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2009.08.29

黄金期の人間

太古の時代は、人は生と死の区別を持たなかった。
だから、自分が死んでも、それに気が付かなかった。
その頃は、人と霊の交流は自然なことだった。
たとえ死のことを知っていても、生を良しとするのと同様、死も良しとした。

死を恐れず、生命が永遠であることを知っていたので、刹那的な欲望に囚われることもなかった。
自分の利益のために殺人を犯すことは考えられなかった。
また、彼らには時間の概念がなく、過去や未来はなく、常に現在であったので、過去を悔やんだり、未来を心配し煩わされることはなかった。
知識としてではなく、生の実感として、自己が身体や心を超え、時間や空間を超える存在であることを知っていた。自己とは、普遍的な存在であることを当然のこととしていた。
自分と他人との明確な区別も実際にはなかった。区別しようと思えば区別できるといったものだった。指導者はいたが、支配者、被支配者の関係ではなかった。それは役割の違いに過ぎなかった。

それは人間の黄金期であり、誰もが幸福で、羨むべき世界ではある。
しかし、我々にも、そのような世界の実現は可能である。そのような生き方をしている者は、現在は稀で、聖者と見なされるかもしれないが、実際は、人のごく自然な状態である。
そのようになるには、そんな世界を求める必要はない。不幸の原因を除くだけで良い。
生と死、自分と他人、善と悪の区別を付けたことが不幸の始まりである。それをするのは人の心である。心を静かに純粋にし、死んでいるようにすれば良い。
だから、現代でも聖者は、自分は既に死んでいると言うのだ。

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Comments

自分と他人への区別や比較、色々な事に対して判断を下す自我を無くす事を『“自分”は死んでいる』とおっしゃっているのですよね?なんとなく分かりそうな気がしました。そうですね。『足るを知る』ですね(>д<)

Posted by: 祈り | 2009.08.29 at 11:30 PM

★祈りさん
いえ、身体や心に既得権を持たないと見なすことが死ぬことです。
足るを知るとは、自然にやってくるもの以外を求めず、あるもので満足することです。

Posted by: Kay | 2009.08.30 at 07:37 AM

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