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2009.10.18

聖者の秘密

悟り、あるいは、解脱とはどのようなものか想像もできないが、それを成し遂げた聖者は、何をするわけでもないのに、世界中から大勢の人たちを呼び寄せる。それは、聖者の死後も長く、あるいは、永遠に続く。

聖者は何もしないと書いたが、稀に、訪れた人に、いくらかの教えを授けることもあるかたもしれない。しかし、熱弁を振るって講義する聖者は本物ではない。
イエスや釈迦だって、庶民に対して、たとえ話で易しく語ったのであり、教えを授けるというほど物々しくはなかったと思う。彼らの言葉を記した聖典が難しいのは、学者達や宗教の権威者達のせいと思う。
大きな社会活動を行う聖者もいるのかもしれないが、私は、むしろ社会的に大きなことをしない聖者の方が、より偉大なことを行っているのではないかと思うようになった。
誰かが、ラマナ・マハルシに「あなたはなぜ講演をしないのか?」と尋ねた時、マハルシは「それが行われている間だけ楽しませてくれる講義と、長く続く平安を与える沈黙のどちらが優れているか」と答えた。

ところで、私が純粋な解脱者と考える二人・・・ラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジが、なぜ悟りに達したかを長く考えていたが、ひょっとしたら、ある脳機能の異変や障害があったのではと考えている。これは、決して悪い意味ではない。天才というのは、概ね、精神や脳の障害がきっかけとなっているものである。
例えば、7歳にして、訓練したわけでもないのに、天才的なデッサン能力を発揮する子供がいたが、その子供も、脳の一部に発達障害があった。脳は、欠陥を補完するために、別の能力を発達させるのである。それが極端に顕れたのが天才である。
そして、この天才的なデッサンを描いた子供は、成長と共に脳の欠陥が治ると、その能力も消えた。
驚くべき計算能力を発揮する子供は時々いるが、やはりそれは大人になるまでには消えるのも同じ理屈であろう。幼いうちは、脳はアンバランスに発達することもあるのである。
アインシュタインの才能も、彼の幼い頃の言語障害により発達したものであると考えられることもあるのだ。
アレキサンダーやナポレオンの無限とも思える熱意も、やはり、ともすれば、脳に原因する精神疾患の影響であるかもしれない。

ニサルガダッタ・マハラジは、この世に現実性を感じないと言っていたし、また、自分を空の上から見ているように感じると言ったこともある。ラマナ・マハルシも、「現実と夢に何らの違いもない」と言った。
江戸川乱歩は常に、「現実が夢で、夜見る夢こそが本当」と言っており、色紙にも好んでそう書いていたようである。よほどお気に入りの概念、あるいは実感であったのだろう。
そして、こういった、世界に現実性を感じなかったり、自分を離れたもののように感じるというのは、割に最近の神経医学が発見した脳の疾患の症状と合致する。つまり、知覚神経と脳の情感を結びつける部分との連結が弱いので、見たり聞いたりしたことをリアルに感じることができないのである。
興味深い症例としては、自分の母親や妻などを偽物と感じるという人がいる。母親などの姿を見たり、声を聞いても情感を感じないので、そのように思うのである。
著名な精神分析学者の岸田秀氏は、子供の頃、クラスメイトの女の子を見て、彼女達は本当は男なんじゃないかとよく思ったらしいが、これも、女の子達の姿や声に異性としての情感を感じないためかもしれないと思う。

確かに、これらは、脳の障害かもしれず、これらの症状を持つ者は病人、あるいは異常者扱いされ、医師は治療しようとするかもしれない。
しかし、ニサルガダッタ・マハラジや、ラマナ・マハルシは、そのような余計なことをされずに済んだのである。
マハラジは、村での農作業は嫌になって町に出るも、事務職も勤まらず、商売をやっても下手だった。
仕事に意欲を感じない人というのは、やはり世界に現実味を感じておらず、働く意義や喜びを見出せないのではないだろうか?
一方、マハルシは、ある時期までは、頭脳明晰でスポーツに励む快活な少年であったが、ある日突然に、自分の肉体への現実味を失う。そして、不意に、アルナチャラという場所に意味不明の憧れを抱いてそこに向かい、そこに到着するも、食べるものを求めることもなく衰弱していった。幸い、親切な人に食べ物を与えられたが、その後も現実的な生活をすることはなかった。

しかし、彼らは、通常は脳、あるいは、精神の疾患とされるかもしれないことがあったことで、確かに何かを得たのだ。
そのヒントは、マハラジが一貫して主張した、悟りのためのある方法に見られるように思う。
それは、「常に、存在の感覚にしがみつけ」だ。
そう言われても、我々には、どうやれば良いのかまるで分らない。マハラジも、普通の人にはそれが難しいことに気付いたのか、「私は在る」という言葉をマントラのように使えと言ったかもしれない記述が、彼との対話集にもある。

聖者達は、現実感覚を持たないこと、つまり、感覚と情緒の結びつきが弱いことで、通常の人間には達し得ない精神世界の深みにまで達することができた。なぜなら、現実世界の邪魔が普通の人よりはるかに少ないからだ。
尚、こういったことは、単にものごとに無執着と言われる人にも見られる。
政木和三さんは、「欲望を捨てれば思いのままになる」と言ったし、実際、彼はそれを実証した。
しかし、本当は現実をリアルに感じないからこそ、欲望や執着を持たなかったのかもしれない。

では、精神の深みに達すると何が起こるのだろう。
それは、抽象的な表現にならざるをえないのであるが、現実世界の原因となる情報世界の住人になるということである。
南方熊楠が南方マンダラで顕したこの世の真の姿を実際に感じることになるのだ。

自分自身が視覚や聴覚を持たないヘレン・ケラーが、感覚は幻想と言ったのは、なんとも驚愕すべきことだ。
彼女は、観念だけが真実と言った。彼女は、聖者と同じ情報世界に馴染んでいたのである。

心とは、精神とは、意思とは何か?
いまだ、科学者の中にも、これらが、脳の電気的、化学的作用であるとする者もいる。
英国の天才的数学者・物理学者で、相対性理論の権威であるロジャー・ペンローズは、相対性理論と量子論を融合させたツイスター理論(仮説)により、意識は脳内の量子的作用であると説明したが、その理論の正確性はともかくとして、やはり、精神は量子論的なものである。
量子的と言うより量子論的なのだ。
普通の人にとって量子力学が難しいのは、ニュートンの機械的宇宙論により、科学的思考には、対象となる「もの」が必要と考えているからだ。
量子力学は、「もの」を扱うのは二義的で、本当は情報を扱っているのである。普通の人は情報を扱う意味があまり分らないのだ。
だが、聖者達は、当たり前のように情報世界を感じるのである。

そして、情報世界の中に世界の原因があるからこそ、それを感じ、ことによっては支配してしまう聖者は驚異的なのだ。
その、ほんの一端から導かれたのが、ジョセフ・マーフィーなどの潜在意識の法則で、最近人気のある引き寄せの法則なども基本的に同じものと思う。だが、ほとんどの人が、これで首尾よく成果を得ないのは、現実世界への執着が強いからだ。つまり、どうしても情報世界に馴染めないのである。
脳機能学者であり、計算機科学者という、まさに脳と情報の専門家で、しかも天才である苫米地英人さんはそれに気付き、本当に教える気があるのかどうかは不明だが、情報世界操作の方法を本に書いたりしている。個人的には、悪意かどうかは知らないが、あまり彼が本気でそんなことを教えようとしているとは思えない。私自身、理由は少し複雑だが、一般人に教えない方が良いと思っているくらいだ。

だが、あえてそのやり方を言うなら、ニサルガダッタ・マハラジの言った通りである。
即ち、「存在の感覚にしがみつけ」だ。
実を言うと、私もまた、この意味を教えようかどうかは迷うところだ。
ただ、この言葉を聞いて、それを行える人であれば、世界は意のままになるであろう。
マハラジもなのだが、世界で誰も、その意味を本当に教えていないのは、やはり情報世界の関与があるのだと思う。
私の場合、毎月千回以上、大祓詞を上げることで自然に理解した。同じことをやれば、誰でも分るだろう。
我国の神道とは何とも偉大なものである。


アイ・アム・ザット
ニサルガダッタ・マハラジとの貴重な対話集。
ほとんど教育を受けたこともなく、ただの貧しい老人であるマハラジが、実は驚異的な存在であることは、この本にある、世界中の様々な立場の人々の様々な質問に対する彼の返答に確と表れていると感じる。
しかも、1970年代でありながら、コンピュータやネットワークに関するマハラジの引用が実際的なことに、IT技術者である私も驚いたものである。

あるがままに
最も純粋な覚者と言われるラマナ・マハルシとの対話集。
極めて貴重な小冊子である「私は誰か?」が巻末に新訳で収録されている。マハルシ自身も、それが自分の教えを理解するに十分なものであると言う。繰り返し味わうことをお薦めする。
その他の問答の中にも、必ずや現在の自分に響くところがあるはずである。


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Comments

うーむ、今日の記事は深いですねぇ。

私も現実世界より情報世界の方に親しみを感じるタイプです。
苫米地さんの本は何冊か読みましたが、内部情報の書き替えって
言うのは簡単ですけど凡猫の自分には難しすぎるので、
本に付いてた聴くだけで変性意識になるという
苫米地さんの特殊音源CDを毎日聴いてます。
効果のほどは不明。笑

こちらでよく紹介されている
ラマナ・マハルシの『あるがままに』
読んでみたいと思います。

いつも興味深い情報をありがとうございます。

Posted by: 白猫庵 | 2009.10.18 09:30 AM

こんにちは。でるおです。
最近の日記は特にすばらしいですね。
もうkayさんも解脱されたのではと
思っています。

マハルシ
「現実と夢に何らの違いもない」
江戸川乱歩
「現実が夢で、夜見る夢こそが本当」

本当いい言葉ですね。

人から多くの尊敬を受けたり、
年に億を稼ぐような成功者ってみんな
そういう思考ではと思っていますが、
いかがなものでしょうか?

Posted by: でるお | 2009.10.18 03:28 PM

こんにちは。
自然界が放つ音やメッセージを聴き取れたらどんなに素晴らしいかと思います。聖者さまって海や空と対話出来そうです。今日は新月ですね(●^o^●)なので種蒔きをしようと思います。深いお話をありがとうございます。

Posted by: 祈り | 2009.10.18 03:33 PM

★白猫庵さん
苫米地さんの「タイスカード」を以前、常に携帯して見ていました。
マハルシの本はお薦めいたします。

★でるおさん
大物は、全ては夢とみなして動じない・・・といった雰囲気は確かにありますね。
それに、ものごとに執着しないのでしょうね。

★祈りさん
あなたはいつも、自分のための自分の話ばかりですね。
私のブログになんかコメントせずに、自分でブログを書けばいかがですか?

Posted by: Kay | 2009.10.18 11:23 PM

「自分のための自分の話」で申し訳ありません。

私がコメントさせて頂くのは、
甲田光雄先生や水野南北さん、ブレサリアンや聖者と言われる方にとっても会いたくて、kayさまのblogを見付けた時に、とても近い感じがして、嬉しくて、お話したかったからです。
私は大変ふつつか者ですが宜しくお願い致します 。

Posted by: 祈り | 2009.10.19 01:49 AM

この一か月ほど毎日拝見しています。
毎日メッセージをありがとうございます。

聖者が情報世界を感じる、というのは新鮮でした。

>情報世界の中に世界の原因があるからこそ、それを感じ、
ことによっては支配してしまう聖者は驚異的なのだ。

Kayさんも聖者ですか?

私はいつも全てが他人ごとのようだと、幼いころから叱られました。
あまり現実感がなく、これはスピ系の人が言う「いまここ」と
かけ離れている感覚なのではないかと心配しています。

「執着がない」ということと「生きていくことにさほど興味がない」
ということは同じことですか?
死ぬことにもさほど執着がないので生きてますが、もし、きっかけさえあれば、
もしかしたら死ぬことを選択するのかもしれないという気がします。

これからも勉強させていただきますので
よろしくお願いします。

Posted by: しゅう | 2009.10.19 07:05 PM

★しゅうさん
コメントをありがとうございます。
言うまでもなく、私は聖者では全くありません。
あなたがどう現実感がないのか分からないので、なんとも言えません。
いずれにしても、人は自分の足で立って、自分の力で生きていくしかありません。
また、人生から逃避した聖者もいないと思います。
特に、聖者ではない我々は、人として立派に生きられない限り、他に何もないと思います。

Posted by: Kay | 2009.10.19 11:20 PM

自分でも自分の気持ちが上手く言葉にできず、
こんな拙文では論理的なKayさんにスルーされてしまうかも
しれないと思いながら、でも書かずにはいられませんでした。

kayさんは独自性があって、しかもご自分でもひきこもりなどを
克服していらしたのですね。
そういう論理のみでなく実践していらした方だから
つい頼ってしまったのかもしれません。

誠意のあるご回答を本当にありがとうございました。


>また、人生から逃避した聖者もいないと思います。
>特に、聖者ではない我々は、人として立派に生きられない限り、他に何もないと思います。


確かに私は「逃避」です。
9月に大学を辞めました。
もう21歳なので、これから何ができるのか考えたいと思います。

ありがとうございました。

Posted by: しゅう | 2009.10.20 12:41 PM

★しゅうさん

>9月に大学を辞めました。

をを!私と同じコースですね。
21歳と若いところが良いです。
正直言いまして、何の心配もないと思います。
私は大学を辞めたことに何の後悔もないですし、何の損もしていません。むしろ大正解だったと思います。別に続けるなら続けるでも良かったと思いますけどね。
ちなみに、私の専門のITの世界では、大物は押しなべて大学中退です。
親がうるさいのには、ちょっと困りましたけどね。

しゅうさんのコメントに何となく親近感は感じていたのですよ。
なるべく早く、世間の言うことに惑わされず、人生は思い通りになるということを知って欲しいと思います。それを知らずに30を超えた人がうようよいますが、ちょっと悲惨です。別にいくつからでもどうにでもなるのですけど、思い込みを破るのが難しくなるのですよ。

Posted by: Kay | 2009.10.20 01:31 PM

お忙しいのに、本当にありがとうございました。

ずっと引きこもり気味で、不安定でした。
救われた気がします。
ありがとうございました。

親は多浪の多い(3浪・4浪、社会人も多い)国立の医学部を目指せ、
と言いますが実際無理だと思うし、医者という仕事にもあまり興味を持てません。
私の出身校は進学校で、私のいた大学は相手にされていませんでした。
不況で、履歴書に中退と書くのも気がひけます。
同級生は就活で、疎外感もあります。

くじけそうになったら、Kayさんのコメントを読ませていただいて励みにしたいです。


>世間の言うことに惑わされず、人生は思い通りになるということを知って欲しいと思います。

>正直言いまして、何の心配もないと思います。
私は大学を辞めたことに何の後悔もないですし、何の損もしていません。むしろ大正解だったと思います。


Kayさんを目指して、努力していきたいと思います。
(とりあえず、過去ログから読ませていただきます)

これからも、よろしくお願いします。

Posted by: しゅう | 2009.10.20 05:02 PM

★しゅうさん
私のような大人になるなよと言いたいのはやまやまですが・・・(笑)。
いつでもコメント下さい。必ずしも返事するとは限りませんが(をい)。

Posted by: Kay | 2009.10.21 06:40 AM

kayさまへ

私は社会人として
本当にバカ
です…。

でもがんばろうと思うので、。(>_<)゜。

たまにコメントお邪魔させてください。


Posted by: 祈り | 2009.10.26 07:30 PM

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