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2009.09.19

心を静めれば無敵である

失業してやることがなく、銀行や空港では不当な扱い(本人がそう思っているだけかもしれませんが)を受けて憤慨している男に、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが言いました。
「静かでありさえすれば、すべて自然にうまく収まる。仕事も、意欲も能力もやってくるのだ。静かでありさえすれば良い」

ジョセフ・マーフィーの著書「眠りながら巨富を得る」にも、1章を割き、心が静かであることの大切さが強調されています。

上のマハラジも深い敬意を表す、南インドの聖者ラマナ・マハルシは「あらゆる聖典は、つまるところ、心を静かにせよと書かれている。いったん、このことが了解されるなら、際限なく本を読む必要はない」と言います。

聖書にも「心を静め、自分が神であると知りなさい」と書かれています。

つまり、あらゆる聖典、賢者が共通して保証することは、心が静かでさえあれば、人は幸福でいられるということです。
仏教の最も純粋な教えと言われる「法句教」は、心を静めることの貴さを、表現を変えながら、繰り返し繰り返し語っています。

しかし、どうやったら心を静かにすることができるかが、人間にとって途方もなく難しいのです。
心を乱す要因は無限にあります。美味しいものを食べれば、再びそれを食べたいと心が捕えられて自由を失い、さらに、もっと美味しいものを食べたいという渇望が起こります。
男が美しい娘を見ると、それを得たいと思って心が騒ぎ、休まることがありません。
つまり、欲望が心をかき乱し、その制御は容易なことではなく、逆に完全に欲望に支配されてしまうことになりかねません。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と問い続けよと教え、ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと言います。
しかし、そう言われても、我々凡人には難しいのです。
具体的な方法は各自の気質によって異なるのかもしれません。
けれども、最終目的が心の静寂であることを理解し、納得しさえすれば、その道は見出せると思います。
そして、心を静める道に挑むことは、長い旅かもしれませんが、決して退屈ではなく、わくわくする冒険でもあります。その終局は、多くの人には想像もつかない至福であるとしても、その過程ですら、あらゆる良きことに恵まれるのですから。

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Comments

Kayさん、ご無沙汰しております。心を乱されることが最近おきておりまして、なかなか静かにならないです。自分の心は一番身近なのにコントロールができないなんて、自分自身とは近くて遠い存在なのかと思ってしまいます。そもそも静かな状態とはどういうものなのか、心を乱されないようにしながら発見したいです。

Posted by: mamemoyashi | 2009.09.21 at 09:18 PM

★mamemoyashiさん
ご無沙汰です。
そうですね、静かな状態をあれこれ想像しても仕方ありませんし、するべきでもないと思います。
静かになるためにすべきことをただやるべきと思います。

Posted by: Kay | 2009.09.21 at 11:22 PM

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