「こうなることに決めた」といった、もっと軽いノリ、ソフトなタッチだったように思います。
「目をつぶって飛び込めば車に当たることはない」と決めて、交通量の多い車道に飛び込んだことが何度もありました・・・これは良い子は決して真似をせず、もっとマシなことで試して下さいね。
小学3年生でいきなり手に入れた天体望遠鏡で、「土星を見ることに」決め、適当に選んで見た最初の星がちゃんと土星でした。
こういったことは私の日常でした。
しかし、全てをコントロールしていた訳ではありませんでした。
特に学校が絡んでくると、私の状況支配能力は極端に低下したようです。おそらく、学校の力が、自分の力をはるかに超えるといった嘘を、恐怖と共に叩き込まれるからだと思います。
ことに中学校に入ると、社会性という名のもと、我々個人は力を持たないと信じ込まされてしまいます。
そして、常識的な下らないことをして自分を慰めるようになります。せいぜいが、買い食いや、レジャー施設の利用や、漫画や、弱いものいじめや支配によって。それはそのまま、大人になっても続きます。

私は、再び状況を支配する方法を皆さんに教えたいと思います。
まずは、自分が力あった頃に聞いた音楽、読んだ小説を思い出し、可能なら、再度聴き、読んで気分を盛り上げておきましょう。
人生は、夢のようなものです。
サルトルは、小説を読むことは、小説を書くことだと言いました。あなたは、ただ、人生という小説を書いているだけのことです。

状況支配の優れたヒントになる、出版社は違うのに、偶然同じサイズ、
同じ値段で、共に原著者不明の2つの物語。


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2009.11.14

食の偉大さを伝えるお話

帝国ホテルの料理長を26年務めた、村上信夫さんというフランス料理のシェフがいます。
1921年生まれで、第二次世界大戦では陸軍に従軍。中国で終戦を迎えるも、シベリア抑留の後に帰国しました。
東京オリンピックでは、女子選手選手村の料理長も務めました。
2005年に亡くなられています。

以前、彼の物語をテレビで見たことがあります。
彼が、太平洋戦争が終るも、シベリアに抑留されていた時のことです。
シベリア抑留とは、世界大戦末期にソ連が日本に宣戦布告し(日ソ中立条約を破棄)、中国の日本領土にいた日本兵を捕虜とし、厳寒環境下で、満足な食事や休養を与えずに過酷な労働を強いたもので、1993年に当時のロシア大統領だったエリツィンが来日した際、エリツィンはこのことをソ連首脳として初めて謝罪しました。

シベリアで、ソ連側は、村上さんがコックだということは知っていました。
ある夜、村上さんはソ連兵に呼び出され、ある所に連れて行かれます。
そこには、瀕死の一人の日本兵がいました。
ソ連兵は、村上さんに「朝まで持たないだろう。最後に何か好きなものを食べさせてやってくれ」と言いました。
村上さんは、瀕死の男に「何が食べたい?」と尋ねます。
男は、「パイナップルが食べたい」と言います。
しかし、そんなものがあるはずがありません。村上さんは困りましたが、リンゴを見つけます。
村上さんは、リンゴと砂糖を使い、フライパンで料理しました。
そして、村上さんは、自力で食べることもできないその男のために、自分がフォークで食べさせました。男は全部食べました。
それからしばらくした日のことです。
村上さんが収容所内を歩いていると、誰か(日本人)に呼び止められました。
見ると、なんと、あの瀕死だった男が、元気に歩いてきました。
あの悲惨な状態からまさか生き延びるとは思っていなかった村上さんは驚きました。
男は言いました。「あんな美味いものが食べられるなら、また生きてみようと思ったんだ」と。
このリンゴのパイナップルは、その後も、村上さんの得意料理になったそうです。

助かるはずのない命が、食べ物への思い、憧れで甦る。なんとも感動的な話だと思いました。
食とは、かくも偉大なものでもあります。
私は、食というものを大事にしないといけないと強く思いました。
常にだらだらと食べて空腹な時がないので、ロクに料理本来の美味しさを味あわないとか、刺激的な人工調味料や過度の砂糖や油で味付けされたもので無理矢理食欲をかき立てて食べるなどといったことは決してしてはいけないと思いました。それと同時に、極端な少食、粗食もあまり良いことではないと、最近の私は思っています。
食を慎み、空腹になってから食事をすることで、素朴でも良い食事を最大に味わうことが、人にとって大切なことであると思います。


帝国ホテル厨房物語―私の履歴書
村上信夫さんの波乱万丈の人生と、崇高な料理観を綴った自伝。


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2009.11.13

新型インフルエンザとEM

新型インフルエンザのマスコミ報道は相変わらず盛んです。
しかし、私は当初から、健康であれば、特に恐れるようなものではないと思っていました。大切なのは、普段の生活による心身の健康です。
私なら、もし自分が感染したとしたら、他人にうつしてはいけませんので自宅に篭りますが、病院に行くつもりはありません。放っておけば治りますし、免疫もできます。

これに関して、朝霞厚生病院会長で、EM-X予防医学研究所所長の田中茂氏(医学博士)の記事をご紹介します。

最先端の医「連載93(2009/10/01)新型インフルエンザの流行に思う」

田中さんは、琉球大学農学部教授の比嘉照夫さんが農業分野での土壌改良用に開発したEM(有用微生物群)を医療用に活用して成果を上げ、英語版も含め、これに関する著書も何冊か出しています。それらの書籍や雑誌「ゆほびか」によると、その効果は驚異的で、にわかには信じられないような難病の治癒例もあります。免疫学の世界的権威で、癌の治療分野で有名なマンドゥ・ゴーナム博士も絶賛しているようです。
テレビ番組でも取り上げられるようになると、一頃は、眉唾扱いからカルト扱いまでされる始末でしたが、現在も立派に活動されているところを見ても分る通り、効果の方は否定できない面が多いようです。

EMに関して簡単に説明しますと、抗酸化力を持つ有用な微生物を活かし、様々な用途に適応させた種々の製品です。
EM製品の中では、EM1号という、土壌改良用の培養液と、EM-Xという、上記にある、驚異的な治療実績のある飲料水がよく知られています。
他にも、EM-Xセラミックという、強力な抗酸化作用を持つセラミックもあります。

EM1号は、あくまで土壌用で、飲料用ではありませんが、開発者の比嘉照夫さんが毎日飲んで健康になったことや、医学的検査でも、飲料しても問題なしとの結果は一応出ているらしいです。
EM-Xが飲料用ですが、値段がEM1号の4~5倍とやや高いのが難点です。私の印象では、10年以上、低価格化はほとんど実現していません。
私もEM1号を飲み続けていたことがありますが、全く問題ありませんでした。また、EM-Xも飲んでいましたが、元々健康なので、なんとも言えませんでした。
ただ、私の知人の男性で、奥さんが末期の癌である人がいまして、彼は、この手のものは一切信用しない人でしたが、私の知人のEM販売店の人に紹介しましたら、藁にもすがるという思いでしょうか、試してみたところ、驚異的な効果があり、自らEMの普及活動までしていました。尚、使われたのは主にEM1号でした。彼はお金持ちでしたが、販売店の人が自分の経験上、EM1号の方が良いと思ったようです。ただ、医療現場では、やはりEM-Xが使われる場合が多いと思います。

私は、EMに関して、ジャーナリストで数多くの著書を持つT氏とネット上で争ったことがあります。
T氏はEMを決して認めず、EM1号を飲むことは危険な雑菌培養液を飲むことだと非難し、一切こちらの言うことに耳を貸そうとしませんでした。
T氏はその後、難病になり、勇敢にもその病状の進行記録をネット上に公開し、やがて亡くなりました。
T氏とは、それ以前には親密に対話しておりました。高校を中退しておられますが、勉強熱心で努力家の方でした。
T氏の病状がかなり進行していた頃、久々にT氏のサイトの掲示板に書き込むと、T氏は、私のことはおぼろげにしか憶えていないと書かれました。数年が過ぎても、おぼろげに憶えているなら、それを憶えていると言うのでしょう。そして、私のことを「思い込みが激しいところは変わらないですね」と書くのですから、実はよく憶えていると言っているようなものでした。しかも、ハンドル名だけで分ったようでしたし。
私が、「もう来ないよ」と書くと、「誰も来るなとは言っていない」と書かれるなど、案外に心は繋がっていたような気もします(これが思い込みか?)。

確かに、EMに関して、田中茂さんのものはともかく、精神世界で著名な経営コンサルタントの著書もあり、それらを鵜呑みにするのも問題と思いますが、あくまで比嘉照夫さんが研究者として善意で開発したものであり、万能とは言いませんが、有益な面は確かにあると考えています。使用に際しては、自分で調査することをお薦めいたします。


EM1号(1000cc)
本来は、土壌改良用です。
飲料用として売っていないのですから、あくまで自己責任でということになりますが、私は毎日飲んでいましたし、多くの人がそうしています。それでトラブルがあったという話は聞いたことはありません。
下の、飲料用のEM-Xに比べ、安価であるのが魅力です。

EM-X GOLD(500cc)
こちらは飲料用のEM-Xです。
あくまで清涼飲料水であり、医薬品ではありませんが、医療現場で用いて、癌などの難病治療に驚異的な効果を示した例が数多くあるようです。

EM‐Xが生命を救う―医師が実証する大いなる治癒力
第一級の医師であり、和光市長も勤めた田中茂氏による、医療現場でのEM-Xの驚異的な実例と検証があります。

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2009.11.12

「明日を乱す」方法

人生を変えたい時、「現実を壊す」といった言い方がよくされると思います。

渡辺美里さんの大ヒット曲「My Revolution」では、「明日を乱す」といった表現をしています。この歌の曲を創ったのは小室哲哉さんですが、詩は女性作詞家の川村真澄さんです。
ただ、残念なことに、この歌ではどうやって明日を乱すのかは分かりません。川村さんにとっては当たり前のことなのだと思います。
小室さんだって、この「明日を乱す」方法を忘れなければ、今後、困ることなんてありません。
斎藤一人さんが、「困ったことなんて起こるはずが無い」と言うのは、明日の乱し方を知っているからだと思います。明日の乱し方を知らない人は、やっぱり困っているのですね。
ただ、乱すのは別に明日でなくても構わないのです。今を乱せばもっと手っ取り早いですからね。

H.G.ウェルズの「ポーリー氏の物語」でも、ポーリーは「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」と簡単に言いますが、そのやり方を知っている人には気楽で簡単なことでも、分からない人はやっぱり駄目なのです。

「レイアース」というアニメ(CLAMP作品の「魔法騎士レイアース」を基にした別ストーリー版)で、中学校卒業を1週間後に控えた、鳳凰寺風(ほうおうじふう)という、心優しい少女が、こんなことを言います。
「このような現実を、こんな運命を認めるわけには参りません」
皆さんもそう思っているのではないでしょうか?
では、今を乱して変えてしまいましょう。
実は、鳳凰寺風は、なかなかそれをやろうとしませんでした。
彼女を見守る魔神(ましん)ウインダムは、風に「自分の殻を破れ」「一歩を踏み出せ」と言います。
それにはどうすれば良いでしょうか?
風は、認めたくない現実や運命を、まずしっかりと認識した。それだけです。
ポーリー氏は、気に入らない人生をしっかりと見たのです。

見れば変えられます。なぜでしょうか?
インドの詩聖タゴールが、アインシュタインに言ったそうです。
「人が月を月と認識しない時、それでも月があると言えますか?」

我々は月が見えます。でも、見えているだけです。
だから、月があるとは言えますが、それは我々のものではありません。
もっとしっかりと月を見た時、月はさらに輝きます。
その時、月はあなたのものです。
月は、あなたが見ている夢の中の存在になったのです。
あなたのものであれば、あと一息でコントロールできます。
その気になれば、月を四角くしたりもできるかもしれません。
これは本当の話ですが、金星をUFOだと思った人が、その「UFO」の窓から宇宙人の顔が見えたと言い張ることがあります。彼にとって、それは現実です。

法華経の中で、お釈迦様が眉間から光を出したという記述がありますが、私は、それは多分、意識を当てて見たという意味だと思っています。
後1つ、問題があるとすれば、どうやってしっかり見るか、意識して見るかを知ることと思います。
1つには、よく観察すること。意識して見ることです。
夢の中の情景を記憶するように、よく見ます。
言葉にするとそれは容易です。
「まあるいお月様」「少し黄色がかった白い光、銀色じゃない」「表面に模様が見える。でも、うさぎには見えない」
などです。
ただ、その時、感情を交えてはいけません。「きれい」「きたない」「大好きな」「嫌な」といった言葉で飾ってはいけません。
ただ、あるがままに見ること。その時、現実は乱れます。あなたが超越意識に入ったからです。あと一息です。


もっとほんとうのこと―タゴール 寓話と短編
インドの詩聖タゴールによる人類の至宝。
ノーベル賞受賞作家でもあり、同じくノーベル賞を受賞した「20世紀最大の詩人」イェイツが絶賛する彼が、孫娘のために遺した最晩年の作品。10の易しいお話の中に、限りない知恵が秘められています。


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2009.11.11

食を楽しむ心の豊かさとは

極端な少食を実践している人は、素晴らしいところも間違いなくあると思いますが、人によっては心が狭いという面もあるのかなと思うことがあります。

やはり、お百姓さんが一生懸命作った野菜や穀物、漁師さんが獲ってくれた魚介類を美味しく食べることも、人には必要なことではないかと思います。
また、食事はただ栄養を摂取すれば良いという訳でもないでしょう。

「奥様、食事というのは、合理的なだけでは駄目なのでしょうか?」
「そうですねえ・・・。そうでなければ、これだけ沢山の種類の料理はないと思いますよ。手を変え品を変え、愛情込めてこそ、楽しい食卓になるのだと思いますよ」
~アニメ「灼眼のシャナII(セカンド)」より。ヴィルヘルミナ・カルメルと坂井千草の会話~

私も、最近では、人にとって、心の豊かさのためには食の彩りも大切なことであると思い、1日1食で肉食、間食をしないことは守りつつも、夕食は美味しいものを、十分に食べています。
それでも、現代日本の常識からすれば、随分少食で、粗食と見られるものと思いますが、食を謹んでいれば、それで天国の食事と感じるほど美味しく、毎日の食事が楽しみで、その上、理想的な体形と最上の健康を享受しています。
昨夜は、カボチャの煮物、ワカメとキュウリの酢の物、絹ごし豆腐、卵焼き、ブロッコリー、素焼きアーモンド、生クルミを食べ、赤ワインも飲みました。
その前の夜は、珍しく、アジの揚げ物を食べましたが、大変に美味しかったです。
少し前は、食パンに、チーズとレタスとマヨネーズを挟んで食べましたが、はったい粉とナッツを同時に食べましたので1枚で十分でした。
食べた後でも、必ず空腹感が残る程度に食べています。

多く食べる分、運動も少しはしています。
普段は通勤で1日4kmは歩きますし、休日は池の周りを少なくとも10km以上歩きます。
また、今は毎日腕立て伏せを45回やり、休日はこれを3セットで135回やります。1回の腕立て伏せの回数は、少しずつ増やし、今月中には50回を超えるはずです。結構、いい身体になってきましたよ(笑)。

しかし、今でも、極端な少食に耐えることは訳ありません。だから、もし、重病にでもなることがあれば、ほとんど食を断つと思います。
食の慎みのおかげで、性欲のコントロールは完全にできるようになりました。しかし、感情や虚栄心の支配というのはやはり難しいものですね。
今年の8月1日から80日で大祓詞を4432回唱え、自分としてはとても良い唱え方が出来るようになったと思います。今は1日10回唱える時間が実に楽しいものになりました。
きっと、このためと思いますが、心のコントロールも以前と比べ、随分楽になりました。もし、心を高度に制御できれば、世界を自在に支配できると思います。
全ての出発点は、食の慎みにあります。そこで心を狭くしてしまうあやまちを犯さない限り、また、悪く見える状況も起こりますが、必ずや全てうまくいくと思います。
その際、斎藤一人さんのじゅ文「これで良くなる、だから良くなる、さらに良くなる」や、コー・ムーエンさんのSOSのじゅ文「心配しない、恐れない、全てうまくいく」を唱えればきっと効果的と思いますよ。


斎藤一人15分間ハッピーラッキー―人生の成功者になる「ものすごくカンタンな道」
これほど易しい成功法則の本もない。それでいて、斎藤一人さんの「私の教えの全て」であるとの保証付き。
さらに、至高の講演CD「つやこ49」付き。たった1,260円。買わないのは勿体無い。

ポイっぽい仙人の「人生を『やすらぎ』にする知恵」
困ったことに(笑)、上記の斎藤一人さんより易しい成功法則を説く、自称「ポイっぽい仙人」さんの本。
ふざけているようで、実に納得できるものです。でも、面白くて笑ってしまいます。
私の考えでは、仙人さんの「SOSのじゅ文」をマスターすれば(1分で出来ますが)無敵でしょう。

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2009.11.10

月収いくら「以上」まで耐えられるか?

多くの人が、いつまでも(各自お気に入りの)成功法を使って思うような成果を得られないことを残念に思っています。

なぜ、多くの人がそのような状況にあるのかと言いますと、人間には個性やバックグラウンドの違いがあり、それにより、それぞれの人に適切な成功法や、また、その使い方があるのですが、書籍などでは最大公約数的なことが書かれていますので、大切なポイントを見逃してしまうこともあるのかもしれません。
とはいえ、誰でも、ある程度のところまで進歩すれば、人間としての本質に違いがある訳ではなく、正しい成功法は普遍的であるはずで誰にでも使えるものであることから、本来であれば、誰でも自由な人生を送れるはずです。

ところで、成功法の書籍を見ると、膨大な富や名声を得ることが正しい成功であると主張する人がよくいます。
私は、そんなところに、普通の人がいつまでも思い通りにいかない原因を感じることがあります。
例えば、私には数億円なんてものを欲しがる器がありません。
1ヶ月の収入が3百万円となると、もう面倒なのです。
銀行預金もあまり持たないようにしています。
それで、車でも買う機会があれば、力を発揮する良いチャンスなのですが、ベンツを欲しがるということもなく、先日書きました通り、マツダ・デミオを買って満足してしまいます。
多くの成功法の本の著者に言わせれば、スケールの小さな人間なのでしょう。
尊敬する苫米地英人さんによると、スコトーマ(心理的盲点)が沢山あるために、巨大な富を得た自分を実感できないということなのかもしれません。

ただ、それは、あのアルバート・アインシュタインも同じであるかもしれないのです。
彼の時代は、自動車は、今よりはるかに高価なものだったかもしれませんが、彼が勤務していた米国のプリンストン高等研究所では、彼より格下の多くの研究員が車を持っていました。しかし、彼は車を所有しようとしなかったばかりか、バスにすら乗らず、研究所までのかなりの距離を歩いて通勤していました。研究所の人達が車を止めて同乗を薦めても、彼は丁寧に断りました。
アインシュタインはお金に全く執着がなく、請われれば誰にでもお金をあげて奥さんに怒られる始末でした。いつもよれよれの服を着、靴下も履かずに靴を履いていたことは有名です。

ただ、私はアインシュタインと違い天才ではありませんし、また、実際にはアインシュタインはかなりの資産がありましたので、私も多少、お金の面で器を広げようと、少し先にでも、せめて366万円のフォルクスワーゲン・ゴルフGTIを買おうと思いました。このくらいなら、多少興味がわきます。普通はお店に車を見に行くのですが、私の場合は必要ありません。
ぶらりと買い物に行けば、ちゃんと駐車場に新車のゴルフGTIがとまっていました。色も私が良いと思っていたものと同じでした。そのくらいの状況操作まではできるのですが、今乗ってるデミオから乗り換える動機が全く出てきません。
では、もう1つの興味がある車で、268万円のミニ・クーパーを見ようと思っていたら、早速、たまたま車を止めた処の右側に外車のディーラーがあり、ピカピカのミニ・クーパーが一番前に展示されていました。いや、わざわざすいませんと、誰に言うでもなく見ておりましたら、確かに素敵ですが、自分で乗ろうとまでは思いません。

ただ、これらくらいの値段の車であれば、もし欲しいと思えば簡単に買えると思います。
私程度の状況支配でよろしいのでしたら、お役に立てると思います。


マスターの教え
状況操作の神秘から、望むなら無限の富まで。
あらゆる面で最悪な男が、マスターの教えで急激に状況を改善していく。
偶然世に出た、著者不明の霊的な教えの書。

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2009.11.09

科学的にいって、人生は思い通りになる

睡眠中に夢を見ている時、それが夢だと気付いたという経験のある人も多いと思う。
私の場合、寝る前に、夢に気付こうと考えていたら、そうなることが多かったように思う。
しかし、夢と分っているといった場合でも、「どうせ夢だ」と無茶ができるかというと、なかなかそうはいかない。夢とは、どんなに荒唐無稽でも、やはりその場ではリアルなものだ。
また、夢と分っていたところで、その夢は必ずしも自分の思うような展開にならない。ある程度までは思い通りに進むのだが、肝心なところで情景や人や物がぼやけたり歪んだりして、望む通りの結末にならないといったことがよくあった。
それに、夢と気付いた時は、目覚める寸前であるのかもしれない。

ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジといったインドの聖者達は共に、現実と夢に違いはないと言った。
江戸川乱歩も、夢の方が本当で、現実の方がニセモノだとよく言っていたようだ。
認知科学や、量子力学では、解釈の仕方にもよるが、夢と現実に明確な違いはないというのは1つの真実であろうと思う。
では、現実もまた夢のようなものであるなら、それが好ましくないとしても、気楽にやり過ごしたり、動じずにいることはできないものであろうか?
あるいは、もしかしたら夢を自在に好きなようにする方法があるなら、現実もそのようにできないものであろうか?
H.G.ウェルズは「ポーリー氏の物語」で、「現実が気に入らないなら、変えてしまえば良い」と書き、コリン・ウィルソンは、この言葉を大変に気に入っているようだ。

私の考えでは、夢も現実も好きなように変えられる。
台湾出身の米国の作家で世界的実業家でもあるチン・ニンチュウは、まずは夢を自由に操れるようになることを薦めている。それをすることにより、僅か3千万円だった年収を3億円に増やした男の話を紹介している。
それには、意識の変革が必要と言う。この男が比較的早く成功した要因として、この男が量子力学に詳しい科学者であったということが印象的である。
ウェルズもSF作家ではあるが、科学者で通用するほどに科学に精通し、実際に科学関連の書籍も出し、科学者と認められてもいたという。
現実を思うように変えるということは非科学的なことではないのだと思う。


明晰夢
明晰夢(夢の自覚を伴う夢)に関する精神生理学者スティーヴン・ラバージの世界的著書。
明晰夢が潜在意識への扉を開く。


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2009.11.08

世界を支配する力

私が12歳位の時のことですが、見慣れたものでも新鮮な目で見ることの大切さを説く詩を見たことがあります。
いまだ憶えているのですから、よほど印象に残ったのでしょう。

そして、当時の私は、「新鮮な目で見る」という言葉だけで、それが出来、それをすると世界が輝いて見えたことに感動しました。
それはきっと、意識の状態を変えるということなのですが、そのトリガー(引き金)として、その頃の私には「新鮮な目」という言葉だけで十分だったわけです。

新鮮な目とは、偏見のない捉え方をすること、つまり、習慣になった思慮分別のフィルターを通さない認識ということでしょう。
大人になると、それをするのに大変な苦労を要しますし、多くの人にとっては、ほとんど不可能なことなのかもしれません。
25歳のコリン・ウィルソンを一夜にして世界的作家にした「アウトサイダー」から、80歳近くになる今も彼が追及し続けているに違いないことは、結局のところ、この「新鮮な目」で見るための精神状態になる方法ではないかと思うことがあります。

偏見の少ない頃なら簡単にスイッチを入れることのできる新鮮な目の状態。
ただ、かなり若い者ですら、常にその状態でいるわけではなく、特に近年では、子供でもその状態でいられないようにしてしまっています。
しかし、新鮮な目の状態の意識を獲得すれば、世界は意のままであることは割に当たり前のことだと思います。

荘子は、虚心にあるがままを受け入れる者には鬼神も従うと言っています。
しかし、注意しないといけないのは、「虚心に」ということです。普通の人は、あるがまま見ているつもりでも、偏見のフィルターを通して見ているのです。偏見のフィルターとは、親や学校や国家に知らず知らず、あるいは、強制的に叩き込まれた思考パターンです。それを打ち破れば、世界を支配する力を得ます。
それは、ある意味では、イエスの言うように「幼子のごとくなる」ということですが、本当に幼子になれということではありません。
ラマナ・マハルシも、「ある意味で、賢者と子供は似ている」と言いますが、やはり賢者と子供は違います。
子供のように、世間に対して文句を言うだけの者は決して世界を動かしません。
ルドルフ・シュタイナーは、42歳までは職人をやれと言いました。これは、当時としては、職人が一般の人にとって適したものであり、職人は商人の才覚も必要としたからです。
いったん、強い個性を持つ大人になってから、再び新鮮な目でものを見るようになった時、我々は世界を支配する力を得ます。


荘子
竹村健一さんや邱永漢さんが、荘子を絶賛し、荘子の本すら書いていたことがあります。
おそらく、お2人は、孔子より荘子を高く評価していたように感じます。
この社会、および、経済界の大物達は道(タオ)の教えの中に、世俗でも活きる大切なものがあることを説いていたように思います。いえ、世間で生きる者にこそ道が必要なのでしょう。
尚、竹村健一さんは、この岸陽子訳荘子を取り上げておられました。非常に読みやすい訳で、お薦めします。

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2009.11.07

デミオレポート

先月、トヨタ・マークIIから、マツダ・デミオに買い換えて感じたことのレポートです。

マークIIはそこそこに大きなサイズのいわゆる3ナンバーのセダンで、デミオはコンパクトな2BOXカーです。
デミオに買い換えたのは、エコ(エコロジー)に目覚めたということももちろんあるのですが、それよりも、元々がコンパクトな車が好きで、その意味では念願叶ったという感じです。なぜかいつも、回りから、大き目な車を買うよう薦められるのですが、エコの時代になり、それもなくなりました。
小さな車が好きな理由としては、気楽な上、軽快で運転が面白いということがあります。慣性の法則から言っても、軽い方が小さなエネルギーで速度や方向を変えられますので、レスポンス(反応性)が高く、自由に車を操れる感覚が心地よい訳です。
ところが、それと共に、小さな車の取り回しの良さ、つまり、狭い場所でも楽に運転できるという点も期待していたのですが、この点では、車の長さが短いことのメリットは確かに感じるのですが、狭い道が以前よりさして楽でないことに気付きました。軽自動車で感じる圧倒的有利さとは比ぶべきもありません。
なぜそうなのかと考えてみましたら、最近のコンパクトカーは、小さいとは言っても、幅は結構あるのです。デミオの車幅は1695mmですが、あと僅か5mm大きいと、いわゆる3ナンバー車になってしまいます。80年代や90年代最初の頃のマークIIと同じか、それよりも幅が広いのです。これは意外でした。
私は、マークIIの前はトヨタ・コロナに乗っていましたが、コロナからマークIIに乗り換えた時、さほどの大きさの違いは感じませんでした。そして、デミオは、僅かですが、このコロナより幅が広いのです。

Demio
自宅前で。プレートのナンバーは斎藤一人さんのラッキーナンバー49。49は「良く」なるという言葉であると共に深い意味もあるらしい。色は、マツダがアルミニウムメタリックと呼ぶ、通常のシルバーよりやや濃い、グレイに近いもので、最も後に設定された。

デミオのエンジンは1300ccながら、一昔前なら、スポーツカーでもなければ搭載されなかった4バルブDOHCエンジンと、ガソリン供給を電子燃料噴射装置により制御する強力なもので、実際、実によく走ります。
私は、様々な理由からCVT(無段変速機)式のオートマチックではなく、4速オートマチックを選びました。もちろん、特に好みがないならどちらでも良いと思いますが、従来のオートマチックの方がメカニズムがシンプルでメンテナンスに気を使う必要が少ないかもしれません。
エンジン音は、マークIIと比べ、大きいのかもしれませんが、正直、違いが気になりません。乗り心地も別に悪くなったとは思いませんが、ただ、FF(前輪駆動)車特有の、ハンドルを取られる感じは、マークIIが重量のあるFR(後輪駆動)車だっただけに少し違和感があります。しかし、これも慣れると思います。
雨が天井に当たる音がよく聞こえるのは少し驚き、このあたりはマークIIとの違いだなと思いはしましたが、だからどうということもありません。つまり、マークIIからの乗り換えについて、何も文句はないということです。
縦がかなり短くなったので、駐車場では両隣に迷惑をかけません。燃費も格段に良く、環境にも良いはずです。しかし、一番大事なのは、必要もないのに車に乗らないことです。私も、数キロ程度の距離なら歩き、遠い場所へ行くのも電車やバスを利用します。実際は、自分で車を持つよりタクシーを利用した方が経済的なのですが、私は自家用車が必要な切実な理由があり、やむなく所有しています。
デミオと同種の車としては、トヨタではヴィッツ、パッソ。ダイハツのブーンは中味はこのパッソと同じ。ホンダのフィット、三菱のコルト、日産マーチ、スズキのスプラッシュとスイフト。トヨタのラクティも入れて良いと思います。
外車では、イタリア、フィアット社のグランデ・プントはこれらと同サイズのコンパクトカーで、私の好きな車です。
また、欧州フォードの、フィエスタは、デミオによく似ていると思います。

ところで、私が乗っていたマークIIやコロナは現在は廃止されています。マークIIは1968年から2004年まで36年、コロナは1957年から2001年までの、実に44年の歴史がありました。トヨタ車だけでなく、日産サニーも38年、同ブルーバードは42年、生産され続けましたが、やはり廃止。その他の自動車メーカーも含め、実に多くの人々に親しまれた車が姿を消しています。
これらの車は近代の日本人と共にあり、伝統となっていたと言って良いのですが、21世紀に入り、次々に廃止された訳です。

日本人は、元来、伝統を重んじつつも、新しいものとも共生する民族であったのですが、敗戦により、日本の伝統は全て否定され、この共生の知恵も失ったように思われます。
そして、日本独自のスタイルを築いてきた自動車でも、また同じことをやっているわけです。日本人が日本人であることを忘れさせるためのことが、知らないうちに次々に行われているようです。さて、それは何を意味するのでしょうか?


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2009.11.06

健康診断に行きました

昨日は、健康診断に行ってきました。
勤務先の方針で、毎年、この時期に行います。

昨年8月7日から1日1食をずっと続けているのですが、体重の変化は、

2007年11月:91kg
2008年11月:71kg
2009年11月:61kg

です。
昨年から測定項目に加わっている胴囲は、昨年75cmで、今年は70cmでした。
男の場合、胴囲と一般的に言うウエストは大差がありませんが、それでもウエストの方が1~2cmは少ないと思われます。

血液検査の結果のみ、数日かかりますが、その他は完全に良好とのことでした。

驚くべきは視力でした。
2007年には0.1もなかった左目の視力が、昨年は0.9になり眼鏡の必要がなくなりました。
そして、今年は実に1.2でした。これは、眼鏡をかけなくなった効果だと思います。

私は、食事の量は、特に春頃からはかなり増えており、以前は食べなかった魚や卵も時々は食べます。
1年前位は、大変に少食で粗食でしたが、心の豊かさのためには、食の彩りも大切と思い、美味しいものを食べています。
絶対的に守っていることとしては、鳥も含め、一切の肉を食べないことと、お菓子を食べないことです。
昨夜食べたのは、

ジャガイモ(男爵イモ)のコロッケ
豆腐ハンバーグ
ワカメときゅうりの酢の物
卵焼き
ブロッコリー
アーモンド(ロースト)と生クルミ
ご飯(白米半合)
柿半分
ブラックコーヒー

です。
もっと食べることもありますが、食後に空腹感が残らないような食べ方はしません。
それを「腹八分目」と言っても良いのですが、何をもって「八分目」と言うかは曖昧過ぎますので、エマニュエル・スウェーデンボルグが霊に言われた、「満腹するまで食べて自分を甘やかしてはいけない」という意識で食べています。
多少食べても、1日1食であれば体重が増えることもなく、むしろ微減を続けています。
それに、1日1食だと、食事が大変に美味しく、夕食が非常に楽しくなります。これは、飽食な人では、どんな素晴らしい料理を食べても味わえない美味しさであることは間違いありません。私自身が、以前は美食・飽食であり、グルメな社長さんと付き合いもありましたので、素晴らしいフランス料理やイタリア料理、あるいは、日本料理や中華料理のレストランに度々行っておりましたので、間違いありません。
北京のグレイトウォールホテル(長城飯店)の最上階レストランで、珍しい中国の楽器での生演奏を聴きながら食べた中華料理は確かに絶品でしたが、今は家で食べる豆腐やカボチャを煮たものの方がはるかに美味しいです。

食の慎みによって得られるものは、健康やダイエット、あるいは、食事の真の楽しさを味わえるというのはもちろんですが、さらに素晴らしいことがあります。それは、人生を真の意味で愉しく、豊かで充実したものにする力に導くはずです。


霊界日記
スウェーデンの万能の科学者、政治家、神秘思想家であり、カント、ゲーテ、鈴木大拙、ヘレン・ケラーらの深い尊敬を受けるスウェーデンボルグは、ジョセフ・マーフィーらニューソート思想家の源流でもあると思います。
この本の最初の方に、スウェーデンボルグが食に対する貪欲さを克服する、非常に印象的な場面があります。

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2009.11.05

成功法則には2種類ある

優れた成功法則には2種類あると気付く。

1つは、理論が素晴らしいものだ。
成功法則での理論が素晴らしいとは、完璧ではないかもしれないが、この世の真理を言葉で表現することに成功したということだ。
代表的な例は、ディーパック・チョプラと苫米地英人さんだ。
彼らの本を読むと、高度な学問で論理的かつ実践的に訓練されることのメリットを大いに感じるのである。
ニュートンが、フックへの皮肉混じりにだが、自分は巨人達の肩に乗って成果を上げたと言っていたが、まさに、この2人は自らの天才的才能と共に、それまでの世界最高の研究者達の成果を活かして素晴らしい理論を構築していると思える。
しかし、彼らが実践面について書いたものを見ると、正直、幻滅することもあった。
ただ、苫米地さんは、理論と共に実践のエキスパートであるルー・タイスと関わってからは、良くなってきたと思う。もっとも、直接指導する場合は、苫米地さんも元々素晴らしいのかもしれないとは思う。

一方、理論はほとんど無く、「俺の方法で、俺自身も、俺が教えた者達もうまくいったので、ただやれ」といったものもある。時には、根拠として、宗教的教義を持ち出すこともあるが、理屈を重んじる人には受け入れられ難い。
代表的なのは、斎藤一人さんだと思うが、いわゆる、たたき上げの人や、宗教や信仰に基づいてやってきた人達はほとんどこちらと思うし、数の上でも、こちらが圧倒的だ。
ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則にしても、法則と言いながら、その根拠はあくまで聖書である。部分的には、フロイトなども持ち出すが、フロイトの考え方は天才的洞察であるとは言えても、まだまだ未成熟で、実践的と言えるかどうかは疑問である。また、マーフィー法則はフロイト理論を厳密に適応したのではなく、その考え方の一部を引用していると言って良いと思う。
また、近代インドの聖者である、ラマナ・マハルシやニサルダガッタ・マハラジも、広義で成功法則と言うなら、こちらになる。
そもそもが、成功法則というのは、本来、非常に広い範囲を含み、それを統合しなければならないものである。それを、ある程度まででも理論的に説明したチョプラや苫米地さんは凄いと言って良いと思う。

理論があるようで無いのがコリン・ウィルソンだと思う。
彼が天才であることは認めるし、自宅に小屋を沢山建てて保管する数万冊の蔵書を実際に読んでいるという知識も凄いが、彼は中学までしか学校に言っておらず、論理的な学問で磨かれていない。それでも、その類稀な知性と感性で独特の主張があり、それは貴重なものではある。ただ、それを形作った題材は文学であり、天才的文豪達の英知は確かに活かされているが、科学的ではない。世界的心理学者アブラハム・マスローとの親交はあったが、マスローは数理心理学者ではなく、やはり理論にはやや弱いと思う。

理論と実践の両方をかなり追及したのは、中山正和さんと、メキシコのドン・ミゲル・ルイスだ。
だが、簡単に予測されることであるが、彼らの実践方法は難しすぎて、普通の人にはハードルが高い。やったつもりになるだけという場合も多いかもしれない。
道元も、理論と実践に強かったが、結局、彼は、自分の理論は普通の人には難し過ぎると悟ったのか、最後は「ただ座れ」となった。
理論、実践共に、究極的に優れていたのはお釈迦様だ。しかし、彼も実際は易しい教えをしたのだと思う。

私が最もお薦めするのは、チョプラや苫米地さんの理論を学び、実践では、斎藤一人さんやコー・ムーエンの呪文を使うことだ。
チョプラや苫米地さんの理論は、斎藤一人さんや、あるいは、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの教えすら見事に解き明かしてしまう。
中山正和さんや、ジョセフ・マーフィーらの世界的に認められた方法を実践する場合も、それで自信を持って行え、効果も高まるはずだ。


四つの約束
メキシコのナワール(シャーマン)であり、医師でもある、ドン・ミゲル・ルイスの世界的ベストセラー。
思い通りの人生を創造するのに必要な4つのことをわかり易く説いている。

パラダイス・リゲイン―トルテックの知恵の書
「四つの約束」をさらに深く論理的に語ったものと言えると思う。基本的には「四つの約束」だけで良いが、さらに深く納得したい人や、深い真理を知りたい人には有り難いものではないだろうか。


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2009.11.04

良寛さんの悟り

良寛さんはいつ悟りを開いたのか?
以下は、私の想像である。

良寛さんが子供好きだということは聞いたことがあると思う。そして、実際にその通りだったらしい。
子供達を集めて一緒に遊んでいたというお話も本当のことのようだ。

だが、昨日までそこにいた女の子が今日はいなくなっている。
生活の苦しい親が、やむなく身売りさせたのである。
そんなことが度々あった。
良寛さんは、自分に何の力もないことを思い知る。

良寛さんは絶望の中、引きこもり、部屋の中でじっと座っていた。
その時、光明が射したのである。

ポール・マッカートニーも、“Let it be”でそんなことを言っていたと思う。
「困苦に沈んだ自分を見た時、聖母マリアが現れ、貴い言葉を告げてくれた。『あるがままに』と」

良寛さんは、徹底的に自分を顧みたのだ。
マッカートニーも同様だ。
その時、世界が変わったのである。

本当の「チェンジ」なんて、そんなものだ。
自己を反省することなく、ただあるがままに顧みる。それだけのことだ。
すると世界は乱れる。

ある賢者の話だ。
彼は元々は引きこもりで、何もできない男だった。
彼は言った。
「俺はなんて不幸なんだ」
しかし、そこにいた誰かが言ったのだ。
「きみはちっとも不幸じゃない。自分でそう思っているだけだ」
彼は、何かを感じた。
そして、1日なのか数日なのかは分らないが、閉じこもって自分の姿を顧みた。
そして、彼は誰からも尊敬される人物に生まれ変わっていたのだ。

ソクラテスも「汝自身を知れ」と言ったようだ。
思慮分別なく、自己を振り返れという意味と思う。

モハメド・アリに負けた時のジョージ・フォアマンもそうだったと思う。
人は絶望に陥った時に、やっと自分の姿を見ることができる。
その時、一瞬で世界を変えるのである。
彼は、ショックから立ち直り復帰したが、再びアリに挑戦することなく、28歳で引退し、宣教師になる。
10年後に現役復帰し、2度世界王座に挑戦するが敗れる。しかし、45歳で、世界王座復帰を果たした。
彼は、順調にいくはずだったボクサー人生を外れたことで、多くのメッセージを世界に伝えたと思う。


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2009.11.03

全ては幻

どんな成功法則でも成功しない人の特徴は、表情が、特に目ががぼんやりしていることだ。
これは単なる現実逃避型であり、今の自分をきちんと認識する勇気に欠けることを表していると思う。
女優になりたいと思っていても、その姿にいっこうに輝きが出てこない。
お金持ちになると言っても、何のスキルも身に付く気配もない。
ビートルズの歌の「エリナ・リグビー」を思い出す。穴の空いた服で、持っているだけの宝石を身に付け、窓辺に座って毎日王子様を待ち続ける老婆エリナ・リグビー。やがて惨めなまま死んだ・・・

だが私は、おかしなことにリアリストになれと言ってるわけでもないのだ。
ただ、自分の姿をよく見ることは必要なのだ。

例えば、目の前に3千万円以上のアストン・マーチン(英国の高級車)があるとする。
その車に興味があるなら、それはあなたのものだ。論理的に言ってもそうなのである。
あなたが、アストン・マーチンがそこにあると思わない限り、そこにアストン・マーチンは無いのだ。
確かに、アストン・マーチンがそこにある。しかし、それはあなたが幻想化したアストン・マーチンだ。
ならば、それがあなたのものであるというリアルな幻想を作らないといけないのである。
現実なんて、リアルな幻想なのだ。

あなたは、自分の「現実」をしっかり認識すべきだ。
年収1億円を望んでいても、今2百万円なら2百万円という現実をしっかり見つめないといけない。年収ゼロなら年収ゼロが現実だ。
大したこともない会社の中ですら軽んじられ、後輩にも馬鹿にされているなら、その事実に目をそむけてはならない。
そこから逃げてはならない。
しっかりと認識するのだ。しかし、認識して反省しろなんて言っていない。
認識した時、それは幻想になっているのだ。なぜなら、それはあなたの認識に過ぎないからだ。
認識というのは、神経と量子(のような存在)の作用で発生する幻想である。
幻想化してしまったら、それは振動している。揺らいでいる。
もっと強いイメージを作ってしまうのだ。すると、現実は一瞬で変わる。


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2009.11.02

「黙ってやれ」は時代錯誤の場合もある

ライトノベルという言い方をされることが多いが、2008年にすでにシリーズ600万部を発行し、現在も新巻出版および増刷が進んでいるはずの、高橋弥七郎さんの小説「灼眼のシャナ」に、こんな場面がある。

「どうもこの者は、頭で納得しなければできないようだ。黙って言われた通りにやるのが訓練というものなのだがな」

言っているのは、異界の魔神アラストールで、異能の超人である少女シャナに向かって、やや愚痴っぽく言っているのだろう。
そして、「この者」とは、平凡な高校1年生の坂井悠二だ。
坂井悠二は、シャナに闘い方の訓練を依頼するが、説明もなく指示される訓練に乗り気でない。
「ちゃんと説明してよ」と言った時、アラストールが言ったのが上の言葉だ。

しかし、これはアラストールが間違っていると思う。
現代の日本の高校1年生に、言われた通り従えというのは時代遅れと言うものだろう。
アラストールは、シャナの訓練に関わったであろうが、シャナはごく幼い時に訓練を始めたのだし、黙って従うしかない環境にあった。12歳近くになるまで、アラストールを含め、3人の存在しか知らなかったのだ。

インドの聖者、ラマナ・マハルシや、ニサルダガッタ・マハラジは解脱をするための有効な方法を確かに教えている。
しかし、「油断なく自分に気付いていなさい」と言い、いかにそれが優れた指示であっても、なぜそうしなければならないかを納得できるようには説明しなかった。ただ、その点に関しては、彼らも言葉で説明するのは難しかったのかもしれない。

道元禅師は、只管打坐(しかんたざ)、つまり、ただ坐れと言った。
彼自身は、理論に関しても、「正法眼蔵」という最高の書を書き、この世の真理や悟りの意味も高度に理解していたに違いないが、最終的には「ただ坐れ」となったのだ。特に、当時の時代としては、「説明するだけ無駄」という思いもあったのだと思う。
しかし、発明家の中山正和さんは、釈迦や道元の教えを、可能な限り、理屈で説明し、納得できるよう努力する。
そして、HBC(ヒューマン・ブレイン・コンピュータ)モデル、即ち、人間の脳をシミュレートするコンピュータモデルを考案し、それは完全ではないかもしれないが、仏教の説く人間や宇宙の実相を、いくらかでも解明した。
そのおかげで、世界中の一流企業をはじめ、多くの人がスムーズに仏教の教えに基づく訓練で素晴らしい能力を引き出し、世界を進歩させたのだ。
いかに良いものでも、IBMの技術者に座禅させたり、お経を読ませる訳にはなかなかいかないはずだ。
また、かなり以前から次々出てくる怪しげな能力開発手法を、ただ黙ってやって金だけ無駄にし、あげく悪影響を受けるといった愚を避けなければならないという現代的な事情もある。

しかし、中山正和さんが亡くなられてから、彼の本の重要なもので出版されなくなったものもある。これは日本の、あるいは、人類の損失である。


NM法のすべて 増補版―アイデア生成の理論と実践的方法
NM法とは「中山、正和法」のことで、本書はテキスト形式で学べるものである。企業向け、あるいは、アイディアを出す能力を得たい技術者、研究者に特に良いが、経営者、ビジネスマンにももちろん有益だ。ある意味、ややお堅いと思う。

洞察力―本質を見抜く眼力の秘密
こちらは、ある程度気楽に読めるものであるが、内容は深い。

悟りの構造―正法眼蔵の解明
日本古典史上でも最難関の1つと言われる道元の正法眼蔵を現代の科学で、出来る範囲で解き明かしたもの。
そんなに難しい訳ではないので、是非読んで欲しい。

天才脳の構造・釈迦の悟り
仏教の代表的経典の法華経を題材に、悟りの状態にある釈迦の脳の働きを考察する。
中山正和さんのHBC(ヒューマン・ブレイン・コンピュータ)モデルが図で分かりやすく説明されている。

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2009.11.01

至高体験(太洋感情)はこうやって起こす

心理学者のアブラハム・マスローは、「偉大な人間とそうでない人間の違いは、至高体験を持つかどうか」だと言ったことがある。
後にマスローは、至高体験は、本当はありふれたものと言ったが、やはり頻繁に起こるかどうかが大切と思う。

至高体験と同じものは、芸術では太洋感情と言われ、フランスのノーベル賞作家ロマン・ロランが概念を示したのだと思うが、およそ世界的文豪の作品には必ず現れる精神状態である。
夏目漱石の天賓や岡本太郎の爆発も同じであると思う。
「20世紀最大の詩人」と言われるアイルランドのW.B.イェイツは、単にエクスタシと言い、芸術の目的はエクスタシであると言った。
至高体験、太洋感情とは、まさに、究極のエクスタシであり、世界と一体になったような没我の状態である。
エクスタシ(忘我)とはイグジスタンス(存在)から来ている。
自我を消し去った状態、それが存在の本質である。その時、我々は神と一体化する。

マスローは、至高体験とは、単に自分を幸運と思うことだと言う。
これは偉大な発見だ。
幸運、つまり、ツイてるということだ。
斎藤一人さんが、ツイてると言葉で言えば幸運がなだれ込んで来ると言ったのは、それが至高体験を起こすからだ。
政木和三さんはよく言ってたものだ。「私ほど幸福な人間はいない」と。この幸福は幸運と言って良い。
「斎藤一人の絶対成功する千回の法則」や「太陽の神人 黒住宗忠」という本には、末期癌で内臓がほとんどない患者が、「俺はツイてる」と言い続けて元気になった話や、江戸時代にライ病(ハンセン氏病)にかかって死を待つばかりの者が「有り難い」と唱え続けて完治した話が出てくるが、これらも、潜在意識から自分が幸運であることを確定すれば、至高体験により奇跡も起こることを示すのだと思う。
そして、現在が幸福であれば、いかなる過去も幸福であるし、さらに、未来も幸福である。

至高体験を起こすには、マスローは、自分の幸運だった経験を話し合えば良いと言い、コリン・ウィルソンは、緊張と弛緩を繰り返せば良いと言う。
しかし、何のことはない。上にも書いた通り、「俺はツイてる」と言葉でいつも言えば良いのである。斎藤一人さんによると千回。

ただ、理屈っぽい方は、理論を知った方が良い。中山正和さんもそう言っている。黒住宗忠や、極端に言えば、斎藤一人さんの子供の頃とは時代が違うのだ。
これに関しては、できるだけ早く書きたい。


普及版 斎藤一人の絶対成功する千回の法則
成功するには、ただ言葉を口に出すだけ。数多い斎藤一人さんの著書の中でも特にロングセラーを続ける好評の書。

太陽の神人 黒住宗忠
神道家、山田雅晴さんによる、読みやすい黒住宗忠の実践的評伝。精神世界の知識豊富な山田さんの解説はとても興味深い。

至高体験
マスローと親交のあった、著名な英国の作家コリン・ウィルソンの書。
恐るべき重要な書だが、なぜか絶版。古書で入手可能。
私は理解するのに10年以上かかった。

超越意識の探求―自己実現のための意識獲得法
そして、75歳のコリン・ウィルソンは、ここに到達した。
実践よりは、理論として果てしなく興味深い。


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