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2009.09.16

全てへの愛、全てへの無関心

私が、幼稚園児だった時の話だ。
ある晴れた日のお昼に、幼稚園の庭に仰向けで寝転がっていた。
暖かく、すがすがしい気分だったのを憶えている。
すると、飛行機が、飛行機雲を引きながら空を横切るのが見えた。
その飛行機が、実際には大きなもので、大勢の乗客が乗っていることが当時の私にも理解できた。
その時、ふと、あの飛行機に、どんな人達が乗っているのだろうかと思った。
そして、当時の私にも可能な推論として、その乗客達(パイロット等も含め)のほとんどとは一生逢えないに違いないと思った。

私は、不思議な感情に襲われた。

大人になってから、ユング派の日系の精神分析医であるジーン・シノダ・ボーレンの「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」という本を読んだが、その本の中に、「スタートレック(日本では、宇宙大作戦)」という、米国の人気SFテレビドラマのことが書かれていた。
物質的な身体を持たない宇宙人が、宇宙船を操作する必要上から、ミスター・スポックの身体に入った時だ。その宇宙人は思わず言う。「なんて寂しいんだ!」

あの幼い日の私の不思議な感情も、それであったのだと思う。
同じ世界に存在していながら、決して逢うことなくお互い生涯を終えるのである。
それとも、死後の世界で全てが明らかになり、「あの時の飛行機に私は乗っていました」とか言われて、この寂しさを解消させてくれるのだろうか?

インドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジは、自分を地平線の彼方にいるように感じると言った。その位、自分の身体や心に現実性がなく、無執着で無関心なのだ。これは完全な聖者の特質であろう。
聖者と子供は似ていると言われる。
しかし、あの日の私は、高い空にある人たちを自分と同じように親しく感じたのだ。
だが、マハラジはこうも言った。
「全てを愛するか、さもなくば、全てに無関心でいなくてはならない」

あの日、飛行機の中にいたのは私であった。
そのくらい、彼らは私には親密であった。
しかし、彼らがただの他人であるのと同じく、私は私にとって他人なのだ。

マザー・テレサは、全ての人を自分のように愛した。
なぜそのようなことになったのだろう?
彼女は、全ての人の中にキリストを見ていたのだ。そして、それ以前に、自分の中にキリストが在ることを感じていたのだ。
リチャード・バックの「かもめのジョナサン」でも、ジョナサンは悟っていた。
全てのかもめ達の中に、輝く何かがあることを。

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Comments

そうですよね。どんなにキライな人でもその人の背後におられる神さまを愛していられますように

Posted by: 祈り | 2009.09.16 at 05:23 PM

★祈りさん
いえ、だから、キライなら、背後の神様なんて言っても仕方ないのですよ。

Posted by: Kay | 2009.09.16 at 09:48 PM

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