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2009.09.30

腕立て伏せはトレーニングの王様だ

最も良い運動は、日常、なるべく車を使わずによく歩くことと思いますが、それと、男性にとって最上の運動は腕立て伏せであると私は思います。
特別な理由がない限り、スポーツ・ジムに通ったり、器具を使ってトレーニングする必要は全くないと私は思っています。

スポーツ選手でも、大相撲の千代の富士が、30歳を過ぎてもあんなに強かったのは、外れやすかった肩を強化するためにさかんに腕立て伏せをやった効果が大きかったと思います。
また、ボクシングのマイク・タイソンも器具を使ったトレーニングより腕立て伏せを熱心にやったようです。
プロレスラーは特に腕立て伏せをよく行い、特に、超一流選手では、器具を使ったトレーニングに否定的で、腕立て伏せなど、自重を使ったトレーニングの心棒者が多いとよく言われます。
身体能力抜群と言うよりは超人的だった、初代タイガーマスクのトレーニング風景は、まさにそのようなものだったようです。

今は若い男性でも腕立て伏せを10回も出来ないという情けない人が多いようですが、そんな人でも、毎日やっていると、それをやっている時、身体がものすごく軽く感じることで、みるみる腕が強くなるのが分かって楽しいと思います。
回数が増えてくると、自信もつきます。
ただ、腕立て伏せは肘を痛めることもあり、昔はプロ野球の投手にはやらせなかったという話もあります。だから、やる前に十分に準備運動をすることと、体重の重い人は膝を付いた形でやっても良いと思います。

ところで、腕立て伏せは、少なくとも、50回くらいまでは、回数を増やしていくべきと思います。
10回しかできなかったのが20回できるようになったといっても、ずっと20回でやっていると、20回がやっとのままで、しかも、やがて飽きてきます。
私は、20回が割に楽になったら、23回にし、数日後には26回、そして30回、33回・・・と回数を増やしました。それで、飽きることなく、毎日続けられます。1日1回でも強くなりますが、休日は2~4回やると良いと思います。年齢の高い方は、もっとスローペースで良いと思いますが、人間の身体というものは、一般に言われているよりはずっと若く、武道家の時津健児さんは、鍛えれば80歳までは強くなれると言います。
スポーツ運動理論では、回数の多い筋肉トレーニングの効果に否定的な面もあると思いますが、数百回以上を行うプロレスラーや空手家は、実用的で強力な腕力を持っていることがはっきりしていると思います。
また、回数を多くやれる負荷だからこそ、身体を痛めないとも言えます。

腕立て伏せというものを誰が考えたのかは知りませんが、これこそキング・オブ・トレーニングと思います。しかも、お金は全くかからず、必要な場所もわずかで、音もたてず、何も必要とせず、何も壊さず消耗もしません。
超スリムなマイケル・ジャクソンも腕立て伏せをよくしたようですが、彼は、マッチョとは異なる形の、究極の肉体美を持っていたと思います。

今回は、関連して、史上最高のプロレスラー、ルー・テーズの自伝を紹介します。
私は、テーズが熱心に腕立て伏せをする映像を見たことがあります。


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2009.09.29

あしたがすき

以前、喫茶店にいると、有線ラジオ放送からだと思うが、店内に流れてきた曲に思わず聴き入った。
可憐で美しい声と抜群の上手さに驚く。さらに、歌声は高音になっても、クリアに響き渡る。
若い女性のようだが、誰が歌っているのか分らない。
どこかで聴いたような気もする歌だが、全く思い出せない。
アイドルのような声にも聴こえるが、とにかく上手過ぎる。
大変な歌手がいるのではないかと思った。

やはり以前、この喫茶店に流れていた男性の歌を聴いた時、誰が歌っている何の歌かは分らなかったが、これは絶対に知っている歌だと確信したことがあった。その歌は、石井竜也さんが歌う「君をつれて」で、宮崎駿監督のアニメ映画「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」の詩と編曲を変えたものだった。「君をのせて」は井上あずみさんという女性が歌っていたこともあり、なかなか気付かなかったというわけだ。

しかし、この女性の歌は、それほど身近な親しみのあるものとも思えなかった。かなり昔に聴いた歌かもしれない。
出だしはこうだ。

明日はどこから生まれてくるの?
私は、明日が、明日が好き

歌が上手いだけではない。詩も気になった。
「明日が好き」と言える人は実に幸福であるのだ。なぜなら、その人は楽天主義者であるからだ。
ヘレン・ケラーは言っている。
「明日は今日より美しい。明後日は明日よりさらに美しい。楽天主義者はそう信じている」
確かに、爽やかな美しい歌詞である。

有線放送なら、やはりポップミュージックだろうか。
これだけ若い声で、抜群に上手い歌手・・・。

ところが、歌の終りの部分にやや違和感があった。

キラキラ光る、風の向こうで
あの人が、私を、私を呼んでいる
キャンディ、キャンディ、キャンディ、キャンディ

キャンディと聴こえるが、聞き違いとも思えた。
キャンディって、お菓子のことじゃないのか?
そういえば、お菓子のCMの曲には、ロッテの「小さな瞳」のような何十年も使われる名曲もある。
ひょっとしたら、CMソングかもしれないと思った。

しかし、その時、私の脳裏に、宮崎駿監督のアニメ映画「火垂るの墓」が浮かんだ。
「火垂るの墓」はあまり熱心に見なかったが、これの関係の歌ではないはずだ。そもそも、爽やか過ぎる歌で、あの悲惨な映画とはイメージが合わない。
「火垂るの墓」のあの不幸な幼い女の子が、缶入りのドロップを持っていたことを思い出す。
ドロップとは、口の中で溶かしながら食べる固い飴のことである。「火垂るの墓」のものは、佐久間製菓のサクマ式ドロップスであるらしい。

なぜ「火垂るの墓」を思い出したのだろうか?
そして、次に思い出したのが、アニメ「美少女戦士セーラームーンS(スーパー)」の1シーンだ。
ドジな悪者であるミメットという名の若い女の子が漫画を読んでいる。その漫画のタイトルは「ドロップドロップ」とある。ドロップというのは、主人公の少女の名であるようだ。
私は、「ドロップドロップ」は、いがらしゆみこさんの伝説的な漫画・アニメである「キャンディキャンディ」のパロディであることを思い出した。
そうだ。ドロップというのは、ハードキャンディのことで、キャンディと同じと言っても差し支えない。
つまり、あの歌のキャンディは、「キャンディキャンディ」の主人公の少女のことに違いない。
そして、あの歌は、確かに、「キャンディキャンディ」のエンディング曲の「あしたがすき」であることが確認できた。
歌っていたのは、堀江美都子さんで、彼女は「アニソンの女王」とも言われるほど、数多くのアニメソングを歌っている。
彼女は若い頃は外見も非常に可愛いかったので、当時はアイドル扱いされることも多かったようだ。そして、何と言っても、美しく、癒されるに違いない声質の歌は抜群で、熱狂的ファンも多い。

「あしたがすき」は、アニメ「キャンディキャンディ」の主題歌である「キャンディキャンディ」のレコードのB面(裏面)で、当時、堀江美都子さんは19歳位。このレコードは、なんとミリオンヒットなのだと分かった。
彼女は、12歳の時には、「紅三四郎」や「ハクション大魔王」などの人気アニメの歌を歌うプロの歌手だった。天才と言って差し支えないかもしれない。
私が彼女の歌で特に好きなのは、「キャシャーン」(1993年タツノコプロ)のテーマ曲「IN MY HEART~夢のままで~」だ。堀江美都子さんは35歳位になっているが、声の美しさは変わらず、さらに上手くなっている。
Amazonで視聴できるので、良かったら聴いて欲しい(下に紹介する)。

このようにして疑問が解決したのであるが、人間の脳は、イメージで類推しながら考えるものであるようで、面白いものだと思った。

1970年頃の英国のSFテレビドラマ「UFO」(邦題は「謎の円盤UFO」)で、地球防衛組織の司令官ストレイカーが、やはり、このような類推で、地球侵略を企てる宇宙人の作戦を打ち破ったことがある。制作者は、「サンダーバード」のジェリー・アンダーソン。私はDVDを全巻持っているが、非常に思想的で面白いドラマであった。


ミッチー100%~あしたがすき
堀江美都子さんの、デビュー30周年記念の3枚組のCD-BOX全75曲です。もちろん、「あしたがすき」も入っています。
紹介するからには、私ももちろん持っています(笑)。

新造人間キャシャーン全曲集
1973年のテレビアニメ「新造人間キャシャーン」と、1993年のOVAアニメ「キャシャーン」の曲が入ったCDです。
全曲、視聴可能ですので、17曲目の「IN MY HEART~夢のままで~」の、堀江美都子さんの感動的な美しい歌声を良かったらお聞きください。
尚、OVA「キャシャーン」は、全4話の至高の名作アニメです。
もちろん、私はCDを持っています。

謎の円盤UFO DVD BOX-1
日本でも大ヒットし、今だ熱狂的ファンの多い英国テレビドラマ「謎の円盤UFO」のDVD-BOX第1巻です。
原題は「UFO」。1970年頃に制作された、1980年が舞台の宇宙人との戦いを描いたものです。「サンダーバード」「キャプテンスカーレット」で有名なジェリー・アンダーソンが、初めて人間の俳優を使って制作したもので、特撮やメカはもちろんですが、ストーリーも実に深くて面白いものです。
主役のストレイカー最高司令官がシブくてカッコいいです。
日本人男性にも大変に人気のあったエリス中尉はとても可憐で、日本語吹き替えの声は、実に「キャンディキャディ」のキャンディ役を演じた声優の松島みのりさんでした。
尚、ストレイカー役のエド・ビショップと、フォスター役のマイケル・ビリントンは、共に2005年に病気で亡くなっています。

謎の円盤UFO DVD BOX-2
「謎の円盤UFO」の後半です。
ストーリー的に、前半より、アメリカ向けにやや派手になり、思索的なところは減ったかもしれませんが、やはり面白いです。


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2009.09.28

49は楽天主義者の魔法の数字

49は、日本一のお金持ち商人、斎藤一人さんが大事にしている数字のようだ。

普通、49は忌み嫌われる数字かもしれない。
仏教の四十九日法要は別に悪いことではないが、やはり死のイメージがある。
また、49は四苦八苦や「欲」を連想させる。

しかし、49を「良く」と読むことができる。
斎藤一人さんも、この意味で捉えているのだが、49(良く)は41(良い)と比べて異なるものだと思う。
「良い」は、現在の状態だが、「良く」は、「良くなる」と続くように、未来、あるいは、現在進行中のことと考えられる。
これは非常に重要なことである。
斎藤さんは、こんな魔法の言葉を作っている。
「これで良くなる。だから良くなる。さらに良くなる」

私は、斎藤一人さんの49の話を、彫刻家の石彫人さんのブログ「開き直りのススメ」で知ってから、立て続けに、2つの世界最重要の49を引き寄せた。

1つは、自己暗示療法で世界的に著名な心理学者エミール・クーエ(本職は薬剤師)である。
クーエの自己暗示の言葉、
「毎日、あらゆる面で、私はますます良くなっていく」
という言葉は、世界的に知られている。就寝前と就寝後に20回ずつ唱えることで、全てが良くなる。
健康、能力、心・・・全てである。どんなことを良くしようなどと考える必要はない。「あらゆる面」と指定しておけば、潜在意識は文字通り、全て良くするのである。

もう1つは、ヘレン・ケラーである。
彼女は、未来への希望に関して、斎藤一人さんや、エミール・クーエに優るとも劣らない素晴らしい言葉を残している。
「明日は今日より美しい。明後日は明日よりさらに美しい。楽天主義者はそのように信じている。」

ヘレン・ケラーの考え方を借りると、斎藤一人さんもエミール・クーエも偉大な楽天主義者であると思う。

ただ、私は、エミール・クーエの言葉は、以下のように修正して使っている。
「毎日、全て良くなっていく」
クーエは、個々の問題を考えず、「あらゆる面」とすることが、潜在意識への指示として適切と言う。
しかし、クーエは、潜在意識の力の適用範囲は、あくまで個人の心身の範囲と限定した。
それに関しては、何の文句もない。それで大きな実績を上げているのである。
しかし、潜在意識が空間、あるいは、時間に関して普遍的なものであると考えるなら、「私」という制限は不要になる。
道教、ユングの集合無意識、ジョセフ・マーフィーの潜在意識などでは、そのような考え方をしていると思う。

また、斎藤一人さんやヘレン・ケラーの「49」も、個人に限定した考え方とは私には思えないのである。

これらのような理由で、49は楽天主義者の数字であると私は思う。
私もまた、49という数字を大事にしようと思う。


斎藤一人15分間ハッピーラッキー―人生の成功者になる「ものすごくカンタンな道」
舛岡 はなえ著


15分で読める、非常に易しい本ながら、斎藤一人さんが「私の教えの全て」と保証する本。
斎藤さんの伝説の講演「つやこ49」のCD付。
尚、これほど派手な装丁の本を私は知らない・・・

暗示で心と体を癒しなさい
エミール・クーエ著


暗示療法で、数多くの、医者も見離した難病を楽々完治させ、報酬の一切を受け取らなかったエミール・クーエが、その方法を惜しみなく全て公開した至宝とも言える書。
それは非常に簡単なもので誰にでもすぐに出来、病気以外にもあらゆる問題に有効である。
クーエの名著が、分り易い新訳になって登場。

楽天主義
ヘレン・ケラー著


ヘレンがラドクリフ大学(ハーバード大学女子部)の学生だった23歳の時に書いた感動的な書。
3重苦を背負った、絶望的ともいえるはずの状況のヘレンが、未来への希望を全く疑わない楽天主義者である理由をヘレン自身が力強く語る。
我々の悩みも全て霧散するであろうと思う。


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2009.09.27

プラーナで生きる

この2ヶ月ほど、身体が非常に厳しい状態でした。
シンドイ、空腹感が強い、めまいがする、歩くとふらつく。
1日1食の菜食・少食生活が1年数ヶ月になる中、健康状態は絶頂であるはずがなぜだろうと思いましたが、一時的なものであろうと放っておきました。しかし、改善がありません。
一度の食事である夕食の際、肉類は食べないまでも、魚や卵を食べてみたり、少々多くも食べてみましたが、状態は変わりません。

全く食事をせずに生きられるという山田鷹夫さんの「不食実践ノート」という本を見ると、山田さんにもそんなことがあったことが分ります。ただ、山田さんは、後に解決を見たためか、その原因には触れていなかったように思います。
山田さんは「不食」という本で、食べることも眠ることもなく生きる聖女テレーゼ・ノイマンのことを取り上げていますが、テレーゼがなぜそのようなことが可能かについては、本人が秘密を明かしていないとだけ書いていたように思います。
しかし、山田さんも引用されていた、インドの聖者パラマハンサ・ヨガナンダの自伝である「あるヨギの自叙伝」で、ヨガナンダは、テレーゼに、「あなたはプラーナを吸収して栄養にしている」と言い、テレーゼもそれを肯定していたと思います。

プラーナとは、科学的な説明は難しいですが、簡単に言うと、あらゆる場所に存在する未知のエネルギーで、中国や日本でいう「気」と同じものと言って良いと思います。
「スターウォーズ」で、ルークがヨーダに「フォースはどこにあるのですか?」と問うと、ヨーダは「どこにでもある」と答えますが、フォースも同じものを指しているかもしれません。
また、「荘子」でも、「道(タオ)はどこにあるか」という質問に、やはり、どんなものの中にもあると答えられています。

これらのことを思い出し、私は、どうやら、プラーナ、あるいは、気の不足と思い当たりました。
では、これらを補充しなければなりません。
気やプラーナの吸収については、ヨガや気功の世界で、いろいろな手法が語られています。
しかし、私が思うには、そのほとんどが問題があります。
必死で、気やプラーナを取り込もうとする人達が沢山います。広大な自然の中の気を取り入れるというのはまだ良いとしても、他人の気を取るなどといったとんでもないものもあります。この逆の立場で、気功師と呼ばれる人達が、病人など、気が衰えた人に自分の気を送るというのもありますが、これもどこか納得できません。
だいたい、気やプラーナはどこにでもあるのです。空気を必死で取り込んだり、大海の中で水を必死に取り込もうとしても意味はないのではないでしょうか?

気に関して、私が知る限り、まともなことを言っているのは、合氣道家の藤平光一さんだけでした。
藤平さんは、合気道の開祖であり、伝説的な武道家である植芝盛平さんの弟子だった人です。
藤平さんは、「氣は出せば勝手に入ってくる」と言います。
尚、藤平さんは、氣を表すのに「気」の文字は間違いで「氣」が正しいと言います。

さて、では、どうすれば氣が出るのでしょうか?
ちょっと思い出し話をします。
藤子不二雄さんの「パーマン」という漫画がありますが、パーマンは、パーマンマントを装着することで、時速91キロで空を飛べます。ある時、パーマンのマントを奪った男が飛ぼうとしますが、さっぱり飛べません。男がパーマンに「どうやったら飛べるんだ?」と聞くと、パーマンは「飛びたいなあと思えばいいのさ」と言います。
藤平さんも同じようなことを言います。「氣が出ていると思えば出る」

ただ、初心者の場合は、空気中にプラーナ、あるいは、氣があり、深く呼吸をしながらそれを吸収していると思っても良いと思います。
そういった呼吸方法を、ヨガではクンバハカと言い、気功にも様々な呼吸法がありますが、「ローム太霊講和集」(霞ヶ関書房)に、非常に効果的な呼吸法が書かれています。
深く息を吸って息を止め、毛穴から息が出て行くようにします。
実際には、毛穴から息が出ることはありませんので、そうイメージせよということでしょう。これは、午前中に行うよう指示されています。ただ、出来るまでに3年かかるそうですが。
ヨガからヒントを得て開発されたという、超スピード学習法であるスーパーラーニングでは、理由は分らないながら、吸った息をいったん止めることの効果を実証しているようです。
多くの能力開発メソッドでも、吸った後、少し止めることを取り入れています。
W.E.バトラーの魔法の訓練でも「4の呼吸」と言い、4つ数えながら息を吸い、2つ数える間止め、4つ数えながら吐くといったものがあります。ただ、息を止める際、気管を塞ぐのではなく、肋骨の位置を止めることで行うことが大切と書かれています。また、初心者は長時間行ってはいけないと注意されています。

プラーナ、あるいは、氣を活用する能力が高いと、大変な少食であっても、痩せないばかりか、太る場合もあるようです。
岡田虎二郎や、黒住宗忠らは百キロを超える巨漢でした。
また、プラーナや氣を自在に支配できると、様々な不思議を起こすことも可能と思われます。

で、私は、氣を出すことで、たちまち体調が回復し、気分も明るくなりました。
ただ「氣が出ている」と思う、あるいは、感じるだけです。

藤平さんの素晴らしい本は、文庫化され、安価になっていますので、是非読まれると良いと思います。
引きこもりなど、人間関係で苦しむのは氣が出ていないからだと思います。氣を出せれば、それらは改善すると私には思われます。


氣の威力
1990年に書かれたやや古い本ですので、現役時代の王貞治さんや千代の富士さんを、藤平さんが指導した話もあります。
王さんがホームラン700本を達成する前に氣が出なくなってしまった時の藤平さんのアドバイスなどは興味深く思います。
江川卓さんに指導したことは、プロ・アマを問わず、野球選手の特に投手の方の参考になると思います。
現役力士を投げまくり、大勢の柔道家を相手にちぎっては投げといった痛快なお話や、その他の衝撃的なお話も確かに面白いですが、それらはあくまで氣を誰でも出せるようにするための方便として紹介されており、決してパフォーマンスを売る本ではありません。真面目に取り組めば確実な効果を得られる実践の書と思います。
藤平さんの本は数多く出ていますが、本書は、藤平さんの教えの原点と言える書と思います。

氣の呼吸法
上記の本から15年後、藤平光一さん88歳の書です。この40年前に欧米で出版され、いまだ版を重ねる“KI IN DAILY LIFE”を基にしたということです。
生命力を高め、心も静める氣の呼吸法が、易しく書かれています。


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2009.09.26

仕事をせずに給料を貰うことの正当性

官僚の天下り廃止の必要性が話題になるが、何がいけないかというと、「仕事をしないで給料をもらう」ことであろう。

しかし、企業においては、仕事をせずに給料をもらっている人は、いろんな意味で必要である。もし、そんな人を全部なくしたら、小さな会社の場合はさておき、その会社は衰退する可能性が高い。
ただ、無能者や異端者には、デイリーな仕事はさせない方が良い。仕事をさせれば何が起こり、どんな損害が出るか分かったものではない。
ところが、無能者を排除すれば、有能な者が無能化する。不思議に思われるかもしれないが本当だ。
面白いことに、蟻や蜂の世界も同じであるらしい。「2-8の法則」とか「パレートの法則」といって、働き蟻や働き蜂といっても、2割くらいはほとんど働かないらしい。しかし、この働かないグループを排除すると、それまで働いていたグループから怠け者が出て、やはり2割は働かなくなるそうだ。
私は、ある優れた経営者に直接聞いたが、会社にいる働かない社員は、分かっていても放置すると言う。ただ、放置はしても、仕事はさせないと言う。彼が言うには、仕事をさせなくても、1人年間1千万円で済む。しかし、仕事をさせれば、億単位の損害が出るかもしれないので、決して仕事をさせないよう気を付けているらしい。

また、平常の仕事には向かない者の中には、いざという時に非常に役に立つ者がいる。役に立つどころか、いざという時に、その者がいないと大変なことにもなりかねない。いわゆる食客のようなものである。しかし、食客になるには、かなりの経験や勉強が必要だ。

つまり、勉強家で経験も豊富な者は、普段は食客として、働かずに給料を貰って良い場合もある。いざという時がなくてすら、そんな者は目に見えない形で組織に貢献しているものなのだ。その貢献はどんなものかは、平凡な者には分からない。表面的でない人の価値を見抜くのもリーダーの役割であり、そんなリーダーであってこそ組織は発展する。

天下りのようなものも、必要な場合というのは確かにあるのだと思うが、税金が絡むのであるから、厳しい慎みが必要にもなるのである。

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2009.09.25

楽天主義の力

引きこもりだから働けないなんてことは絶対にない。
人は誰でも、大人になれば働き、自分で食う、つまり、自分の足で立つことが絶対に必要だ。
自らも引きこもり気質だと言う思想家、詩人の吉本隆明(よしもとたかあき、もしくは、よしもとりゅうめい)氏は、引きこもり気質の人間は、人と接触せずにやれる仕事を探す必要があるかもしれないとは言うが、やはり働くことが大前提であろう。
人と接触せずにできる仕事があるのかどうかなどは、誰かが解決してくれるわけがなく、人と接触するのが嫌なら、自分で解決するしかない。また、そんな仕事に就けるようになるまでは、ある程度の人との接触は必要であるが、それはさほど困難なことではない。

ヘレン・ケラーのことはご存知と思う。
2歳の時、病気により、視力と聴力を失い、結果として、話すこともできなくなった。
7歳まで、言葉というものを知らずに過ごした。
そのヘレンが、仕事についてこう語っている。
「確かに、私にできる仕事は制限されるだろう。しかし、それでも、やれることはいくらでもある」
彼女は、その言葉通り、誰かに面倒を見てもらおうなどといった考えはこれっぽっちも持たず、果敢に挑戦を続けた。現在のように、障害者保護の制度が不十分ながらも存在する時代ではない。また、彼女はFBIからもマークされるほどの反社会的活動も行っている。
私個人としては、マッチ売りの少女のことを思えば、多少の苦労など何でもないが、やはり、強い引きこもり気質ではあっても、ヘレンのことを思えば、いかに苦しくても、ニートになるわけにはいかないと思う。

ヘレン・ケラーが、ラドクリフ大学(ハーバード大学女子部)時代の23歳の時に書いた本を紹介する。
ヘレンは一般の学生の中に入り、この名門大学を主席で卒業した。
精神の力を信じると言ったヘレンの前向きで徹底した楽天主義が力強く描かれている。
また、ヘレンは非常に美しい人であった。容姿だけでなく、オリソン・マーデン(サクセス・マガジン創刊者)を驚かせた輝くような美しさは、その強力な楽天主義のためであると思う。
楽天主義が、80歳を過ぎた女性を25歳以下にした見えないほどに輝かせる例は、ラルフ・ウォルドー・トラインの本にもあるが、私には、ヘレンの本の方が直接によく分かるように思った。


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2009.09.24

難事は良い事

超念力というものをご存知だろうか?
1993年に亡くなられた、石井普雄(いしいかたお)さんという、元々は住宅の営業職だった男性が、ある日、不意に奇跡の力を授かり、その力でかなりの規模の様々な救済活動を行った。
彼のその力が超念力で、下に説明するように、8次元パワーとも呼ばれるようになった。

彼の書いた「最後の超念力」という本を見て驚いたものだ。
本を身体の痛い場所に当てれば痛みは消える。もし消えなければ、電話をしてくれれば(電話番号を明記)責任を持って治す・・・と書かれていた(現在の版の場合は違うと思うが)。
また、本をバッグに入れておけば、それだけで幸福になるとも書かれていたと思う。

これだけであれば、なかなか信じるわけにもいかないのだが、私も何度かお会いしたことがあり、多くの著名な方々にも圧倒的な信頼があり、発明家としての実績も凄い政木和三さんが、石井さんに初めて会った時、石井さんに「あなたの力は7次元のものだ」と言ったそうだ。石井さんは、その後、パワーアップし、自分の力が8次元のものであると確信し、ずっと8次元パワーと言い続けた。

石井さんの話の真偽は置いておくが、私は、彼が残した言葉を非常に気に入っている。
それは「難事は良い事」だ。
石井さんは講演の時、脚が痛いという人を前に閃きがあり、「脚が痛いのは良い事」と言い、会場の人達にもそう言わせると、人々の意識に変革が起こったと言う。

「虚心に全てを受け入れよ」とは、荘子をはじめ、賢者達が言った言葉だが、どうやればそれが可能かは分からない。
しかし、「悪い事は良い事」と、言葉で言えば、その道が見えてくる。
「難事は良い事」というのは、理屈で考えると矛盾であるが、無心に唱えると、その正しさは自ずと解るのではあるまいか?
そして、「悪い事が良い事」なら、「良い事は良い事」であり、「ありふれた事も良い事」だ。
つまり、どんなことでも良い事なのであり、全てを受け入れることができるはずだ。
古代からの賢者達の究極の教えもまた、「全て善し」であると私は思う。

今もロングセラーを続ける石井普雄さんの本を紹介する。


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2009.09.23

お金を持たずに、人にも楽々おごる男たち

人間、食べないと生きていけません(異論はありますが)。
食べるには、お金がないといけません(異論はありますが)。
では、お金がなければどうすれば良いでしょう。
ジャン・バルジャンのように盗みをしますか?
彼は1本のパン(フランスなので、パンは長い)を盗み、それが原因となり19年も監獄に入ることになりました。まあ、人生、悪い時はそんなものです。

しかし、お金を持たずに、自分ばかりか、人にもおごって飲食した2人の、面白い話をしましょう。
うち1人は、本物の一文無しです。

絶望的に売れない画家がいました。才能はあるのですが・・・
彼は、明らかに人生の落伍者でした。
その画家と、レストランで会ってしまった男がいました。男は困りました。2人分の食事代なんか持ってないからでした。男もまた貧乏人でした。
しかし、画家はその男に、自分が君の分もおごると言います。しかし、金はないと言います。
画家は、男から小切手を借り、ボーイを呼ぶと、小切手にサインをしてそれを渡し、すぐにボーイを下がらせました。
男はあっけにとられました。
この画家に、収入のあてなどあるはずがないことは、この街では誰もが知っていましたから。
しかし、彼は小切手での支払いを拒まれませんでした。
確かに、画家の様子はいつもと違っていました。身なりの貧しさは全く変わっていないのですが、どこか雰囲気が違っていたように感じられました。

もう1つの話です。
事業に失敗し、健康も失った男が、不思議な紳士に会います。
紳士は、男を近くにあったクラブに連れて行きました。
そして、帰り際、紳士は出された請求書に、イニシアルだけをサインしました。
しかし、紳士は、この店に来るのは初めてだと言います。

はじめの話の画家はその後成功し、後の話の、事業に失敗し、病気になった男もまた、健康を回復し事業で成功を収めます。
いずれも、あっという間に。

はじめの話は、1899年に書かれ、百年以上の歴史を誇る、アメリカの月刊誌「サクセス・マガジン」に掲載されました。
その画家を変えた原因を明かす本編は数百年前に書かれ、読みさえすれば、この画家のようにたちどころにあらゆる幸運に恵まれるとあります。
後の話のことが書いてある本は、日本一のお金持ちの商人、斎藤一人さんの本にも、あきらかに引用されていました(斎藤一人さん自体は、書中ではそれを明かしていませんでしたが)。

面白いことに、この2冊の本は、上記のように共通するお話が書かれていますが、出版社の異なる全く別のものです。
しかし、不思議なことに、サイズと厚みがほとんど同じで、値段にいたっては全く同じです。
もう1つ同じことは、いずれも本編部分に関しては著者不明ということです。
薄くて文字も大きいのですぐに読めるでしょう。
以下に、はじめの話(左側)と、後の話(右側)が書かれた本を紹介しておきます。


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2009.09.22

好きでも嫌いでもない

これまで、学校や会社で色々な人を観察したところによると、多くは無意識的にだが、人は他人に対し、「好きか、嫌いか」の判断をしているようだ。
そして、自分が嫌われることをひどく恐れるようだ。
だが、他人が自分を好きか嫌いかといったことは、本当のところはなかなか分からない。
その中で、
「自分は嫌われているのではないだろうか?」
「私は嫌われているに違いない」
と思っている人も非常に多い。

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で、主人公の14歳の碇シンジが心の中で言う。
「どうせ、みんな僕が嫌いなんだ」
すると、同じ14歳のハーフの美少女アスカの声が答える。
「アンタが勝手にそう思ってるだけでしょ!」

このアニメの主要な登場人物達は、自分に価値がなく、愛されていないと思う気持ちが強い。
「誰も私を見てくれない。私はいらない人間なんだ」(アスカ)
「私が死んだって、代わりはいるもの」(レイ)
「自分が愛されるなんて、信じられなかったんだ」(碇ゲンドウ)
「だけど、僕は僕が好きじゃない」(碇シンジ)

引きこもりとか、心に傷とか病がある人というのは、大抵そんなものだ。

ところで、私に関して言うなら、私に嫌われていると思っている人が多いようだ。
攻撃的に「俺が嫌いなのか?」「あたしがそんなに嫌い?」と訴えてくる人もよくいた。
多くの人は、ポーズとして「私はあなたが好きだ」というフリをする。その見返りとして「私を嫌わないで」あるいは「私を好きになって」と訴えているのだろう。
しかし、私はそのようなことを全くしないので、私に嫌われていると思うのだろう。

しかし、本当のことを言わせてもらえば、こうだ。
「好きじゃない。でも嫌いでもない」
正直に言って、あまり関心がないのだ。
ところが、大抵の人は、このように言われることをひどく嫌う。おかしなものだ。
だが、もう1つ言うなら、自分に関しても同じなのだ。
「自分を好きじゃない。でも嫌いでもない」
自分にもあまり関心がないのだ。
ほとんどの人は、自分への無上の愛情を持つものだ。自分が幸福であることを望み、悲惨であることを嫌がる。
自己の本質が幸福(加えて存在と意識)であることを悟った時、自分や特定の他人への好き、嫌いは意味を持たなくなる。

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2009.09.21

誰もが知っている幸運の秘訣

必ず幸運を掴める、非常にシンプルな方法が昔から知られている。

◆早起き
必ず午前4時起きする失業者というのはイメージしにくい。
社長が午前7時半前に出社する会社の倒産例は無いとも聞く。

◆少食・粗食
江戸時代の偉大な観相家、水野南北は、「食が全て」と断言し、食を慎みさえすれば十分であるとした。

◆何かの行
何でもいいから、毎日、必ず行う行を定める。
これについては、毎日必ず、自分が決めた行をすることの威力が、有名な新渡戸稲造の「武士道」にもある。新渡戸自身は行水としたが、風邪で高熱のある日まで敢行し、医者に怒られたらしい。
日産自動車の伝説のセールスマン、奥城良治さんは、毎日1時間の競歩を、台風の日でも、その他、いかなる悪条件でも必ず行った。

ところで・・・
では、上記3つを全部やればどうだろう。
午前5時起き、1日1食の菜食で間食一切無し、大祓詞を1ヶ月千回以上唱える。
まあ、私のことだが(笑)。
実は、他にもいろいろとやっている。

そういえば、確かに幸運である。
しかし、人に薦めるとしたら、どれか1つにこだわり、後は、そこそこにやれば良いと思う。
それで経済的、家庭的、社会的に恵まれないはずがないが、人間、宿命的なトラブルというものはある。それはきっと、その人にとって必要なものなのだろう。
水野南北だって、女難ではあった。しかし、孔子やソクラテスですら、ただ1人の悪妻に苦しんだのに、南北は8人の悪妻を全て正妻としながら、立派に生きたのである。

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2009.09.20

クーエの最も易しい潜在意識の活用法

最近、このブログでよく話題にするジョセフ・マーフィーの成功法則は、簡単に言えば、潜在意識に願望を送り込めば、それが強制的に実現されるというものである。
潜在意識とは、自覚している普通の意識である顕在意識と異なり、自覚はできないが、その大きさや秘めた力は顕在意識とは比較にならないほど大きい。
マーフィーの成功法則での潜在意識は、フロイト精神分析学での「心の中の意識でない領域」を指すが、これを意味する“subconscious”は、「無意識」と訳されるのが一般的と思う。
潜在意識(無意識)の構造に関しては、フロイトが基礎的な理論を構築したが、これは、まだまだ未知の部分が大きいと言うべきだろうし、正確な理論付けは今後もおそらく難しいと思う。しかし、フロイト以降の精神分析学や心理学においても、フロイト理論は重要視されており、自己実現理論で有名なアメリカの心理学者アブラハム・マズローも、「自分の研究は、フロイトの深い部分を探求したもの」と、著書「完全なる人間」に書いている。

ほとんどの人にとって、潜在意識については、実用的な使い方が分れば良く、理論はあまり興味がないとは思うが、そもそも、その理論を本当に知っている者などいないというのが本当のところだ。
ジョセフ・マーフィーは、18世紀の神学思想家のフィニアス・クインビーが行った無意識(潜在意識)へ呼びかける方法で、悪性の腫瘍を治したことから、潜在意識の力の研究に向かったといわれている。

ところで、潜在意識について、その活用方法を、最も分りやすく確立し、実績も上げたのは、間違いなく、フランスのエミール・クーエだと私は思うし、多くの精神医学者や、精神的指導者達もそう考えているはずだ。
クーエは医者ではなく、薬剤師であったが、薬の効き目というものが、明らかに患者の精神状態の影響を強く受けることに気付き、心理学の研究をし、やがて、偉大な暗示療法を完成した。
クーエはクリニックを開き、数多くの難病患者を奇跡のように回復させた。医者に見離されてクーエのところに来た患者達が短期間に完治することも多かった。そして、クーエはこれらの献身的な治療の報酬を一切受け取らなかった。

さらにクーエの偉大な点は、彼の方法(クーエ・メソッド)を分りやすい形に完成し、そして、あっさりと公開したことだ。それは、あまりに簡単なので、誰でもすぐに使えるし、クーエ自身もそれを保証している。
本当に、あまりに簡単なのだ。
その方法は、後で紹介する彼の著作で誰でもすぐに学べ、実践できる。

ジョセフ・マーフィーも、おそらくはクーエ・メソッドを知っており、それを彼の成功法則に取り入れていると思う。それは、マーフィーの本を読めば明らかと思うし、もちろん、マーフィーも隠しているわけではないと思う。
ただ、1つだけ、クーエとマーフィーで異なることがある。
それは、クーエは、潜在意識の力が及ぶのは、あくまで、その個人の精神と肉体の範囲に限定されるとしたのに対し、マーフィーは、そんな制限は一切ないとしていることだ。マーフィーの潜在意識の理論では、潜在意識は宇宙の隅々まであますところなく広がり、潜在意識により、あらゆる人も物も全て繋がっているからである。
どちらが正しいかは、それぞれに判断すれば良いことと思うが、世界中に伝わる古代の叡智においては、マーフィー理論の通りであると思う。それが証明できるわけではないが、マーフィー法則を実践すれば、それを実証として確認することはできる。
ただ、クーエの制限された潜在意識の力を想定しても、そのパワーは凄まじいものであり、病気治療から、知的・肉体的能力や精神性の改善を実現し、望むなら社会で大きく成功することが十分に可能である。そして、マーフィー法則の場合は、外的条件まで改善するのであるから、その成功度は飛躍的に大きくなるのである。

クーエの自己暗示は非常に分り易いので、これを知ることには大きな意義がある。
クーエ・メソッドで、潜在意識を自在に使えるようになれば、そのままマーフィーの成功法則に適用すれば良いのである。
いや、実をいうと、今日からすぐできるクーエ・メソッドの方法で、マーフィーの教える潜在意識の力はすぐに発揮できるのだ。
先ほども述べた通り、クーエとマーフィーの潜在意識の働きの違いは、適応範囲のことであり、基本的な使い方そのものに違いはないのである。

クーエ・メソッドをマスターすれば(1分で可能だ)、あなたもマーフィーの成功法則を楽々と使いこなせるに違いない。

余談であるが、興味深い話であると思うので、良ければ聞いて欲しい。
マーフィーは、潜在意識(無意識)の発見者はフロイトと言っている。上記に書いた通り、潜在意識の理論の基礎を確立したのはフロイトであるので、ある意味そう言えると思う。フロイトは、潜在意識(無意識)に潜む生命エネルギーをエスと呼んでいる(エスはドイツ語であり、英語のit程度の意味。イドというラテン語で呼ばれることもある)。
しかし、エスの概念はドイツ人医師で「心身医学の父」と呼ばれるゲオルク・グロデックがフロイトに伝えたものであった。
グロデックのエスとフロイトのエスはかなり異なり、グロデックのものがはるかに驚異的だ。
グロデックは、他の医者が見離した患者を専門に、食事療法や精神分析療法で治療を行った。
グロデックは、「エスによらず起こることは何もない」と言った。いかなる難病を作るのも治すのもエスであるし、偶然に転んで脚を折るのも、実はエスの仕業だ。女性が好きな男性を前にすると手が冷たくなるのもエスによるものであり(男性に手を握らせて温めさせるため)、妊娠した女性がやたらあちこちに身体をぶつけることがあるのは、実は彼女が無意識に子供を殺したがっていることをエスが実現しようとしているだけのことである。
グロデックのエスは、クーエとマーフィーの考える潜在意識の中間にあるもののようにも思える。

では、これらの書籍を以下に紹介する。


「自己暗示」(C.H.ブルックス、エミール・クーエ著)
1966年出版で、現在も版を重ねる名著、名訳。
前半は、C.H.ブルックスによるクーエの詳伝。クーエの自己暗示療法による驚くべき事例が紹介される。医者に見離され、自分の脚で歩くこともできずに担ぎ込まれた脚に疾患のある男が、10分後には走り回る。
後半は、クーエが、潜在意識を支配するための自己暗示のやり方を詳しく平易に解説する。それは、子供でもできるほど簡単なことであり、実際、クーエは子供がごく幼いうちから始めるべきとしている。

「暗示で心と体を癒しなさい」(エミール・クーエ著)
今年(2009年)出版されたもので、精神内科医の林泰氏による解説が付く。
クーエの著作は1つしかないと思うので、上記にあげた本の新訳とは思うが、上記の本の縦書きと異なって横書きで、文字も大きく、美しいモノクロの写真のページがあるなど、やや雰囲気が異なる。
しかし、分り易い良い本である。

「エスの本―無意識の探究」(ゲオルク・グロデック著、岸田秀、山下公子共訳)
「心身医学の父」ゲオルグ・クロデックが、エスという不可思議で驚異的なものについて、女友達への手紙という形で易しく語る。
ユーモアに富んだその文章はとても面白く、ややエッチ過ぎる感もあるが(考えようによってはセクハラ文書だ)、エスの概念を誰もが理解できる実に貴重なものと思う。
クロデックが医者を目指したエピソードも実に面白い(当時のドイツでは、医者は貧しかった)。
翻訳は、人気精神分析学者の岸田秀氏。岸田氏は、本書に元々強い関心を持ち、念願の翻訳である。共訳者の山下公子氏と分担して訳したが、お互い、相手が訳した部分も翻訳してチェックしたという魂のこもった素晴らしい翻訳である。


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2009.09.19

心を静めれば無敵である

失業してやることがなく、銀行や空港では不当な扱い(本人がそう思っているだけかもしれませんが)を受けて憤慨している男に、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジが言いました。
「静かでありさえすれば、すべて自然にうまく収まる。仕事も、意欲も能力もやってくるのだ。静かでありさえすれば良い」

ジョセフ・マーフィーの著書「眠りながら巨富を得る」にも、1章を割き、心が静かであることの大切さが強調されています。

上のマハラジも深い敬意を表す、南インドの聖者ラマナ・マハルシは「あらゆる聖典は、つまるところ、心を静かにせよと書かれている。いったん、このことが了解されるなら、際限なく本を読む必要はない」と言います。

聖書にも「心を静め、自分が神であると知りなさい」と書かれています。

つまり、あらゆる聖典、賢者が共通して保証することは、心が静かでさえあれば、人は幸福でいられるということです。
仏教の最も純粋な教えと言われる「法句教」は、心を静めることの貴さを、表現を変えながら、繰り返し繰り返し語っています。

しかし、どうやったら心を静かにすることができるかが、人間にとって途方もなく難しいのです。
心を乱す要因は無限にあります。美味しいものを食べれば、再びそれを食べたいと心が捕えられて自由を失い、さらに、もっと美味しいものを食べたいという渇望が起こります。
男が美しい娘を見ると、それを得たいと思って心が騒ぎ、休まることがありません。
つまり、欲望が心をかき乱し、その制御は容易なことではなく、逆に完全に欲望に支配されてしまうことになりかねません。

ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」と問い続けよと教え、ニサルガダッタ・マハラジは、常に存在の感覚にしがみつけと言います。
しかし、そう言われても、我々凡人には難しいのです。
具体的な方法は各自の気質によって異なるのかもしれません。
けれども、最終目的が心の静寂であることを理解し、納得しさえすれば、その道は見出せると思います。
そして、心を静める道に挑むことは、長い旅かもしれませんが、決して退屈ではなく、わくわくする冒険でもあります。その終局は、多くの人には想像もつかない至福であるとしても、その過程ですら、あらゆる良きことに恵まれるのですから。

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2009.09.18

唯一の願い

幸せでいるコツなんてのは、欲望を持たないことだろう。
例えば、ミュージシャンでいたければ、街角でハーモニカを吹いてさえいれば満足できるようでないと、お金を沢山稼いでも、いや、稼げば稼ぐほど不幸になる。

本物の神秘家なんてのは、神様のささやきを聞き逃さないよう、いつも静かでさえいれば、それで満足なものだ。
心というのは、本当に満足してしまえば、静まってしまうものだ。
「あるヨギの自叙伝」で、著者のパラマハンサ・ヨガナンダの師の師であるラヒリ・マハサヤは、豪壮な家に住みたいという最後の願望だけになっていたので、彼の師のババジは幻の中で宮殿のような家を与え、マハサヤは解脱したという。
最後の望み。そこには、宿命的な何かがあるのかもしれない。
これさえ叶えば死んでもいいというほどの夢。譲れない願い。
ネロがルーベンスの絵を見て、満足して死んだように。
マッチ売りの少女が、お婆さんに逢えて、思い残すことが無かったように。
ネロもマッチ売りの少女も、その死に顔は微笑んでいた。
アンデンルセンは「少女が最後に見た美しいもののことは誰も知らないんだ」と、なぜか、少女の幻に過ぎないはずのものの価値を主張した。
私は、この二人は神と一体になったのだと思う。

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2009.09.17

ジョセフ・マーフィーを深く理解するための至高の書

潜在意識による成功法則で世界的に有名なジョセフ・マーフィーの著書は、私を引きこもり状態から解放してくれたことを以前書きましたが、マーフィーの成功法則をより理解するのに役立つに違いないと信じるアドバイスをしたく思います。

マーフィー博士は、もっぱら読書と執筆に時間を費やす簡素な生活をする人だったようですが、非常に博学で、多くの賢人の思想に通じていたと思われます。
その中でも、アメリカの「コンコードの哲人」と呼ばれる19世紀の思想家、詩人であるラルフ・ウォルドー・エマーソンを崇敬し、強い影響を受けていることは間違いありません。
多くの人同様、私も、エマーソンを人類史上でも最高の思想家だと思っています。
明治、大正の偉人、岡田虎二郎も、アメリカ滞在中にエマーソンを読み、やはりその思想の偉大さを認めたのだと思われ、よくエマーソンを引用したと言われます。

ジョセフ・マーフィーの「眠りながら巨富を得る」は、マーフィーの著作の中でも、富を得るために特に優れた実践書ですが、哲学的にも大変に深いものと思いました。そして、この本にはエマーソンの言葉が数多く引用され、さらに、エマーソンの至高の論文「自己信頼」が紹介されています。
このことからも、私は、マーフィーの「眠りながら巨富を得る」と、エマーソンの「自己信頼」を併せて読むことに大きな意義があると思います。

「眠りながら巨富を得る」は、大島淳一さんの訳で、大変に読みやすく仕上がっています。
ところで、大島淳一さんは、実は、渡辺昇一さんであったことは、ある時期に明かされましたが、かなり話題になったと思われ、私も非常に驚いたものです。
※マーフィーの最も有名な著書は「眠りながら成功する」ですが、個人的には、「眠りながら巨富を得る」の方が現代の人により合うように感じます。

一方、エマーソンの「自己信頼」は、かなり以前から翻訳が出ていますが、元々が論文であることもあり、学者の先生が難しく訳されている場合が多かったのではないかと思います。
私が読んだのは、日本教文社の「精神について(エマソン名著選)」に収録されていたもので、入江勇起男さんの素晴らしい翻訳でしたが、やはり少し難しい文章でした。
しかし、今年(2009年)、この「自己信頼」単体の翻訳が海と月社から「自己信頼[新訳] 」として刊行されました。伊東奈美子さんが平易な文章で翻訳し、文字も大きくて読み易く、非常に有り難いものです。
エマーソンの「自己信頼」は、自分を信頼することの大切さと、そうするに値する貴いものが自分の中にあることを強く知らしめてくれる、160年以上も読み継がれる名著です。
私には、「自己信頼」をなぜ学校で教えないのか理解できないくらいです。しかし、それは読めば分りますが、この論文は、国家による思想統制には非常に都合の悪い内容です。つまり、人を真に賢く自由にするこの教えは、国家などによる洗脳を破壊するためにも優れたものであるわけです。
「自己信頼」は短い論文ですので、大きな文字にしても薄い本で、さらに、海と月社の本はハードカバーの実に美しい本になっています。

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2009.09.16

全てへの愛、全てへの無関心

私が、幼稚園児だった時の話だ。
ある晴れた日のお昼に、幼稚園の庭に仰向けで寝転がっていた。
暖かく、すがすがしい気分だったのを憶えている。
すると、飛行機が、飛行機雲を引きながら空を横切るのが見えた。
その飛行機が、実際には大きなもので、大勢の乗客が乗っていることが当時の私にも理解できた。
その時、ふと、あの飛行機に、どんな人達が乗っているのだろうかと思った。
そして、当時の私にも可能な推論として、その乗客達(パイロット等も含め)のほとんどとは一生逢えないに違いないと思った。

私は、不思議な感情に襲われた。

大人になってから、ユング派の日系の精神分析医であるジーン・シノダ・ボーレンの「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」という本を読んだが、その本の中に、「スタートレック(日本では、宇宙大作戦)」という、米国の人気SFテレビドラマのことが書かれていた。
物質的な身体を持たない宇宙人が、宇宙船を操作する必要上から、ミスター・スポックの身体に入った時だ。その宇宙人は思わず言う。「なんて寂しいんだ!」

あの幼い日の私の不思議な感情も、それであったのだと思う。
同じ世界に存在していながら、決して逢うことなくお互い生涯を終えるのである。
それとも、死後の世界で全てが明らかになり、「あの時の飛行機に私は乗っていました」とか言われて、この寂しさを解消させてくれるのだろうか?

インドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジは、自分を地平線の彼方にいるように感じると言った。その位、自分の身体や心に現実性がなく、無執着で無関心なのだ。これは完全な聖者の特質であろう。
聖者と子供は似ていると言われる。
しかし、あの日の私は、高い空にある人たちを自分と同じように親しく感じたのだ。
だが、マハラジはこうも言った。
「全てを愛するか、さもなくば、全てに無関心でいなくてはならない」

あの日、飛行機の中にいたのは私であった。
そのくらい、彼らは私には親密であった。
しかし、彼らがただの他人であるのと同じく、私は私にとって他人なのだ。

マザー・テレサは、全ての人を自分のように愛した。
なぜそのようなことになったのだろう?
彼女は、全ての人の中にキリストを見ていたのだ。そして、それ以前に、自分の中にキリストが在ることを感じていたのだ。
リチャード・バックの「かもめのジョナサン」でも、ジョナサンは悟っていた。
全てのかもめ達の中に、輝く何かがあることを。

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2009.09.15

お金はいくらでも出来る

明治、大正の偉人、岡田虎二郎が、金に窮乏していることを訴える男に言った。
「金?腹に力が付けば、金はいくらでも出来ますよ」

私は、この岡田虎二郎と、江戸時代末期の神道家、黒住宗忠を、日本の誇る真に偉大な実践思想家であると思うが、彼らは、支配層に取り入ろうとしなかったせいか、現在、日本人でさえ、その名を知る者は少ない。
しかし、庶民と交わり、庶民に直接、真に実践的な教えを説いた彼らは、もっと知られるべきと思う。
日々の生活と金に追われる我々に、徳川家康の教えがどれほどの役に立とうか?

もう一人、私は、江戸時代中期の観相家、水野南北を崇敬しているが、南北も虎二郎や宗忠の2人に劣らない。南北は、より庶民的と言うよりは、ある意味庶民以下(牢屋敷に入ったこともある)であり、その教えは、虎二郎や宗忠よりさらに簡単だ。しかし、その簡単な教えである、食の慎みの実践は普通の人には、特に現代では絶望的なまでに難しい。
そのような訳もあり、今回は南北を外し、南北に関しては別の機会に述べることとする(ただ、南北についてはこれまで何度も書いている)。

岡田虎二郎も、黒住宗忠も百キロを超える巨漢だった。特に虎二郎は120kg以上だったと言われる。
しかし、宗忠は、明らかに神仙のごとき力を得ており、常人なら1日掛かりでも難しい道のりを早朝だけで渡ったり、歩いても足跡を残さないこともあった。
また、虎二郎も宗忠も、キリスト教のイエスにも劣らない病気治しの奇跡を度々起こした。特に宗忠は、頼まれれば断れず、数多くの病人を治したばかりか、その力を弟子等にも与えることができた。

さて、最初の金の話に戻る。
凡人にとって切実な問題は、高邁な教えではなく、今日の金である。
虎二郎は、岡田式静坐法という日本人向きの、絶対他力の易行(易しい行法)により、腹の力の付け方を教えた。
また、「生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活せよ」と言い、片時も油断なく、腹に力を入れるよう教えた。
黒住宗忠もまた、常に下腹に力を込めることを教えた。自らも、いつも下腹を手でさすり、力が込められていることを確かめているかのようであったという。
我々も、自分で工夫して、下腹の力が抜けないようにすれば良いと思う。

腹に力が入っていれば、頭や胸から力が抜ける。いわゆる、足熱頭寒という状態である。
人の不幸は、余計なことを考えたり、心を騒がすことから起こる。
虎二郎は、人には3種類あり、それを「頭の人」「胸の人」「腹の人」と言った。
頭の人とは、理屈で生きている人で、一生、苦労が止まない。胸の人は努力家で克己心が強いが器が小さい。腹の人になってこそ、楽しく安らかな人生を送れる。
宗忠もまた、神様にまるごと任せれば、この世は、嬉しい、楽しいしかないと言ったが、これは虎二郎の言う、腹の人になれという意味と同じと思う。

虎二郎は、徹底した絶対他力の教えを説く、浄土宗の法然を大変に評価していたが、宗忠の教えもまた、神(天照大神)の力に全て任せる絶対他力である。
これまでも紹介したが、黒住宗忠と、岡田虎二郎に関する書籍を紹介する。
上にも書いたが、徳川家康やナポレオンの教えが、庶民に直接に役に立つことはない。しかし、宗忠や虎二郎の教えは、我々のような普通の者にとって非常に重要なものだ。そして、おそらく、リーダーにとっても最高の教えであると思う。

黒住宗忠の本の紹介



岡田虎二郎の本(柳田誠二郎著)の紹介
※新品は入手できない可能性が高いと思います。







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2009.09.14

IT技能で有用なのはExcelだ

今回は、いつもと雰囲気を変えて、引きこもりを含め、就職や社会で働くためのIT技能の話題である。
就職活動や仕事において、高いIT技能を持つ有利さは、いまさら言うまでも無いと思う。
ただし、本当に有効な正しいIT技能を持ちたいものだと思う。

ネット上では、IT技能で就職したり、色々な意味で会社内で有利になるためには、何が必要か、何をすべきかについて、あまり信用できないと思える話が横行しているが、素人はそれを信じてしまいかねない。
技術の話もであるが、資格についても問題のあるものが多い。
よく宣伝される有名な資格だが、MCAS(マイクロソフト認定アプリケーション スペシャリスト)という、マイクロソフト社のソフトウェアであるOfficeシリーズの資格は、マイクロソフトがビジネス上の都合で作っただけと思われ、取得することにあまり意味はないと思う。
またこの資格は、誰でも簡単に取れるので、コンピュータ学校では、生徒集めにも役に立っているが、生徒にメリットはないと思う。
そもそも、資格は、どんな意味においても、高度な技術者や企業のためのものであり、業務経験が豊かでない者の就職を有利にするためのものでは決してないことを断言しておく。

ITの学校なんてものも、私はあまり意味はないと思う。
Webデザイナーなんて仕事自体が本当は存在しないことをご存知だろうか?
この仕事は、社会常識と、対人能力と、ちょっとしたデザインセンス、HTMLやCSSという簡単な技術の概要と、本当の技術者との交渉能力の総合に過ぎない。後は、慣れだ。
Webデザイナーなんていう技能があるわけではないのである。

企業の中で役に立ち、充実した仕事をするために私が薦めるIT技能をあげるなら、意外に思われるかもしれないが、Execl(エクセル)である。
これは、マイクロソフトのOfficeシリーズの中の1つである表計算ソフトだ。
もちろん、Excelの電子シート(表)にデータを書き込むだけなら小学生でも出来るし、普通のOLがやっている程度の、単にExcelを扱えることを技能とは言わない。
そうではなく、Excelの幅広い機能に習熟した上、VBA(内蔵Basic言語)でデータ処理が出来ることが必要だ。それは、努力すれば誰でもできる。そして、それを高度にできるなら、実に有用な技能の保有者となる。
Excelでハイレベルな仕事をしているITコンサルタントやSEもいる。彼らは企業に所属していても独立的な仕事をしていることが多い。
丁度、良い記事がネット上にあったので、以下に紹介する。

日経BP社 ITpro公開記事「システム開発生産性が最も高い言語」

一方、JavaやLinux、C#、VB.NET、Ruby、オラクル、MySQL・・・などができるとされる者の多くは、指示されたことをやるだけのワーカーである場合があまりに多い。そして、中途半端な技術しかない者が大半と思う。なぜそうなるかというと、早い話が、ワーカーの仕事が面白いはずがないからだ。
それよりも、Excelを磨き、より上を目指すならAccessを修得した方が面白い仕事がやれるかもしれない。両者で使うVBAはほとんど同じなので流用も効く。

もちろん、上記に書いた事柄は、一般的な社員や、その他の労働者に関することを想定しており、本気でテクノロジや事業に取り組むつもりの者なら話は別であることは言うまでもない。
だが、LinuxもWindows Serverもドットネット言語もWeb言語もオブジェクト指向言語もSQL Serverその他のデータベースも、技術者として専門的に扱える私も、最近はAccessを愛用しているし、Excelを見直している。

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2009.09.13

アステル

私は、人に対する意見を持たない。
企業や政党に対する意見も持たない。
社会や国に対する意見も持たない。

そして、自分に対する意見も持たない。
もちろん、神に対する意見も。

私は、例えてみるなら、星のようなものだ。
あらゆるものから、そして、私からすら離れ、ただ気付いている。
全てに気付いてはいるが、特に関心は持っていない。
ただ、純粋に気付いていたいのだ。

しかし、立場を変えて見守られている側に立った時、
星のこの上なく優しい無関心に気付く。
愛とは星のようなものなのである。
星に見守られている中で、心は静まり、
女神の衣の細かなひだまで鮮やかに見える。
心が静まった時、全ては自然に収まる。
心がわずかに動いたとしても、それは戯れという芸術を創るだけである。

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2009.09.12

本気で仙人を目指すために

本気で仙人(あるいは神仙)を目指すというのも良いのではないだろうか。
これも欲望には違いないのだが、私の理解では、仙人は人と神の間の発展段階にあるものであり、神道においては、我々は神の直系の子孫で、本来は神と一体のものであるので、決して良からぬ、あるいは、無茶な望みとも思わない。

さて、仙人になる方法であるが、書籍などで、露骨に「仙人になる法」といったタイトルのものは、私はあまり信じない。
仙人になるというのは、総合的な尊い行であり、必要な心構えとか学びがあるはずなのである。
決して、「仙人になる法」などと書かれているわけではない、伝統ある高貴な書の中に、その秘密が隠されているのを私はよく見るのである。

国内の書の中で、最も実際的かつ宇宙の理に則って仙人になる法を説いた本は、「ローム太霊講和集」だと思う。
この本は、現在は絶版であると思うが、古書なら入手可能かもしれない。
百の物語調のとても面白い講和からなるこの本は、霊的書物の中でも、実に独特な雰囲気がある。
私は、読み古した本1冊と、新品1冊を保有している。新品の方は、やがて渡すべき人が現れれば、与えようと思っている。

中国の「荘子」は、もちろん、仙人になるための法を書いたものではない。
しかし、私は、この本の中に、まさに的確に仙人になる法がさりげなく語られているのを知っている。
「老子」となると、「荘子」より純粋で根本的な真理が語られ、その分、非常に奥深く、抽象的で取り付き難いのであるが、やはり仙人となるために重要な原理が見られるのである。
そもそも、老子、荘子の言う、「道」と一体となった者は神と言って差し支えないのであるから、2人の教えにより、それに近付くなら仙人になるというのはむしろ道理である。
また、まるで寓話のように思える「列子」は、著者来歴などが基本的に不明で、やはり御伽噺のようなこともあって、学者には軽視される傾向もあるが、仙人を目指す目的のためには実に貴重な内容が溢れている。
さて、中国の古典で、仙人になるための書といえば、葛洪(かつこう)による「抱朴子」があるが、これは難解な煉丹術という、仙人になる秘薬を作る法をまとめたものである。煉丹術で命を落とした皇帝もいる。秘薬の生成には危険な化学物質(水銀)を使うからである。
それよりも、この葛洪による「神仙伝」や、劉向の「列仙伝」をお薦めする。
共に、多くの仙人が登場する、非常に面白い本であるが、その気になれば、仙人になるための多くのヒントを見つけられるはずである。

仙人の中には、ほとんど神に近い存在もいるのだが、基本的にはそこまで達せず、人間臭い面が強いかもしれない。
だから、美味しいものが好きだったり、酒好き、女好きの仙人もおり、その優れた術の力で、それらの願望も大いに満たしているのである。一方、1日5食も美食を楽しんだかと思うと、何ヶ月も食べなかったり、一晩に多くの娘を抱いたかと思うと、何年も禁欲することもある。
ただ欲望を満たすだけではないのである。

尚、以前からもよく書いているが、日本人の場合は、大祓詞を唱えることで十分である。ただ、上記にあげた書籍も色々な面で参考になると思うし、また、大祓詞を唱えるモチベーションにもなると思う。
以下に、各書籍を紹介する。





ローム太霊講話集―心霊秘話

古代の賢者ロームの霊が、我国最大の霊能者、竹内満朋氏を通して、貴重な教えを語る。
それは、霊的なことばかりでなく、俗世で力を持つことも必要として、その方法を実際的に豊富に語っている。
死後の世界の真実。仙人についての詳細。仙人の力を借りる法や仙人になる法。願望を叶える法等。
また、天狗に気に入られて術を授かり、最後には天狗の仲間入りをした正直者の男の話が楽しかった。
他にも、この世とあの世の間にある次元界に行く方法等が興味深い。
現在は、本書の新品を入手するのは難しいかもしれない。





老子・列子

老子と列子を1冊にまとめた書。ボリューム的には確かに1冊分だが、中味の深さは無限だ。
この徳間書店のものは、数ある老子、列子の中でも非常に読みやすく素直な訳だ。
元々はハードカバー版しかなかったが、後に出来たこの文庫版が安価な上、読みやすく改定されているので、こちらをお薦めする。





荘子

荘子もまた、翻訳が非常に多く、どれを選ぶか迷うところだ。
私は、素直な訳で、非常に読みやすい、そして安価な文庫本である本書をお薦めする。
本来、荘子は、内編、外編、雑編からなる膨大な書であるが、本書は、内編全部と共に、外編と雑編をいくつか選んで収録している。外編、雑編は、荘子の死後、弟子や後の世の人により付け加えられた部分も多いと思われるが、荘子自身の思想に適合した良いものを選んでいると思う。





列仙伝・神仙伝

数多くの仙人について語られた、非常に面白い書だ。
多くが、1章に一人の仙人についてのエピソードである。
それぞれの仙人の摩訶不思議さ、奇抜さ、それに崇高な精神などに引き込まれていくと思う。


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2009.09.11

欲望と嫌悪

私は、食欲、性欲、物欲に関しては、ほとんど克服できたと思う。
そのようなことが自分に可能と思ってはいなかったので、不思議なことではある。

しかし、食欲、性欲、物欲を克服するということを、「食べたくない」「女に興味がない」「ものが欲しくない」ということと誤解しないでいただきたいものだ。

禅の公案にこんなものがある。
あるお婆さんが、青年僧の世話をしていた。
僧の修行がかなり進んだと見たところで、お婆さんは、自分の美しい娘に僧を誘惑させる。
しかし僧は、「私の身も心も冬の枯木のごとし」と、平然としている。
それを聞いたおばあさんは、「つまらぬやつを世話していたものだ」と、僧を追い出した。

これは難しい公案とされ、いろんな偉い人がいろんな解釈を書いているが、どれも分り難い。
私なら、好みのタイプの娘なら、当然、情欲を感じる。
しかし、「遠慮しとく」と言うのに、さほどの精神力は要しない。後で、「もったいなかったなあ」とも思わない。
例え、その娘が石原さとみさんでも同じである(笑)。

食欲に関しては、同じようにして、1年以上前に、1日1食とし、大好きだった料理やお菓子も全く絶つことができた。
克服した順としては、食欲、性欲、物欲となる。

食欲や性欲というのは、嵐のようなものだ。
しかし、雲を抜ければ嵐はない。
つまり、雲の上に飛翔する能力を持てば、嵐の影響を免れるのだ。

だが、食欲や性欲、物欲の克服はまだ容易い。
はるかに難しいのは、嫌悪の克服だ。
誰だったか、「私は嫌いな人間に会ったことがない」と言ったと聞く。もし本当なら、彼こそ聖人だろう。
嫌悪の雲は、食欲や性欲の雲よりはるかに高いところにあるのだ。
私は、さらに高く飛翔する能力を持たなくてはならない。

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2009.09.10

死んで生きる

航空機事故や地震、津波などの災害で人が亡くなった時、「気の毒に」と言う人は多いと思うが、被害者の中に自分の家族でも含まれていない限りは、さほど、あるいは、全く深刻でなく、心も痛くないものである。
残酷な犯罪の被害者として殺された人のニュースを見ても、せいぜいが自分や家族にそのようなことが起こった場合を想像してゾっとするだけだろう。
失業して急にホームレスになったような人の話を聞いても、少しは同情するかもしれないが、むしろ自分の身の安泰を喜ぶかもしれない。
それが現実だ。
私もまた、他人をさほど大事に扱うことができない。ならば、私は自分も大事だと思わないようにしたい。
自分を他人と同じように扱いたい。
私が餓えていようが、理不尽に扱われていようが、それが他人なら、さほどのことに思わないのと同様、別にどうということもない。
この身体と心は私ではない。
そう見なして手放していたい。それが死ぬことである。私は死んで生きたいと思う。

インドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジは、「私は自分を地平線の彼方にあるように感じる」と言った。
誰かがマハラジに「あなたの首が鋭利な刃物で切りつけられたらどうなりますか?」と聞くと、マハラジは「胴体が首を失う。それだけのことである。私には何の関係もない」と答えた。





アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話

ニサルダガッタ・マハラジとの対話集。
現代随一の聖典と言われる本書の教えは、古の聖賢の教えと根本的には同じであっても、マハラジが現代の人であることや、宗教家、あるいは、隠者ではなく、世俗に生きる者であり、対話する相手も、多くが現代文明の中に住む普通の人達であることに意味があると思う。

500ページはある分厚い本であるが、私はこれを読み、一生この1冊だけを読もうと思ったくらいだ。


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2009.09.09

庶民のための真の偉人

他国においてはどうかは分らないが、今の日本人にとって、日本史上の誰でも知っている偉人というと、政治・経済への関わりの大きかった者であり、例えば、徳川家康や坂本竜馬といった部類の、支配者、社会的改革者、政治家、軍事家らである。
そして、これらの偉人の考え方を学ぼうといったことを訴える人や書籍も多い。しかし、全く無関係とは言えないかもしれないが、国家運営といったようなことのための思想と、個人の幸福のための思想とは甚だしく異なり、全く逆の発想が必要なことも少なくはない。
中国の、老子、荘子、列子などを読むと、人間としては、「道」に従って生きることが重要であることは共通するが、やはり、君主の生き方と人民の生き方とは、はっきり区別して書かれていることが分る。

個人の幸福のための優れた思想というものは、埋もれてしまい、なかなか伝えられないものである。
その中でも、究極とも言える人物として、江戸時代中期の観相(顔や身体の相で鑑定する運命学)家の水野南北、江戸時代末期の神道家の黒住宗忠、明治、大正の教育家で、岡田式静坐法の岡田虎二郎がいる。
これらは、「知る人ぞ知る」といった感じであり、その偉大さを知る者にとっては限りない崇敬の対象であるが、大半の日本人は、その名前すら知らない。しかし、実際に、我々凡人を真の幸福に導くのは、これら庶民派の大思想家なのである。そして、彼らの偉大さは、大政治家、大軍事化に優るとも劣らない。
それにしても、水野南北、黒住宗忠、岡田虎二郎らの書籍の少なさ。出版されても、すぐに廃版状態になるのは嘆かわしいばかりである。

水野南北は、その思想は深いながら、実践は最もシンプルである。即ち、食を慎みさえすれば良いのである。
しかし、現代の、特に我が国のように飽食、美食に溢れる状況では、粗食、少食に撤することはなかなかできることではない。

黒住宗忠の教えは、現代人にも分り易い部分が多いが、それは神道の正道であるとも思える。神様に全てお任せし、明るく楽しく生きるを良しとする。ただ、革新的なのは、神様(天照大神様)の御開運を祈るという考え方である。神道においては、我々は神様の直系の子孫であり、神様は我々の大親である。その大親の御開運を祈ることにより、大親である神様との信頼関係や親しみを増すことになる。ここらは、下に紹介した書籍で理解いただきたいところである。

岡田虎二郎の思想も大変に深いのであるが、究極的には、禅宗の道元禅師と同じく、ただ坐れということになる。
しかし、静坐は絶対他力であること、人は、学問や克己では大成しないことなど、現代の我々にも極めて重要な教えであり、やはり、下に紹介した書籍で確認いただきたいものであると思う。





「南北相法」と「修身録」の両方を1冊に収めている。
特に重要な「修身録」がなかなか入手できない状況(中古本も高価な場合が多い)の中で、2009年6月に本書が出版された。
とても読みやすい訳で、お薦めである。




神道黒住教に「いのちの教え」という聖典があるが、それは宗忠が書いた文章そのままの古文で、現代の我々には読みにくい。
本書は、教育家の山田敏雄さんが、そのエッセンスを分り易く説明してくれている。




開運に関する多くの著書のある神道家の山田雅晴さんによる本で、宗教や精神世界に広く通じる著者による黒住宗忠の思想、伝承の説明はとても面白い。
山田雅晴さんは、水野南北にも関心を持っていることを、他の著書で書かれていた。




第一高等学校の学生だった時、岡田虎二郎の直接の指導を受け、百歳で亡くなられるまで、岡田式静坐法に打ち込んだ実業家、柳田誠二郎さんによる、岡田虎二郎の思想と岡田式静坐法を伝える書。
病弱であった柳田さんは、岡田式静坐法で健康になり、社会的にも、日銀副総裁、日航社長等を歴任する等活躍された。
柳田誠二郎さんによる岡田式静坐法の本は他に2冊あるが、現在、新品で入手可能なのはこれのみと思う。
先日紹介した本です。


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2009.09.08

地平線の彼方

アニメ映画「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」は、宮崎駿監督自らの手による美しい詩と、久石譲さん作曲の名曲で、井上あずみさんの超美声も実に印象深い
この歌の最初の部分の詩は、

あの地平線 輝くのは
どこかに君をかくしているから
たくさんの灯がなつかしいのは
あのどれかひとつに 君がいるから

であるが、映画を見た人なら、この「君」は、どうしてもシータ個人をイメージしてしまうかもしれない。いずれにしても、その人のために地平線全体が輝き、たくさんの灯を懐かしく思うのであるから、非常にかけがえのない存在であることが強く伝わってくる。

しかし、私には、「君」とは、思い出の中の人のように、自分との関係性が希薄な存在であるかもしれないと思う。
愛してはいたが諦めてしまったとか、結ばれようとしていたのに別れたとか、あるいは、好意は持っていたが口を利くこともなかったといった相手である。
オーソン・ウェルズ監督、脚本、主演の名作映画「市民ケーン」の中で、ある老人が、「人はつまらぬことを憶えているものだ。私は、若い時に一瞬見ただけの、白いパラソルを持った少女のことがなぜか忘れられない。向こうは、私を見ることもなかったのに」と言う。
この老人の心情を感じるような詩でもあると思う。

だが、地平線を眺める私とは誰なのであろう?
街の灯を懐かしく想う私とは誰なのであろう?
それは、「君」への執着によって違ってくる。
「君」への未練が強いなら、それは狭い自我である。その場合、輝く地平線を見ても、沢山の灯を見ても、きっと苦しいはずだ。
しかし、「君」を解放しているなら、私はきっと風のようなものだ。
心を解放し、世界を諦めたなら、我々は高い処に吹く風のごとしである。
「千の風になって」という名曲があるが、千の風になるとは、そのようなことと思う。千の風になった者は、世界も自分も手放し、千の風という永遠の存在となったのである。







「君をのせて」のシングルCD。




石井竜也さんのシングルCD「君をつれて」。

「君をのせて」の曲に、石井さんがオリジナルの詩を付けた。「天空の城ラピュタ」から16年後の、主人公パズーの想いを描いたものとされる。

また、石井さんによる「君をのせて」も収録されている。編曲がオリジナルとやや異なる。




「天空の城ラピュタ」のDVD。
宮崎駿監督の大ヒット作品がこの後も数多く制作されながらも、この作品が一番好きだと言う人は多い。

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2009.09.07

ホツマツタヱを読む

少し前から、鳥居礼さんの「ホツマ物語」を読み始めました。
「ホツマ物語」は、「ホツマツタヱ(ホツマツタエ)」という、日本の古文書を基にしたものです。漢字が伝わる前に書かれたもので、日本独自の文字で書かれています。
「ホツマツタヱ」は五七調の歌で書かれたものですが、それが膨大で難解なので、鳥居礼さんが、誰でも読めるように、内容を選択し物語風に書かれたものです。
古事記や日本書紀の原典とも言われますが、捏造されたニセモノという説もあります。むしろ、現在では、それが一般的かもしれません。

私は、「ホツマ物語」を読み、驚愕しました。
とてもニセモノとは思えません。
私は、古事記も愛読しています。ホツマタヱと古事記や日本書紀は類似点も多いのですが、似て全く非なるものです。
古事記等は、お話自体は、あまりに荒唐無稽で不自然な部分が多くあります。
例えば、有名な、高天原(タカマノハラ。天上界のこと)でのアマテラスオオミカミとスサノオノミコトのウケヒ(誓約。一種の占いによる勝負)の場面は、古事記では、アマテラスがスサノオの剣を3つに折り、それを噛み砕いて吹き出すと3人の女神が生まれたとあります。ここは、ホツマ物語では、アマテルは夢の中で、剣を噛んで3つの玉にしたとなります。それは、アマテルに3人の女の子ができるという予言になっています。ホツマツタヱでは、アマテルは美しく聡明な皇子です。
また、古事記では、イザナミは死んで黄泉の国に行った時には、化け物になっているのですが、ホツマ物語では、それは、死んだイザナミに執着するイザナギの見た悪夢で、イザナギはそれで反省します。
ホツマ物語は、古事記に比べ、非常にしっかりとしたストーリーになっています。また、大変な高貴さにも溢れているように感じました。

私は、昨年末から、神道の代表的な祝詞である「大祓詞」を毎日唱えておりますが、大祓詞は古事記よりもホツマツタヱにはるかに適合しています。
実際はどうなのかは、もちろん私には分からないと思いますが、私には、ホツマツタヱが本物であると思われます。

私が興味のある、食についても、アマテルが語る部分があります。
アマテルは、最上の食物は野菜、次が鱗のある魚と言い、獣はもちろん、鳥も良くないとし、その理由も明解に述べます。
古事記では語られなかった、オロチの正体についても詳しく述べられています。

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宇宙を手に入れる

この世のどんなものも自分のものではない。
しかし、全ては自分のものであることも確かなのだ。
矛盾に満ちた言い方のようであるが、言葉では、このようにしか表現できない。

例えば、あなたが王であるとしよう。
なら、国中にある全てはあなたのものだ。
商店に行けば、菓子や靴や宝石が売られている。
それらは、確かに王たるあなたのものであるのだけれど、そんなことを考えていては王たる者の徳がない。
自分のものではあるが、全て手放し、あるべき場所に収める。それであってこそ、王たる者の徳を持つと言え、あなたは揺るぎなく王でいられる。

全てを諦めれば全てを得るとは、そのようなことである。
そして、奇妙に思うかもしれないが、あなたは宇宙の王なのだ。
何かにそう書いてあったとかではなく、あまりに明白で、それしかあり得ない。
しかし、たとえ玉座に坐っても、王らしい徳がなくては、王らしさを味わえない。
逆に、質素に暮らしていても、王の徳があれば、全てはあなたに従うであろう。

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2009.09.06

引きこもりに絶対的に欠けるもの

引きこもりが、外に働きに行けなかったり、働きに行ったとしても主に人間関係で苦しむのは、おそらく、楽観性に欠けるためだろう。
ヘレン・ケラーは、見えない、喋れない、聴こえないの3重苦を背負ってはいても、強靭な楽天主義者だった。

私は、ジョセフ・マーフィーの「あなたも幸せになれる」(産能大学出版部)を読まなければ、いまだ働いていなかったかもしれない。19歳の強度の引きこもりの時、この本を読んだおかげで、20歳でバイトを始め、その後、セールスマン、総務社員、ソフト開発技術者とキャリアを重ねていけた。
この本は、今は、「マーフィー 努力嫌いの成功法」というタイトルで、三笠書房の「知的生きかた文庫」からも安価に出ている。
何の本かというと、いかなる望みも軽々と達成できる力が人の内にあり、その力を使う方法を述べた本だ。
このような考え方は、ニューソート思想として知られ、マーチン.A.ラーソンの「ニューソート」(日本教文社)によると、その源流はスウェーデンの天才的な科学者、政治家、発明家、思想家として名高いエマニュエル・スウェーデンボルグとされており、19世紀のアメリカ最大の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンにも強い影響を与えた。ヘレン・ケラーもまた、スウェーデンボルグを崇拝していたと言われる。フォード自動車創業者のヘンリー・フォードは、自分の成功は、トラインの著書のおかげと常々語っていたが、トラインが名乗ったラルフ・ウォルドー・トラインの名は、ラルフ・ウォルドー・エマーソンから借りたものである。明治、大正の偉大な思想家、岡田虎二郎も、エマーソンをよく引用し、エマーソンを通じてスウェーデンボルグの思想の影響を受けていたと言われている。
ニューソートはキリスト教思想ではあっても、伝統的なキリスト教とは根本的に異なり、人は神の直系の子であり、本質的に神と一体であるとするところは、実に日本の神道に近いというのは、興味深いところである。
また、ニューソートでは、心を明るい方向に向けることの大切さを説くが、これは、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠がまさに強調したことでもある。
ジョセフ・マーフィーは、最も大衆に好意的に受け入れられた、明解な教えを説くニューソートの講演家、著作家である。

以下、書籍を紹介しておく。





マーフィー 努力嫌いの成功法(ジョセフ・マーフィー)

私を、ニートで強度の引きこもりの状態から解放したきっかけの1冊。
私が読んだ新書版のタイトルは「あなたも幸せになれる」だった。
原題は、「Miracle Power of the Univers(宇宙の奇跡の力)」である。
文庫化して安価になっている。





人生の扉をひらく「万能の鍵」(ラルフ・ウォルドー・トライン)

フォード自動車創業者ヘンリー・フォードは、自分の成功はこの本のおかげであると言い、自宅に多数保有し、訪問者にプレゼントした。
楽観精神の重要さが鮮やかに説かれている。1897年に書かれ、いまだ読み継がれる世界的ロングセラー。





自己信頼[新訳](ラルフ・ウォルドー・エマーソン)

上記(中段)の本の著者トラインが崇敬したアメリカ最大の思想家ラルフ・ウォルドー・エマーソンの、人類の財産とも言える知恵の書の分かりやすい新訳。
ジョセフ・マーフィーも著書の中で、エマーソンの言葉を度々引用し、本書自体も引用していた。

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2009.09.05

ジョディと共時性と引きこもり作家

なぜか、ジョディ・フォスターのことがずっと思い浮かんでいた。
ご存知の方が多いとは思うが、ジョディ・フォスターはアメリカの大女優である。
彼女は、子役の頃から天才少女の評判が高かった。私は、彼女が14歳の時の主演映画「白い家の少女」のDVDを持っているが、コケティッシュな美少女というだけでなく、見事な演技であったと思う。特に、彼女の表情を延々と映し続けるラストシーンは圧巻と思う。

さて、ジョディのことが気になってしばらくしたら、ネット上で、やはりアメリカの大女優デミ・ムーアのニュースを見つけた。
この2人の誕生日だが、ジョディが1962年11月19日、デミが1962年11月11日と、ほとんど同じなのである。
面白い偶然だと思った。

そして、デミ・ムーアの15歳の娘の名はタルーラという名前であるらしい。
ジョディ・フォスターは、「白い家の少女」と同じ14歳の時、「ダウンタウン物語」(原題:バグジー・マローン)というミュージカル映画で、ギャングのボスの情婦役を演じているのだが、その役名がタルーラだった。
面白い偶然である。
尚、「ダウンタウン物語」はコメディー映画で、ギャングとか情婦と言っても、登場するのは全員子供である。

先日、1971年の英国映画「小さな恋のメロディ」のことを書いたが、「ダウンタウン物語」は1976年の英国映画で、監督、脚本は、「小さな恋のメロディ」の原作、脚本を書いたアラン・パーカーであった。

以上が、ジョディ・フォスターをトリガーに、私に起こった3つの不思議な偶然である。

尚、昨年(2008年)公開された、ジョディ・フォスター主演の最新作「幸せの1ページ」は、強度の引きこもり作家のお話だ。
引きこもりに希望の光をもたらす作品だろうか?
DVDとブルーレイ発売中である。






DVDブルーレイ

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2009.09.04

世界を消し去る

社会(会社、学校、地域等)が嫌なものであったり、人生が辛く苦しいなら、これらは夢であるとして、全て壊してしまえたらと思わないだろうか?
ところが、世界中の主要な宗教や信仰、あるいは、権威ある神秘思想の大半は、これを否定するものではないのである。
この世は夢であり、ただの幻想なのだ。
そして、それはスピリチュアル世界での話だけではない。
精神分析学、神経科学、量子物理学においても、この世が実体のあるものであると考えることがむしろ非現実であるかもしれないと考えるようになってきている。
さて、ではどうすれば、この世界を夜見る夢のように消し去ることができるのだろう?
それを言葉で言うなら、確実なことを簡単に言える。出来れば、信じて欲しい。
欲望を捨てることだ。
世界や身体は心が創造するのである。欲望のない心は静かで、静かな心からは世界や身体は現れてこないのだ。

だが、欲望を捨てるのは至難の業である。
あるインドの聖者は、「身体と心の影響を受けないようにして、死人のように生きろ」と言った。
これは、至道無難禅師が「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言い、岡田虎二郎が、「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈(約3万km)に埋了したる心ありて」のように言ったことと同じと思う。
しかし、私には無理だった。
とはいえ、欲望を捨てることが必要であるという前提そのものに同意できないなら、世界を消すという目的の達成は不可能である。

全ての欲望を一気に全部捨てるのは難しい。
私はまず、好きな食べ物を諦めた。
大好きであった、焼肉、ステーキ、すき焼き、カレーライス、スパゲッティ、オムライス、ラーメン、そして、チョコレート、ケーキ、シュークリーム、プリン、アイスクリームをはじめ、一切のお菓子を全て諦め、絶対に食べなくなった。それは全く失敗しなかった。ただ、今でもまだ、食べたいという気持ち自体は全く変わっていない。しかし、欲望に負けて食べてしまうという心配も全くない。目の前に美味しそうなシュークリームを出され、「食べろ」と言われ、いくら激しく食べたくても絶対食べない自信がある。
さらに、朝食、昼食も諦め、1日1食とし、粗食を心がけ、量も腹5分目に制限できている。
不思議なことに、食の慎みに関しては、私は努力を必要としなかった。おそらく、世界が嫌なものであるので、早く死にたいと願っていたからではないかと思う。つまり、食の慎みが十分にできないと言うなら、あなたにとって世界はそんなに悪くはなく、別に世界を消すことなんて考えなくて良い。もっと世界にうんざりしてから出直して欲しい。

次は、ナポレオン・ヒルが最大の欲望という性欲である。ナポレオン・ヒルは、性エネルギーを創造エネルギーや活動エネルギーに変換する方法をいろいろ述べたと思うが、何の役にも立たないロクでもないものだったと思う。
私は、先月、神道の代表的な祝詞である大祓詞を1ヶ月千回を目標に上げ始めたところ、比較的早く性欲をほとんど滅することができた。最終的に先月はそれを1527回上げたが、それで性欲を完全に征服できた。相変わらず美しい女は好きであるが、完全に好みのタイプの美少女が誘惑してきても、全く苦しくないとは言わないが、絶対に大丈夫だという自信がある。

だが、まだまだ征服のきっかけが掴めないのが、他人の愚かさへの嫌悪である。
愚かな人間、下らない人間を見たくないという欲望は、私にとって強烈なものだ。
なぜなら、それら愚かな人間は自分の反映、あるいは鏡であるからだ。自分の愚かさを見るのはひどく辛いことである。
愚かな人間が私を苦しめる世界は、まだ現実である。
内海康満さんが著書に書かれていたが、ヤクザに出会った時、「またヤクザを作ってしまった」と思ったそうだ。
私が最も嫌いな部類の人間は、歩きながら煙草を吸ったり、人ごみで平気で携帯電話を見ながら歩く者である。丹波哲郎さんは昔、「車からゴミを捨てる者は殺人者と全く同じ。自分さえ良ければ良いという意味で何ら変わらない」と言ったが、煙草を吸いながら歩く人間もまた、殺人者と同じであろう。私もまた、そんな連中を作り続けているのである。

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2009.09.03

高校野球の異様さ

私は、子供の頃から、テレビで高校野球を見ると、いつも異様な感覚に襲われた。
高校野球自体は別に悪いものではないかもしれない。しかし、いかに全国規模の決勝トーナメントとはいえ、高校生の野球の大会の試合を漏らさず全てテレビ放送する異常さを感じない方がおかしい。
世の中には、もっと注目すべきものはいくらでもある。取り立てて、高校野球なんか見る必要があるはずがない。しかし、国家やこれと結託する大企業やマスコミに洗脳されると、そんな感覚を持っている者の方をおかしく思うようになる。
多くの国民が、高校野球にフィーバーすることで大儲けする団体があり、国家にとっても、税収の安定や国民の思想統制には大変に都合が良いので、様々な面でそれらを厚く保護しているのである。
高校野球は、スポーツや教育、そして社会を崇高なものにしているのか、あるいは、腐敗させ歪ませているのだろうか?
何も考えずに高校野球に熱狂、あるいは、それを楽しむことは、もしかしたら罪かもしれないのである。

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2009.09.02

大祓詞の唱え方

先月は休みも多かったこともあり、1527回、神道の代表的な祝詞である大祓詞を唱えた。
1日平均50回程であるが、1回唱えるのに3分はかかるので、50回なら2時間半必要だ。
休日には百回、あるいは、それ以上唱えることもあったが、これには5時間から6時間かかる。

その唱え方として、まず参考にしたのは、春日大社の宮司であられた葉室頼昭さんが著書の中で書かれていたものだ。
それは、「一語一語をはっきりと発音する」だ。
葉室さんは、一語一秒でも良いと書かれていた。さすがに、そこまでゆっくり唱えるのは、忍耐の問題で私には難しいが、読み間違いをしない、落ち着いたペースで唱えることを心掛けるようにした。

大祓詞を上げる際には、常に変わらぬ調子でやらないといけないと思うと共に、同じ調子ではやっていられなくなるということもあった。それで、実際には、いろいろ試行錯誤をした。早口で唱えたり、ゆっくり唱えたり、また、非常に微かな声で唱えてみたこともある。
大祓詞は修行ではないのだが、様々なことに気付かされ、修行のように感じることもあった。実際は、修行にもなったかもしれない。
気付いたことの中では、次のようなことがある。
明治、大正の偉大な思想家、岡田虎二郎が創始した行法である岡田式静坐法では、「胸の力を抜け」と言うが、私には胸の力を抜くなんて意味が分らなかった。そもそも、胸に可動部分なんてない。しかし、大祓詞を唱える間にそれが分り、胸の力を抜くと、非常に自然で楽に唱えられることが分った。他にも、大祓詞には、様々な知恵や経験を融合し調和させる力もあるのではと思う。
大祓詞自体に意味はないと言う。重要なのは、一語一語の言葉の音と、その組み合わせと思う。
そして、それは恐ろしいまでに精妙かつ神秘的なものであるのだが、それは唱えているうちに分ってくると思う。そして、日常の中で、自分の変化に気付いて驚くこともあった。
これまで何度も書いたが、大祓詞は日本人の貴重な宝であると思う。

以下に、葉室頼昭さんのCD付大祓詞の本と、柳田誠二郎さん(元日航社長、元日銀副総裁)による岡田式静坐法の書籍を紹介しておく。





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2009.09.01

デリカシー

制作国の英国では不評だったと言われるが、日本で大ヒットした映画「小さな恋のメロディ」(1971年)のアラン・パーカーによる原作の中で、ダニーは「デリカシーがメロディの代名詞」だと思う。ダニーは12歳の少年で、メロディはダニーが恋する美少女(おそらく、ダニーと同じ学年)だ。

デリカシー(delicacy)・・・優美, 繊細、 (感覚の)細かさ、 つつましやかさ、思いやり
本来は、日本女性の美徳であったのだけれど、この昔の西洋の物語の中の少女のデリケートさは、今の日本ではお伽噺だ。
いや、女性だけではなく、本来は日本人はとても繊細な民族であったのだが、現在の日本に、デリカシー(繊細さ)は見当たらない。

現在の日本人には、繊細と反対である、粗雑、露骨、エキセントリックなものしか受け入れられない。
商業的に、そのようなものでないと儲からないことが大きな理由だ。
不必要に経済発展を追求する国では、必ずデリカシーは消滅する。

イエスは、「金持ちが天国に入ることは難しい」と言ったが、天国とは、真の自己を知り、自然な状態に回帰して安らぐことだ。それは、真の、究極的な幸福である。
それには、精神的、霊的な意味においても、繊細な感覚が必要なのだが、物質的な欲望が大きいと繊細さを失ってしまうのである。
つまり、現在の日本には、天国・・・心の平和、安らぎ、温かさ、絶対的安心はない。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは言った。
「師の言葉を憶えていたので、私はわずか4年で悟りを得た。私は何の努力もしなかった。ただ憶えていただけだ。そして、私の指示はもっと易しい。ただ、存在の感覚を常に持っていなさい」
1970年代のインドでは、それは易しいことだったかもしれない。
しかし、今の日本人に「存在の感覚」と言っても無駄である。
なぜなら、それはとても微妙な感覚なのである。

繊細さの力は、スポーツを見てすら分かる。
イチローのバッティングが凄いのは、パワーだけでなく、感覚が繊細だからだ。天才というなら、その繊細な神経であると思う。
史上最高のプロレスラー、ルー・テーズは自伝で書いていた。
「私は特に身体が大きくもなく、筋力もさほどでない。ただ、才能というなら反射神経だと思う」
テーズはそう言ったが、反射神経というよりは、やはり繊細な感覚だと思う。テーズは自分でも言っていたが、その動きは猫のようであったと言われていた。それは、やはり感覚の繊細さを示していると思う。

私の知る、最も繊細なものは芸術だ。
絵画を見ても、単に上手いというだけなら、アニメーターの方が世界的画家より上手くてきれいな絵を描くことも少なくないと思う。しかし、圧倒的に異なるのは繊細な感覚だ。一般受けする絵は、ある程度エキセントリックさが優先する。池田満寿夫さんは、猥褻と芸術の違いは、ソフィスティケイト(洗練)と言っていたと思うが、確かに池田満寿夫さんの絵は上手くはなかったかもしれないが、繊細だったと思う。そして、池田満寿夫さんは、恐ろしく繊細な感覚の持ち主だったと思う。

電車の中で、平気で携帯電話を大きな音を立てて閉じるような者には繊細さの欠片もない。

我々日本人が、繊細な感覚を持ちたければ、大祓詞を丁寧に唱えれば良い。恐ろしいほどに、その目的に合うはずだ。

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