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2009.09.04

世界を消し去る

社会(会社、学校、地域等)が嫌なものであったり、人生が辛く苦しいなら、これらは夢であるとして、全て壊してしまえたらと思わないだろうか?
ところが、世界中の主要な宗教や信仰、あるいは、権威ある神秘思想の大半は、これを否定するものではないのである。
この世は夢であり、ただの幻想なのだ。
そして、それはスピリチュアル世界での話だけではない。
精神分析学、神経科学、量子物理学においても、この世が実体のあるものであると考えることがむしろ非現実であるかもしれないと考えるようになってきている。
さて、ではどうすれば、この世界を夜見る夢のように消し去ることができるのだろう?
それを言葉で言うなら、確実なことを簡単に言える。出来れば、信じて欲しい。
欲望を捨てることだ。
世界や身体は心が創造するのである。欲望のない心は静かで、静かな心からは世界や身体は現れてこないのだ。

だが、欲望を捨てるのは至難の業である。
あるインドの聖者は、「身体と心の影響を受けないようにして、死人のように生きろ」と言った。
これは、至道無難禅師が「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言い、岡田虎二郎が、「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈(約3万km)に埋了したる心ありて」のように言ったことと同じと思う。
しかし、私には無理だった。
とはいえ、欲望を捨てることが必要であるという前提そのものに同意できないなら、世界を消すという目的の達成は不可能である。

全ての欲望を一気に全部捨てるのは難しい。
私はまず、好きな食べ物を諦めた。
大好きであった、焼肉、ステーキ、すき焼き、カレーライス、スパゲッティ、オムライス、ラーメン、そして、チョコレート、ケーキ、シュークリーム、プリン、アイスクリームをはじめ、一切のお菓子を全て諦め、絶対に食べなくなった。それは全く失敗しなかった。ただ、今でもまだ、食べたいという気持ち自体は全く変わっていない。しかし、欲望に負けて食べてしまうという心配も全くない。目の前に美味しそうなシュークリームを出され、「食べろ」と言われ、いくら激しく食べたくても絶対食べない自信がある。
さらに、朝食、昼食も諦め、1日1食とし、粗食を心がけ、量も腹5分目に制限できている。
不思議なことに、食の慎みに関しては、私は努力を必要としなかった。おそらく、世界が嫌なものであるので、早く死にたいと願っていたからではないかと思う。つまり、食の慎みが十分にできないと言うなら、あなたにとって世界はそんなに悪くはなく、別に世界を消すことなんて考えなくて良い。もっと世界にうんざりしてから出直して欲しい。

次は、ナポレオン・ヒルが最大の欲望という性欲である。ナポレオン・ヒルは、性エネルギーを創造エネルギーや活動エネルギーに変換する方法をいろいろ述べたと思うが、何の役にも立たないロクでもないものだったと思う。
私は、先月、神道の代表的な祝詞である大祓詞を1ヶ月千回を目標に上げ始めたところ、比較的早く性欲をほとんど滅することができた。最終的に先月はそれを1527回上げたが、それで性欲を完全に征服できた。相変わらず美しい女は好きであるが、完全に好みのタイプの美少女が誘惑してきても、全く苦しくないとは言わないが、絶対に大丈夫だという自信がある。

だが、まだまだ征服のきっかけが掴めないのが、他人の愚かさへの嫌悪である。
愚かな人間、下らない人間を見たくないという欲望は、私にとって強烈なものだ。
なぜなら、それら愚かな人間は自分の反映、あるいは鏡であるからだ。自分の愚かさを見るのはひどく辛いことである。
愚かな人間が私を苦しめる世界は、まだ現実である。
内海康満さんが著書に書かれていたが、ヤクザに出会った時、「またヤクザを作ってしまった」と思ったそうだ。
私が最も嫌いな部類の人間は、歩きながら煙草を吸ったり、人ごみで平気で携帯電話を見ながら歩く者である。丹波哲郎さんは昔、「車からゴミを捨てる者は殺人者と全く同じ。自分さえ良ければ良いという意味で何ら変わらない」と言ったが、煙草を吸いながら歩く人間もまた、殺人者と同じであろう。私もまた、そんな連中を作り続けているのである。

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Comments

親としての見解。
我が子に早く死にたいとか言われてしまうと…

『こんな子、産むんじゃなかった。』と絶対に親として思うと悲しみの淵に突き落とされた絶望感を感じます。

死にたいと思うなら人力を必要としている発展途上国や病気で苦しむ人々のケアに命をくれてやるべきです。
稀なケースでない限り我が子に幸せな人生をと祈り10ヶ月を過ごし産んだと思います。
あなたの死にたい気持ちは世の中何処かで生きたいと思う人も居るのですよ。

現実には時間がくれば子供はお腹を空かしお風呂にいれ学校に通わせ年齢に応じ様々な悩みを親に問いかけます。
子供と言う生命があり成長する生き物を育ててると世の中はリアルすぎるほどリアルです。

自分の時間を容赦なく提供しなければならない家族は本当の修行の場です。

職場は契約と割り切る事が出来るから職場の人間関係の苦労は、きっと大家族で育つ人には難なく心を乱される事はないでしょう。

私が伝えたいのは死にたいなら、志なかばや子供を残して死にゆく人々に命をあげてください。


Posted by: カナリア | 2009.09.05 at 09:28 PM

★カナリアさん
個人の見解に過ぎないことを、親の見解、民族の見解、正義の見解等、余計な意味付けをすることから不幸が起こります。

Posted by: Kay | 2009.09.06 at 07:05 AM

Kayさん、深いです。コメントを反芻して反芻して考えました。
正直、親の気持ちを踏みにじられた感がありムカッとしましたが、これこそが私の弱点、これこそが私の課題だと気がつきました。
目の前の出来事、目の前の人物、耳にする音、声に眉一つ動かさない心を訓練しなければならないと。
死んだように生きるの端っこに触れた気がしました。

心に波が立たないように鍛錬したいと思います。

Posted by: カナリア | 2009.09.06 at 12:22 PM

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